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2002年1月

野球場研究家の沢柳政義氏が1月30日、脳内出血のためお亡くなりになりました。97歳。
つつしんでおくやみ申し上げます。

沢柳 政義氏(さわやなぎ・まさよし=野球場研究家)30日、脳内出血のため死去、97歳。
葬儀は2月1日午前11時から東京都杉並区西荻南4の1の17の自宅で。喪主は三男義生(よしお)氏。
野球場研究の第一人者。東京都職員の当時から国内外の球場をあらゆる角度から研究し、「野球場大事典」(大空社)などの労作を著した。
全日本軟式野球連盟、体育施設計画協議会の専門委員を務め、東京五輪誘致のための施設調査、企画にも携わった。


このサイトにお越しの方はもちろんご存知だと思いますが、
氏は野球場研究の第一人者としてご老齢になられた晩年までご活躍されていきました。
終戦直後の1951年に『野球場建設の研究』を自費で出版なされ、
1971年に『体育施設全書』で野球場の項を手がけ、
1990年に私も持っている『野球場大事典』を著し、
1999年には『最新野球場大事典』も手がけました。
1999年はお歳でいうと95歳になります。
このサイトも氏の大著がなければまずありえませんでした。
氏の足元にも及ばない私ですが、一歩でも氏に近づけるよう頑張っていきたい所存であります。

2002年1月31日(木)

明日からいよいよプロ野球のキャンプが始まる。
まだオンシーズンとはいえないが、いよいよ今季のプロ野球が始まるという感じだ。
このオフシーズンにはいろいろなことがあった。
私自身に直接ではなく、個人的に思うことだが。
一応、中日ドラゴンズのファンなのでドラゴンズに関して述べたい。
まず星野監督が退団し、山田監督が就任した。
これは普通のことなので別に驚きもなかったが、星野前監督が新たに阪神タイガースの監督になったのにはちょっとビックリした。
でもショックでも哀しくもない。むしろ大歓迎のことだ。
これで去年はあまり行くことのなかった甲子園球場にも足を運ぶ機会が多くなったかな。
私は中日ドラゴンズのユニフォームシャツを2つ持っている。
1つは背番号14、もう1つは背番号39。
この二人がともにユニフォームを脱ぐことになった。
まずは背番号14、今中慎二選手である。
ここ数年活躍していなかったので、そろそろかと覚悟していたが、それでもやはり哀しい。
エース今中の時に優勝ができなかったのが私としても心残り。
解説者の道を選んだようだが、また同じユニフォームを着てもらいたいと思います。
そして背番号39、中村武志選手。
正捕手としてドラゴンズの優勝を複数導いたのは彼しかいない。
その彼がドラゴンズのユニフォームを脱ぎ、新たにベイスターズのユニフォームを着ることに。
この移籍にはいろいろごたごたがあり、ファンとして私も心を苦しめた。
FA移籍で逆にベイスターズからドラゴンズに来た谷繁選手とは関係がないと本人は言い張るが、
もちろん全く関係ないところではないことも、また当然であろう。
しかしあまりにも球団の対応はひどすぎると感じた。
中村選手はある記者会見で涙をみせたが、私もこの会見をきいて潤んだ。
あるスポーツライターは「泣くことはこどもにまかせておけばいい」というような趣旨のことを書いていたが、
私はまったくそうとは思わない。
私はそのような感情的な部分があるからこそ日本のプロ野球なのだと思う。
ちなみにそのスポーツライターはメジャー志向である。
ただ、トレードに関しては以前は否定的な感じがあったと思うが、
トレード先のチームに必要とされているととらえれば、むしろ肯定的に前向きに考えた方がいいだろう。
やける大地に泥にまみれた男のロマンはいまもこのまぶたに焼きついています。そしてこれからも。
新天地での中村捕手の活躍を期待しています。
もしかしたらタイガース×ベイスターズを観にいくかもしれません。背番号39を着て。

あとはストライクゾーンの改訂が大きかったでしょうか。
改訂というよりも本来のストライクゾーンへの回帰といった方が正しいでしょうが。
これで幾分は打高投低の傾向がやわらぐかな。
ただ、使用ボールも「飛ぶボール」から変えた方がいいと思う。
そういえばこの「飛ぶボール」に関しても、ナゴヤドームで今季から使うことになりましたね。
どうも最近の中日ドラゴンズはいかんなあ。阪神タイガースにひかれつつあります。

2002年1月27日(日)

大阪国際女子マラソンを長居陸上競技場まで観にいった。
観るといっても最初のスタートと最後のゴールしか観れないけどね。
わが故郷の英雄:高橋尚子選手がシドニー五輪で金メダルをとってから
(もちろんそれ以前からもあるが)女子マラソンのブームが続いている。
その五輪の予選会も兼ねていた2000年の大阪女子マラソンを観にいっていた。
弘山晴美選手があと数キロというところで、あのリディア・シモン選手に抜かされた大会だ。
今回の注目もまた弘山選手。
トラック競技ではいくつかの日本記録を持っているが、マラソンではまだ優勝したことがないとか。意外。
結果は35km付近で抜かされて、またもや2位。優勝はケニアの選手。さすがに強い。
弘山選手には多数の報道陣が群がっていたが、2年前の大会の有森裕子選手のそれほどでもない。
彼女は同大会8位だったが、ゴールと同時にカメラマンが群がった。スタンドからどよめきがおこった。

マラソンは招待選手や特別な選手だけでなく、一般選手、市民ランナーも一緒に走れるのがいいですね。
300名くらい一般参加者がいたみたいだが、オリエンテーリングの全国大会を思い出した。
でもこのオリエンテーリングとマラソンにはかなりの格差があるように感じた。
昔はマラソンはみんなに観られていいなあ、と思っていたが、
一般参加者は走ること、参加することに意義があり、観られることは二の次である。
これはオリエンテーリングとて同じこと。そんなことでうらやましがっていてはいけない。
何が格差があるかというと、一般に広く認知されている点である。
マラソンコースを走るには交通制限を必要とするが、これがもちろんではあるが認められている。
しかし、オリエンテーリングは交通規制はいらないものの、認知度がそれほど高くないため、いろんな障害がある。
一番大変なのは地元との交渉だろう。オリエンテーリングは主に山を走るので、地元の協力が必要だ。
その山がマツタケの産地とかだったら、まず認められない。
田畑に入ることは禁じられているが、それでもはいっちゃう人もいる。
実際、私の実家である岐阜県富加町では、過去2回オリエンテーリングの全国大会が催されたことがあるが、
やはり田畑に入られたと聞いたことがある。
ちなみに、その大会のO-MAP(オリエンテーリング用の地図)に私の出身中学校(双葉中学校)が載っている。
私の実家は残念ながら載っていない。あと数十メートル西に拡大していればはいっているのに。
オリエンテーリングは主に冬場に行われるが、猟期でもあり、たまに銃声がきこえることもある。
間違って撃たれてはタイヘンだ。
広島大学時代、冬場の練習会で山奥まで行ったら、銃声が聞えて即中止になったこともある。
また、マラソンは全国中継され、スポンサーもいくつかつくが、オリエンテーリングはそうもいかない。
認知度や注目度からいえばずいぶんの格差がある。
いいなあ、マラソン。いいなあ、市民ランナー。

2002年1月18日(金)

「昭和48年会:投手」を変更。
石井一久投手をロサンゼルスドジャースに、平松一宏投手を中日ドラゴンズに書き直す。
平松選手はFAで移籍した前田投手の人的保証選手。
ドラゴンズにはほとんどいなかった同級生がこれでやっと一人増えた。
夢は平松投手と藤井捕手とでバッテリーを組むことかな。
なお、平松投手の背番号は14。あの今中投手がつけていた背番号だ。
いい背番号もらったなあ。いいなあ。

2002年1月13日(日)

Wクンと一緒に社会人ラグビー決勝戦を観戦しに近鉄花園ラグビー場まで行った。
近鉄花園ラグビー場に行くのはこれが初めて。
社会人ラグビーを生で観戦するのもこれが初めて。
朝11時にJR鶴橋駅構内のロッテリアで待ち合わせ。
けど14時キックオフ。集合時間がちょっと早かったか。
ロッテリアで食事をすませてからラグビー場へ直行した。
近鉄花園ラグビー場の最寄駅である近鉄東花園駅でゾロゾロ人が降りていった。
ほとんどの人がラグビーを観に行くんだろう。
Wクンが帰りのキップを買っている間、近くの店でコーヒーと烏龍茶を購入。
ちなみに私はJスルーカードを買ったので、これでJR西日本も近鉄もスルー。
東花園駅前はラグビーの街らしく、ラグビーをかたどった電灯やゴールのモニュメントまであった。
マンホールはラグビーをやっている絵柄で、橋の欄干にもラグビーが描かれてあった。
他にもマスコットキャラのトライくんや、モナカかセンベイかのお菓子も売られていた。
大阪近郊の電鉄会社のほとんどが野球場を造ったなか、大軌だけはラグビー場を建設したのだが、
その独自性は現在でも際立っているといえよう。
しまった、カメラをもっていけばよかった。すっかり忘れていた。

近鉄花園ラグビー場に到着。すでに人だらけ。
チケットは2000円のブロック指定席と1500円の自由席があったが、後者にした。他に指定席があるみたい。
まだ12時を過ぎたばかりだったが、他にいくところもないので早いながらも入場することにした。
いったん出たら再入場はできないみたいだ。
最も中央寄りで、上から数段目のかなり高い方に陣取った。
自由席もブロック指定席も、中央のグラウンドに近いところから埋まり始める。
バックスタンドの自由席は試合開始45分前ごろまでにはもうほとんどが埋まりきった。
残りは立見か、ゴール裏のサイドしかない。
席についた時には早すぎたと思ったが、後になってそうでもなかったんだなとわかった。
自由席とブロック指定席それほどまで人であふれていた。こんなにいっぱいになるとは。
指定席だけが空席が目立っていたが、これは隣のグラウンドで行われている練習を観に行っているためで、
試合開始直前になって戻ってきた。そして見事に埋まった。
どうやら満員の3万人だったようだ。

14時を少し過ぎたところでキックオフ。前半は試合巧者の神戸製鋼のペースで進む。
特に試合開始直後には神戸製鋼のミラーは蹴ったり駆けたりと独り舞台だった。
前半終了直前になってサントリーがトライとゴールを決めて、神戸製鋼が24-19とリードして前半終了。
この時は神戸製鋼が勝っていたものの、比較的ベテランが多いのとケガ人が続出していること、
そしてサントリーの方が総じて若いことを考えて、サントリー優位になるのではと思った。
実際、後半は完全にサントリーのペース。
神戸製鋼のミラーがシンビンで一時退場になっている間、たてつづけにトライを決めてこれで勝負あり。
試合終了直前には大量リードのなかサントリーがPGを狙ったが、文字通り3点を取りにいったのだろう。
結局、サントリーが50-31で神戸製鋼を下した。
サントリーは社会人大会では6年ぶり2度目の優勝で、単独優勝は初めてのことだ。

試合終了と同時に3万人の観客も一斉に帰り始めた。すごい数だ。
近鉄東花園駅はめちゃくちゃ小さいのに、一度にあんなに押し寄せて大丈夫なのだろうか。
なにせ改札とホームの間に線路が通っているのだが、ホームへは橋を使って行くのではなく、構内の踏切を越えるのだ。
近鉄ももうちょっと設備をよくしないといかんぞ、ありゃ。
私たちは一つ奈良よりの瓢箪山駅に向かう。同じような行動をとる人もわりと多かった。
そして何より車が多かった。車で来るかなあ。
近鉄花園ラグビー場のすぐ隣は花園中央公園になっている。
「野球場誌」の「花園球場」にも書いてあるとおり、もともとここにバファローズの野球場を造る予定であった。
いまでも花園ラグビー場周辺は用地が広く残されている。ここに何か他のスポーツ施設を造るのかな。
あと、本グラウンドとは別のラグビー場も建設中であった。
花園にはいったいいくつのラグビー場があるのだろう?
途中でラーメンを食べて、JR鶴橋駅でWクンと別れた。

花園、そして東大阪市はラグビーを中心としたまちづくりをしている。
今度また行ってみたいな。

2002年1月11日(金)

昨日も書いたホークス身売りの話だが、あるスポーツ新聞によるとホークスはどうやら市民球団を目指すみたいだ。
昨日理想として書いたことが現実味をおびてきました。
しかし市民球団にするにはいろんな障壁があり、その実現は先送りするらしい。でもいずれそうなるでしょう。
はからずも私が理想として描いていた構図と似ているのだが、
これは別に偶然ではなくて、スポーツ界が全体として実際にそういう動きをしているのです。
スポーツは今後ますます地域に密着するようになってきます。
学校教育がリードしてきた体育も、ヨーロッパ型の地域主導のスポーツになりつつあります。
教育システムにおける体育はスポーツに対してこれまで多大な貢献をしてきましたが、弊害もいくつかあります。
小学校、中学校、高校ごとにコーチ・監督(先生)がかわるので、首尾一貫した指導ができません。
これではいくら才能を持っている若者も、磨かれず原石のままであるオソレもあります。
隣の堺市では地域主導のスポーツ活動が行なわれつつあります。
そしてそれは今後十数年で全国に広まることでしょう。
スポーツ界全体が地域・コミュニティを志向しているのです。
スポーツと地域は今後切り離されなくなるでしょう。

昨日マスターズリーグを観に行きましたが、大阪ロマンズが優勝しました。
大阪ドームでの優勝試合観戦はこれで二年連続になります。
モーやん。はよく打つし、佐々木選手は2打数1安打でも打率が下がるし、若菜はホームラン競争でよう飛ばさんし。

2002年1月10日(木)

朝日新聞の朝刊をみてビックリした。
「ホークス売却、視野」
福岡ダイエーホークスの親会社であるダイエーが負債超過のため主力4銀行により資産処分されるみたいなのだが、
そのなかに球団と福岡ドーム、そしてホテル「シーホーク」のいわゆる3点セットが入っているのだ。
まあ、このようなことは昔からいわれていたものの、なにやら寂しい気がする。
それは南海ホークスを買収してから十数年、ようやく九州、福岡に根づいてきて、
いまでは有数の地域密着型のプロ野球チームにまで育ってきたホークスが、
親会社の経営状態の悪化を理由に売却されれば、これほど理不尽なことはない。
日本のプロ野球は残念ながら旧態依然の企業の理論だけでなされているにすぎない。
たとえ球団売却がなされたとしてもおそらく3点セットで売却されるだろうから本拠地は福岡ドームのままであろう。
しかし万が一にも球団が九州から出ていくことになり、九州にプロ野球球団がなくなることになるならば、
これには断固として反対する。
ドラゴンズが名古屋に、カープが広島になくてはならないように、
福岡にプロ野球チームはなくてはならない。
ライオンズが買収されてホークスを買収するまでの「空白の10年」を再びつくってはならない。
「優勝セールへの貢献もあり、球団の売却は考えていない」とはダイエー側の幹部のコメントだが、
これも情けないコメントですね。
優勝セールへの貢献がいかほどのものか知らないが、ファンに対してのことはいえないものだろうか。
こういう企業にはとっとと球団を売ってもらって、新たに完全独立採算の会社をつくった方がいいかもしれない。
親会社を一つの企業にせず、多くの会社から資本を提供していただき、株主を広く市民に募る。
本当の意味での「市民球団」とは産まれないのだろうか。
わが国ではスポーツは企業から与えられ続けられるだけであるのか。
改めてそれを感じさせられた。

いまからマスターズリーグを観に行きます。

2002年1月9日(水)

全国高校サッカーで、岐阜工業が決勝まで進んだ。
岐阜県の学校、チームがこんなところまでいくのはめったにない。
残念ながら国見に負けて準優勝に終ったが、ひさしぶりに地元のチームを応援した。
市立船橋をPK戦の末にやぶったのが大きかったのかな。
新年早々楽しませていただきました。
今度はセンバツで郡上北高校が出場するのを願うことかな。

2002年1月6日(日)

遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
年末から年始にかけて実家に帰っていましたが、東海地方はかなりの大雪でした。
故郷・富加町は岐阜県の真ん中あたりにありますが、それでも愛知県に近いあたりなのですが、
そこでも20cmくらいは積もりました。
私が帰った12月30日には雪はまだ降っていませんでしたが、
元日の夜あたりからシンシンと降りはじめ、朝起きたらめちゃくちゃ積もっていました。
3日には雪かきもしました。こんな大雪はたいへん珍しいです。べっくらこいた。

さて、今年は冬季オリンピック、そしてサッカーワールドカップとかなりのビッグイベントがあります。
一方プロ野球の方は年々人気の低下が心配されていますが、
むしろこれぐらいの方が当然のような感じで、今までは注目されすぎていたような気がします。
要するに野球くらいしかなかったということ。
今オフは選手の年俸の情報をあまりテレビでみかけませんでしたが、これもいわば当たり前のこと。
前まではプロ野球のオフ=スポーツのオフであったので、年俸更改くらいしか話題になかったんでしょうね。
でも今はウインタースポーツだけでなく、海外のスポーツ(バスケットなど)の情報もあって、
かなり多様化してきているので、誰がいくらもらったとかなんかに割いている時間はないのでしょう。
多様化といえば、テレビ中継もかなり多様化しています。
前述のプロ野球人気の低下とは、マリーンズの黒木選手の言う通り、地上波の視聴率の低下なだけであって、
地上波だけでなく他にBSやCSなどメディアが多様化しているので、プロ野球自体の人気が低下しているとは思えません。
毎試合全国放送されるチームの人気だけが低下しているのでしょう。
スポーツはここ数年でかなり多様化、グローバル化していると思います。
充分地理学でも扱うに足る素材だと思うんだけどなあ。
じゃあ自分がやれってか。その通り。

でもね、やはり野球は面白いと思うんです。ベースボールではなく野球ね。
プロ野球しかり、高校野球しかり。人間くささが出てくるのが野球の面白さなんだと思います。
あと間があるのも好きですね。投球の間とか。
ベースボールとサッカーはほとんど同じ時期に日本に輸入されたのですが、
日本ではベースボール→野球が盛んになり、サッカーが伸びなかったというのは、
輸出した国の状況(アメリカとヨーロッパ)の違いもあるでしょうが、この間というのが日本人にあっていたのかと思います。
漫才でも間というものが大切ですが、野球の間が日本人に受けたのだと思います。
なんか「週刊ベースボール」の豊田さんのコラムみたいになってきたな。

年末年始と実家に帰っていたのですが、実家でとっている新聞が中日新聞と中日スポーツ。
だからドラゴンズファンになったというわけでもないのだが。中日スポーツはファンになってからとり始めました。
それ以前は中日新聞だけだったが、それでもドラゴンズ色が濃いと思っていましたが、
中日スポーツはそれ以上。ドラゴンズ情報が濃すぎ。
年末年始も山田新監督が一面なのにはビックリします。
他に載せるべきスポーツ情報があるだろうと思ってしまいます。
まあこれは企業の戦略の一つなので仕方がないのでしょうが。我々はそれに躍らされているだけなのだろうか?
中日スポーツをみていて一つ気になったことがありました。
それは、今シーズンから中日主催試合がすべて「飛ぶボール」を使用するということ。
いままでは「飛ばないボール」を使っていたのだが、これが投高打低の原因でもありました。
そのせいで貧打ではありましたが、そのおかげで99年に優勝できたのだと思います。
いくら貧打が続くからといって、なんという短絡的な考え!
甲子園球場にラッキーゾーンを復活させるという考えに等しいな、こりゃ。
実際、「飛ぶボール」はジャイアンツとパ・リーグの全球団で用いられているみたいです。
なるほど、パ・リーグの本拠地は全体的にセ・リーグよりも広いのに、パの方が本塁打が多いのは、
投手の質だけでなく、ボールの質にも違いがあったというわけか。納得。
でもね、パ・リーグのボール、飛びすぎ。
プロ野球珍プレーなどでホークス松中選手がライオンズ松坂選手から打ったボールが、
バットがへし折られたのにもかかわらずホームランになってしまったというのを、最近よくみかけますが、
それもやはり飛ぶボールがあってのことでしょう。
打者の技術・力はトレーニング方法の改善があって年々のびていますが、
投手は投げ込むしかなく昔と同じなので、どんどん打高投低になっていく傾向にありますが、
今のまま「飛ぶボール」が使用されていくとそれがさらに進んでしまう恐れがあります。
私は今までナゴヤドームのスタンドに打ち込まれるホームランこそが真のホームランだと自負していました。
福岡ドームはフェンスの高さこそナゴヤドームに勝るが、ちょっとモノ申すこともあった。
それがナゴヤドームまでもが「飛ぶボール」を使うことになるとは…
ちょっと球団にちょっと考えてもらいたいな。ドラゴンズ、今年はたぶんダメでしょう。今年も、か?
ちなみにジャイアンツ松井選手がオールスターで外野上段席に放ったホームランは「飛ぶボール」です。
松井選手も言っていたような。普段とはボールが違うって。

新年早々、長く書いてしまいましたが、これも野球に対していろいろ思うこと。
今年も面白いシーズンになることを望みます。
最後になりましたが、今年もよろしくお願いします。

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