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2002年6月

2002年6月29日(土)

「野球場誌」に「千代田町運動公園野球場」と「豊平どんぐりスタジアム」を載せる。
いの一番さん、メールありがとうございました。
「野球場誌」にはまだ地域ごとのばらつきがあり、中国地方と東北地方はかなり少ない。
これらの地方の記事がこれから増やしていきたいところです。

2002年6月28日(金)

今月の「観戦日記」を眺めていたら、けっこういろんなことが書いてあってビックリした。
春巡検があったのも今月、神戸まで行ったのも今月、実家に帰ったのも今月、長居に3度行ったのも今月。
チリも積もれば山となるとはいうが、この一ヶ月でけっこういろんなことを考えさせられました。
共催国である韓国がベスト4に進出したことに対して羨ましいのと同時に悔しいと思うことと同じく、
野球ファンもサッカーに対して羨ましくまた悔しく思わなければなりません。
ファイターズの札幌移転、あるいはリナレスの中日ドラゴンズ入りだけに喜ぶあるいは哀しんでいるだけではダメだと思う。
やはり代表チームがあるスポーツは羨ましい。
野球も日本代表というものがあればかなりいいレベルまでいけると思うのだが、その機会がないのが残念だ。
世界にも通用する日本人選手を輩出している今日に、世界的な大会がないというのは、はっきりいってもったいない。
一朝一夕には無理だが、それこそチリが積もれば山となる、一歩一歩前進することが大切だ。
今回のFIFAワールドカップの一連のプレイ、あるいはサポーターの反応を見てつくづくそう思う。

2002年6月27日(木)

掲示板にも書きましたが、今週の『週刊ベースボール』は買いです。
特集はこれまでの外国人選手で、日本ハムファイターズ札幌移転の件も載っております。
2002FIFAワールドカップも残すところあと1試合。
決勝はブラジル×ドイツという、これまでになかった夢の対戦になりました。
もしかしたらこの対決が決勝で見られることが一番のワールドカップ成功なのかもしれない。

2002年6月23日(日)

セネガル×トルコ戦の翌日の23日も長居公園に行ってきた。
この日は撤去の日で、柵だけでなくスタジアムのいろいろなものが撤収されていた。
すでに普段通りの日曜日の長居公園になっており、ジョギング、ローラースケート、スケボー、ダンス、演奏、散歩、昼寝をしている人が多くいた。
キャッチボールをしている人はあまり見かけず、サッカーをしている人を多く見かけたのは、この地でワールドカップを開いたからか。
日本代表が初めて決勝トーナメントに進出したという、今後のサッカー史上にも名を残すようなスタジアムだからね。
もしかしたら日本サッカーの聖地の一つにもなるかも!?
前日に散らかっていたゴミもかなり片づけられていた。公園入口のサッカーボールのモニュメントはこの後もずっと存在し続けるのかな?

2002年6月22日(土)

この日は長居スタジアムでのFIFAワールドカップ最終戦、セネガル×トルコ戦が行われた。
日本がトルコに勝っていれば、また日本代表が大阪に来てくれたのに、負けちゃったので残念でならない。
この日は日中にソフトボールをしていたため、長居公園に着いたのは試合開始30分前の20:00。

あまり注目されていないカードのためか、前二戦に比べてかなり人は少なかった。
日本戦を期待されていたカードだけに、チケットは買手市場かと思われましたが、けっこうチケットが欲しい人が多く、
「チケットをゆずってください」などと書かれたプラカードが目についた。
前のイングランド戦や日本戦では両国のユニフォーム・レプリカを着たサポーターが多かったのが、
この日は対戦両国のユニフォームをまとった人はほとんど見かけなかった。
日本やベッカムのユニフォームを着た人を数人みかけた程度で、ほとんどの人が普段着。
前二戦には規制されていた公園内の出店も堂々とやっていました。どうやらこの日は規制がなかったみたい。
出店内容を調べたところ、ユニフォーム売りが31件、バッジ売りが9件、帽子などのかぶりもの売りが4件、
かき氷・ビールなどの飲食店が6件、合計50件出ていた。
飲食店はすべて日本人でしたが、ユニフォームなどはほとんど外国人が売っていた。
そしてそのほとんどが日本語で声をかけていました。「二千円、二千円、安いね」とか「2つで千円」とか。
客のおばちゃんはユニフォーム売りの外国人(おそらくイングランド人)に対してねぎろうとしていた。
この日、日本国内で試合があったのは大阪だけだったので、もしかしたら開催地を追って行商しているのかもしれません。
大会は残り数試合になっていたので、残り物を売りさばこうとしているのでしょうか,かなりの特価で売っていたような気がする。

スタジアムの近くまで行きましたが、やはり前二戦と比べれば人が少なかった。イングランド戦の約半分といったところ。
しかし、あまり注目されていなかったカードだけに、思っていた以上に人がいた感じがした。
テレビ観戦者の写真を撮ったところ、その人たちがトルコ人でビックリした。
日本人にまぎれてあまりよくわからかなったが、よくみるとトルコ人が結構いた。夜だったせいか、言葉や近くで見るしか区別できず。
客層としては土曜の夜のためか、子連れが多く,カップルも割といました。通行量は相変わらず多く、ペット連れや自転車の人もいた。

再び地下鉄入口付近に戻ってきた。
日本戦終了後に多くのサポーターが屋根に登っていたトイレは、危険防止のためでしょう、縄に囲まれて「立入禁止」になっていた。
その隣では約50人くらいがテレビ観戦をしていた。
帰り客用の通路を設置し始めたため、出店は撤去されるかと思えばそうではなかった。
前二戦は公園の通路いっぱいに帰り客用の通路を設置していたが、この日は公園通路の半分だけを帰り客用の通路にし、
残り半分は一般用の通路で、そこで出店が販売を繰り広げていた。
トルコの延長ゴールデンゴールはかき氷出店のテレビで見た。時間としては22:40頃か。
試合が終了したのでスタンドから観客が流れ出てきた。観戦者だけに、さすがに当該チームのユニフォームを着たサポーターが多かった。
出店は試合終了後もずっと販売しており、観戦帰りの客がこの日の思い出としてユニフォームを買っていった。
「ロナウド千円」が人気で、あっという間にユニフォームが売れていきました。ほとんど叩き売り状態でした。

トルコサポーターが地下鉄入口近くの例の広場で騒ぎ始める。「TURKIYA(トゥルキヤ)」を連発していた。
トルコ人だけでなく、日本人も加わって騒ぎを繰り広げていた。
日本人サポーターの中には「日本に勝ったトルコに加担しやがって」とか言っている人もいました。
私としては日本を破ったトルコだからこそ勝ち進んでもらいたいと思っています。もしトルコが優勝したら、日本が負けたのも仕方がないと。
大きなトルコの国旗も広げられていましたが、こちらは通行の妨げとなるので片づけるように促されていた。
騒ぎは23:30頃に警察によって止められたが、その後も散発的に騒ぎが起きていました。
だいたいテレビカメラが近づくと一時的に騒ぐようだ。
0:00になったらほとんど人もはけていき、通路用の柵も撤収された。
イングランド戦では20:30に警察によって騒ぎが鎮められたが、この日はその時間にキックオフなので、騒ぎが夜中にもつれることは当然。
イングランド人は酒を飲んで騒いでいたが、トルコ人は酒も飲まずに騒いでいた。
まあ、試合終了後、間もなく騒ぎ始めたので、酒を買う暇がなかっただけかもしれません。
私も0:30には帰りました。

2002年6月19日(水)

最近はFIFAワールドカップのことばかり書いてきましたが、プロ野球でも大きな動きがありました。
日本ハムファイターズの札幌移転が決まったようです。
これでパ・リーグは首都圏2、関西圏2、福岡、札幌と、かなりばらけてきたし、地域的バランスもよくなる。
札幌−福岡の移動は一見たいへんそうだが、飛行機を使えばひとっとび。
それぞれ野球場と空港が近いので、福岡−所沢はもちろん、もしかしたら福岡−神戸よりも短い時間で移動できるかもしれません。
移転したら球団名は「札幌日本ハムファイターズ」になるようです。
近年はやりの球団名の前に都市名をつけるパターンですね。
しかし、札幌日本ハムファイターズって長いし、言いにくいし、札幌と日本の2つの地名が入っていると思われてしまう。
かといって札幌ハムファイターズにするわけにもいかないし。
札幌ファイターズになるのは、日本ハムが地元企業に身売りするときでしょうか。一企業とは限らない。
札幌市を含めた第三セクターでもいっこうにかまわない。本拠地・札幌ドームがそうなんだし。
ただしファイターズという名前は絶対に変えて欲しくない。
ファイターズの頭文字Fは、前身・フライヤーズのFでもあります。
札幌ファイターズ、くぅ〜、かっこいいねぇ。

2002年6月14日(金)

チュニジア×日本。この試合に勝つ、引き分ける、あるいは負けても1点差なら日本が決勝トーナメントに進出できる。
この大事な一戦は大阪の長居陸上競技場で行われる。私が住んでいるところから非常に近い。
もちろん行かない訳にはいきません。ちなみに12日のナイジェリア×イングランドも行きました。
JR我孫子駅に自転車を置いて、たった1区間120円を使ってJR長居駅まで行く。
自転車を持っていくと、かなり通行の迷惑になるし、自転車を自由に置けないからね。
10時くらいの長居交差点はまだ静か。青のユニフォームで埋め尽くされていると思いきや、さにあらず。
ミスタードーナッツでとりあえず一休み。隣にいたお姉ちゃん二人組に突撃インタヴュー(?)。
彼女らは名古屋から来たんですって。近鉄に乗って。しかも会社も休んで。
名古屋では豊田スタジアムがパブリックヴューイングに指定されていたが、
先の9日のロシア戦放映後、グラウンドに乱入した人がいたので中止になっちゃったわけだ。
本当ならばそこで観る予定だったが、仕方がないので大阪まで来ちゃったらしいです。
うち一人は乱入者に対してかなり怒っているようだ。そりゃ当然だろうなあ。
せっかくの楽しみをココロない人によって奪われるとは。しかし大阪まで来るとはオソレいります。
名古屋はグラウンドに乱入する伝統?があるところです。これは1999年のドラゴンズ優勝時に目の当たりにした。

この日は名古屋からだけでなく、日本全国からサポーターが集結していた。
そして外国人の方々も来ていて、いろんなモノを露店で売っていた。
各国ユニフォーム、バッジ、シール、ハチマキ、帽子、国旗、ホイッスル、チケットホルダー。
公園内の露店は警察によって排除された。
開場の待ち列に行ってみると、青いサポーターたちが何人か陣取っていた。
一番早い人で12日から並んでいるのだが、かなり遅い感じがするのは、やはり指定席だからだろう。
去年のバファローズの自由席の先頭はもっともっと早くから並んでいたからね。12日に試合をしたというのもあるか。
西田辺まで行ったが、その間、チュニジアサポーターはほんの数人しかみかけなかった。
地下鉄西田辺駅、JR鶴ヶ丘駅はホーム側指定駅(この日のホームは一応チュニジア)だが、そのほとんどが青。
チュニジアサポーターはバスを使っていくらか来るようだ。
あびこ筋から一つ裏の露地に入ると、普通の平日という感じ。人通りもほとんどない。
ここも一応駐車禁止区域になっているので警備の人やボランティアの方々もいたが、ずいぶん暇そうだ。
JR長居駅前まで歩くと人が増え始める。長居商店街は人で溢れている。
12日は閑散としていたが、これはほとんどの店が水曜定休だからで、特にフーリガン対策ではなかったようだ。
この日は普段と同じような賑わい。スタジアムとは逆側なので、あまり人も流れてこないようだ。
ただしJR長居駅と地下鉄長居駅の間の一画はたいへんな込みよう。
朝はあまりみかけなかった青のユニフォームも、14時にはほとんど青だらけになっていた。

試合開始近くになってきたので、スタジアムの近くまで行く。人が多いかなと思ったが、動けないほどではない。
多くの人が携帯用テレビを持って来ており、その後ろに人だかりができる。このような人だかりはいくつもみられた。
前半は両チーム無得点で大きな盛り上がりはなし。
ずっと「ニッポン、ニッポン」とか言い続けるのかな?と思っていたが、テレビ観戦に夢中で、あまり聞かれなかった。
盛り上がりとしてはスタジアム周辺よりもパブリックヴューイングの方が上だったと思います。
後半開始早々、セレッソ大阪の森島選手が先制ゴール!これには大いに盛り上がる。
ビールかけとかも行われたが、しばらくしたらまた普通にテレビ観戦。
後半30分の追加点も、そして試合終了も、思っていたほどの盛り上がりもなかった。
テレビで中継されていた映像は一時的なもので、ずっとあのような感じだったというわけではない。
スタジアムから出てくる観客も叫びながら、と思っていたが、なんか疲れた表情ですぐに帰途についていた。
12日の方が、イングランド人が大声をあげてスタジアムから出てきていた。
最も人が集中する長居交差点の付近も、騒いでいたのは一部の若者だけで、他はなかなか動かない列にイライラするだけだった。
スタジアムと地下鉄駅までの通路では、スタジアム観戦客とスタジアム外の市民とが混ざり合っていたが、
自転車に乗ってきている一般市民も多く、混雑によけい拍車をかけていた。
こんなところに自転車で乗り込んで来るとは。ド素人が(玄人の独り言)。
ペットを連れてきた市民もいるので、公園内にもなんらかの交通規制が必要だったのではなかろうか。

12日は長居交差点の付近でイングランド人が大量に酒を飲み、それに日本人が加わってわめきちらしていた。
アルゼンチンが敗退したのが非常に嬉しいみたいで、「バイバイ、アルゼンチーナ」とか言っていた。
日本人とも「サンキュー、イングラン」「アリガト、ニッポン」とエールの交換をしあっていた。
しかし彼らが飲むビールの量ははんぱではない。やたらとのみ散らす。
歩道でサッカーをしていて、ボールが車道に飛び出すというシーンもみられた。
公園内の木に登って歌をうたい、ビールをばらまいていた。少なくとも20時半までは騒いでいた。
一方、14日の観客はそそくさと家路についていた。
日本人は遠いところから来ていても帰れるのに対し、イングランド人は明らかに泊まるからだろうか。
騒いでいる人も少なかったが、この日多かったのは、選手を乗せたバスの見送り。
19時くらいに出てきたが、それを見送る人の多いこと。5000人くらいはいたかな。
ちなみに私は13日もスタジアムに練習しにくる選手団をみた。その時は約500人。

雨も降り始めたので家に帰る。カミナリが嫌い。
テレビで道頓堀の映像を見たが、すごい人だかりだ。おそらくスタンドの客も何人か流れているだろう。
堀に飛び込んだのは今日の未明までにのべ900人だって。すごい数です。
去年の大阪近鉄バファローズ優勝時とは比べものにならない。
今年阪神タイガースが優勝しても、それほどまではいかないと思う。
やはり日本代表があるというのは羨ましい。

2002年6月11日(火)

FIFAワールドカップの大阪での初試合を前日に控えたこの日、スタジアムを見に行った。
国内10会場のうち、最も遅い初お目見えだ。
札幌、茨城と、すでに全日程を終了してしまった会場もあるのに、まだこれから3試合も行われようとする会場もある。
しかも近畿地方、運悪く梅雨入りをしてしまったようだ。
いままではカラカラの快晴だったが、もしかしたら明日は雨の中の試合になるかもしれない。
試合日程がよくわからない今回の国際大会である。
今日も雨にぬれながら長居公園まで傘をさして自転車に乗っていった。
長居公園は今月2日以来、9日ぶりになるのだろうか。その時と比べて、かなり準備が整っていた。
まあ明日試合があるのだから当然なのだが。
でもまだ柵とかいろいろなことが残されているようで、雨のなか作業が進められていた。
スタジアム周辺はもう立入禁止。スケボーやダンスもできない。警備員も多くいた。
あと外国から来た方々もちょくちょく見かけた。
スタジアム北側入口の近くではおそらくイングランドであろう、そこのテレビ局がスタンバっていた。
スタジアムすぐ西のケンタッキーでは、これもおそらくイングランドの人であろう、その人がチキンを食べていた。
長居プールは開催日は臨時休業で、長居駅の駐輪場も開催日は閉鎖される。
スタジアム北西の工事現場は、開催日は「W杯作業所閉所」と出されていた。
神戸にもあったチケットチェック場もあり、それが公園入口からかなり近いので、スタジアムの近辺には行けないようだ。
これは仕方がないことでしょうね。でも残念。
いよいよ大会を明日に控えたという感じの長居でした。

試合を観に行けない人のために大画面を使って映像を中継するパブリック・ヴューなるものを各地でやっているのだが、
先の日本×ロシアではいろんなところでトラブルがおこったようだ。
私も実家の岐阜に帰ってその試合と、試合後の列島の熱狂ぶりをみていたが、
豊田スタジアムではそのお国柄か、やはり試合終了後、グラウンドに人がなだれ込んでいたようだ。
この光景は1999年9月30日のナゴヤドームでも直にみたので、やはりおこったか、という程度だった。
ところが、今回のこのような騒動を受けて、以降の公開中継を中止してしまったところもある。
さいたま市の駒場スタジアムと、広島のビッグアーチ、そして豊田スタジアムだ。
一部のファンの心ない行動によって、多くのサポーターの楽しみが奪われてしまった。
今後このようなことのないよう、サポーターも自制を心掛けてほしい。
でも大阪ドームではやるみたいです。

2002年6月9日(日)

この日は法事。午前10時半に始まり、午後2時半には終わったので、さっそく少年野球に行く。
この日のグラウンドは東公民館。もともと小学校があったのだが、併合されて富加小学校に移された。
もと小学校のグラウンドなので、広いかと思ったら、そうでもなかった。あれ、こんなに狭かったっけ?
どれくらい狭いかというと、グラウンドのほぼ全域をダイヤモンドで埋め尽くすくらい。
ライトとレフトの後方はまだ20mほどグラウンドがあるが、セカンドベースのすぐ後ろは体育館。
このような狭さなので、練習といえばキャッチボールか走塁練習くらいしかできない。
ちなみに、富加小学校はというと、五年生と六年生が使用してた。
私が着いたときはもう3時で、練習はあと1時間。何をしたかといえば、バッティング練習。
もちろんグラウンドに向かって打てるわけはないので、ネットに向かって打っていた。
子どもたちはノックやキャッチボールよりもやはりバッティング練習が好きなようだ。
だがまだなかなかバットをうまく扱えない。
監督がトスをあげているのだが、1球、打球が監督の顔面をめがけて飛んでいった。
もちろんよけることもできず、ほおにぶち当たる。監督業もたいへんだなあ。
そういえば、この日は親が多く来ていた。
あとで小学校の方にも行ったが、そっちにも多くの親がいた。バッティングマシンで一緒に打っていた。
いいなあ、楽しそうで。
その夜、FIFAワールドカップの日本×ロシアを観る。日本がW杯初勝利。これで決勝トーナメント進出に大きく前進!
6月14日にチュニジア戦があるが、これも大阪・長居陸上競技場。
ここで引き分けても決勝トーナメント進出は果たせる。
予選リーグ敗退にともなう日本サポーターの暴徒化が懸念されたが、イングランドに続きこちらも大丈夫そう。
ただ、こちらも負けた場合、どうなるかが心配。期待が大きいだけに、もし敗退となると絶望も大きいからなあ…

2002年6月8日(土)

少年野球のお手伝いに行く。
2002年4月の観戦日記にも書いたが、旧友のTクンが少年野球の監督をしているのだ。
午後1時から小学校ということなので、その約5分前くらいに行く。
一ヶ月ぶり2回目の顔出しだが、ガキンチョどもは私の顔を覚えてくれていたようだ。
この日の参加者は、小学生10名、監督、コーチ、お手伝いのお母さん方、そして私。
小学校のグラウンドを使うのだが、このグラウンド、かなり石ころが落ちている。
子どもたちがキャッチボールやベースランニングをしている間、石拾いをしていた。
小指サイズの大きさだが、イレギュラーとかしたら練習にならないからね。
キャッチボールが相変わらず雑だ。特に距離を伸ばした場合、めちゃくちゃに投げよる。
相手の胸をめがけてなげるのではなく、目一杯投げている。そしてどこかに飛んで行く。
それでもこの一ヶ月でかなり上達したみたいだった。
その後、ベースランニング、ノック、走塁練習、走塁コーチ練習をしていた。
今回はわざわざ大阪からグローブを持っていった。やはり自分のグローブが一番いい。
最後にランニングをしてトンボをかけて終了なのだが、なぜ石ころが多いのか、その理由がわかった。
トンボをグラウンドの外から持ってくるのだが、そこからトンボをかけるので、
グラウンドの外から石ころを持ってきちゃうのだ。なので、石ころが窪地にたまる。
グラウンドは都会の人が羨ましがるほど広いのだが、凹凸もけっこうある。
凹凸をなくしてもらいたい、石ころを一斉に片づけたいと思うのだが、これって贅沢な悩みなのだろうか?

2002年6月7日(金)

祖母の法事のため、実家に帰る。
FIFAワールドカップ、今大会で最も注目されているカード、アルゼンチン×イングランドが札幌ドームで行われた。
いろいろと懸念されていた対戦だが、イングランドが1-0で勝利。
おかげで歓楽街すすきのは、夜遅くまで騒ぎは耐えなかったものの、心配されていたフーリガン暴動もたいしたものがおこらず。
これで今年から北海道警に就職したYちゃん、一安心。
イングランドの勝利とアルゼンチンの経済危機のおかげか。
イングランド・サポーターはかなり好戦的で、試合前にアルゼンチン国歌が流されている時も、
試合序盤にアルゼンチンがボールをもっただけでもブーイング。
このようななかどのようになるかと思われたが、イングランドが先取点を奪い、後半は防戦一方だったが、辛くも逃げ切る。
もし、後半に同点に追いつかれ、そのままの勢いで逆転されていたら、すすきのはどうなっていたのだろう。
とりあえずそんな状況にならなくてよかった。
おかげさまで今度の12日の大阪・長居での試合も、よほどのことが起こらなければフーリガン暴動も起きないだろう。
イングランドは引き分けでも決勝トーナメント進出が果たせるからね。
ただ、イングランドがナイジェリアに大差で負けて、アルゼンチンとスウェーデンが引き分けて、
得失点差、あるいは得点差でイングランドが決勝トーナメント進出できなくなった場合、どうだろう。
両試合は同時に行われるので、ほぼ同時に終わるとみられる。もう一方の結果はすぐにわかるであろう。
イングランドが負けて決勝トーナメント進出ができないとわかった場合、
もしくはイングランドが単に負けた場合でも、ひょっとしたら勝っても試合内容が悪かった場合、
いったい何がおこるかわからない。
イングランド・サポーターは日本にかなりの人数が来ているらしい。
新聞報道によると、札幌には7,000人もが集まったようだ。警備の数も7,000人。
さて、大阪には何人来るのだろう?決勝トーナメント進出がかかった重要な一戦だからなあ。

2002年6月5日(水)

FIFAワールドカップ、ロシア×チュニジアが行われる神戸ウィングスタジアムに行った。
まあ行ったといっても観戦したわけではなく、行われているのを観に行っただけだが。
なぜ観にいったかというと、日本と同じH組の両者の対戦だから、というわけではなく、関西で初のW杯だから。
関西は大阪と神戸が会場となっているが、大阪の初戦は12日である。
しかし、これって少しおかしいのではないか?
新潟、埼玉、札幌は5日までにすでに2試合行われたのに対し、多くのところではまだ1試合も行われていない。
特に札幌では7日までに全3試合が行われてしまう。まだ大阪で1試合も行われていないのに。この差はいったい何なんだろう?
芝の管理の問題などもあるので、試合間隔はあけておいた方がいいと思うが。そんな疑問をもつのは当然だろう。
さて、いろいろみてきたわけだが、気になったことをいくつかあげよう。
JR兵庫駅で降りてそこからテクテクと歩いたわけだが、
テレビのニュースでよくみかけた「チケット売って下さい」とプレートを掲げた人はまったくいなかった。少しがっかり。
でも、スタジアムの近くでカナダの国旗をまとった外人(たぶんカナダ人)が「SELL THE TICKET」のプレートを掲げていた。
私もコンビニの前で「チケット余っていませんか?」と声をかけられた。
チケットを持っていないのに、チケットが余っているはずもない。
ただ、チケット問題がくすぶっているのだが、スタジアム周辺ではそのような混乱はあまりみかけなかった。
スタジアムのシートごとに交通機関が指定されている。NとEはJR兵庫駅、SとWは地下鉄御崎公園駅が指定されている。
でもこの両駅とスタジアムまでの距離はかなり違う。前者が25分なのに対し、後者はたったの5分。
もちろんNE席でも御崎公園駅で降りる人が多かった。御崎公園駅からスタジアムまでの人の流れはかなり多かった。
一方でスタジアム周辺では交通規制がなされていたので、車道の通りは少なかった。
歩道と車道の対照がすごかった。これはスタジアム南にある歩道橋の上から見れば一目瞭然。
この歩道橋からの眺めはかなり楽しかった。ロシアとチュニジアのサポーターが派手な身なりで次々とやってくる。
それをみているだけでも面白かった。ふと、どこかでみかけた顔が見受けられた。
よくみると川平慈英と角澤アナウンサーだった。ニュースステーションの取材で、両国サポーターにインタヴューをしていた。
放映の順ではロシア→チュニジアだったが、実際はチュニジア→ロシアの順でインタヴューしていました。
ここでみていると、警備員に「報道陣以外は出てって」と言われる。仕方なく退散。
入場ゲートに行く。ここでもちものチェックと金属探知器でチェックされる。ペットボトルなどは紙コップに移し替えられる。
チケットに明記されている名前のチェックはしない、とテレビできいていたが、この日もまったくしていなかったようだ。
おそらく何万人も来るので、そんなことをやっている暇などないのであろう。
しかしこれはおかしい。いったい何のための身元チェックで、何のためにチケットに名前や生年月日などをいれたのだろうか。
今回のフーリガン対策の大きな3つの柱として、入国管理拒否、IDチェック、スポッターの協力、があげられているが、
その1つのIDチェックをしないのは、危険を未然に防げなくなってしまうのではないか。
身元を確認せずにチケットを発行してしまうと、やすやすと要注意人物がスタジアムに入れてしまう。
これは今回取りざたされているチケット販売についても同様のことがいえるであろう。
空席があるとはいえ、やすやすとチケットを入手できるというのは、今回のIDチェックの意味をほとんどなくしてしまっている。
また、最近問題視されている個人情報の管理という点からみても、どうなんだろうなあと言わざるをえない。
おそらく購入段階で身元チェックしているのは当然なのだろうが、安全対策に一貫性がない。
そういえばスポッター、みかけなかったな。あからさまな格好をしていないだけなのかな?
15:30、試合が始まった。それと同時に公園から追い出された。
SWゲートの前を少し離れている間に、何かトラブルがあったようで、数人の若い男性が公園のすぐ前の交番に詰められていた。
何が起こったのかわからないが、少し騒然としている。歩道橋も警備員によって進入禁止となった。
スクリーンビジョンとかもないので、試合中はスタジアムを眺めている他にない。
しかいこのスタジアム、かなり住宅地に近いな。というよりもスタンドのすぐ後ろが住宅団地である。
長居陸上競技場よりも近く、おそらく国内10会場で最も住宅に近いスタジアムではなかろうか。
なんせ、南側サイドスタンドと、そのすぐ南にある神戸市営御崎西住宅とは10mも離れていない。
よくこんなところにスタジアムを造ったよな。唖然とする。
スタジアムの周りでは中に入れない人が数百人うろついていた。もちろん私もその一人。
新聞社はそういう人にインタヴューをしていた。チケット問題に対しての憤りとかを答えさせたかったようだ。
はっきりいって誘導尋問でした。でもそういう記事がいまは欲しいんだろうなあ。
試合中、2台のパトカーが公園内にはいっていった。事故とかではなく、熱射病や脱水症状みたいだ。
この日はかなり暑かったようで、スタンド内はさらに熱をおびているので、そのせいで倒れてしまったのだろうか。
試合終了15分前くらいにはスタンドからポツポツと人が出始める。帰りの混雑を避けたのだろう。
試合終了後の17:20にはスタンドから一気に観客が出てくる。私は通行のジャマにならないところに移動。
通行規制のために設けられた二重の柵に手をかけてもたれていると、ツンツンと手を触られた。
振り返ってみると、おそらくロシア人が何やら怒っている。柵を指差し、出口を指差し、頭を指差した。
「ole no sushi wo cuta noha omaeka?」
何を言っているのかわからないが、おそらくこういっているのだろう。
「通行のジャマだから柵をどけろ、出口が狭いじゃないか。頭がおかしいんじゃないか?」
でも私に言われてもどうしようもない。出口にいた警備員も日本人に悪態をつかれていた。
しかしこれは先に神戸で行われた試合の反省点を受けてのものである。
その日はかなり観戦客からブーイングが出たので、スタンド外を広くし、出口まで徐々に狭めたのである。
確かに、大集団で駅に追し寄せても、列車の収容人員は限られているので、よけい混乱するおそれがある。
今回のこの措置は正しかったように思う。たいしたトラブルも見られなかったし。
40分後にはスタンド外もかなり空いて、50分後にはまったく人がはけた。
ただし駅に通じる道はまだ混雑している。私もそれについていくと、いつの間にか私の後ろに婦警さんが50人あまりもいた。
これにはビックリした。
今回はかなりの警察官、警備員が繰り出されたと思うが、こんなに大勢いると、騒ぎを起こす気がなくなる。
というか、ひいてしまう。ゾッとする光景です。
駅がまだ混んでいるようなので、暇をつぶすことに。スタジアムの西側に何やら人だかりが。
おそらくスタジアムから出てくる両国選手のバスを待っているのだろう。私も待つことに。
18:39、チュニジア選手団を乗せた奈良交通のバスが出発。キャンプ地は橿原だからね。
しかし奈良交通、なかなかやるな。千葉ロッテマリーンズだけじゃないな。
次のロシア選手団を待っていると、同じ所から例の大型の透明盾をもった警官がわんさか出てくる。
今回はどうやら出番がなかったようだ。ずっと出番がなければいいのだが。
19:03、ロシアの選手団が出てくる。モストヴォイとかがいたようだが、誰が誰だかわからん。
その後、おとなしく帰宅。夜の三宮をみたかったが、疲れたのでとっとと帰る。
しかし、いろいろみられてよかったなあ。ちなみに結果は2-0でロシアが勝利。

2002年6月4日(火)

昨日、K氏に中モズ球場のコンクリート片を差し上げた。
氏は南海ホークスのファンだからね。同じく南海ホークスファンの某助教授にも差し上げる予定。
ところで昨日、K氏からこんなことを言われた。
「しかし、去年のバファローズといい、今年のワールドカップといい、結構ミーハーやね」
どうやらこのサイトでもわかる通り、ワールドカップモードに入っていることを皮肉っているようだ。
でもね、世界中の国・地域から人々が集まるようなこんな機会、めったにというかもう一生ないでしょう。
今度FIFAワールドカップが日本で開催されるとしたら、何年後になる?下手すればこれから先、全くないかもしれない。
そのようなイベントがしかも大学のすぐ近くの長居陸上競技場で行われるのだから、
スポーツを研究(?)している者にとってこのような絶大なチャンスを逃してもよいものだろうか?
私はサッカーという競技自体にはあまり興味を示さなかったが、
こうしてキャンプ地などを紹介し、実際に訪問したりすることなどによって徐々に関心を示し始めている。
もしそうしていなかったら、普通の海外で行われるオリンピックなどのイベント、
あるいは日本で開催されたものの、結局は身近に感じられなかった1998年冬季オリンピック長野大会のように、
いつの間にか始まり、何気なく大会期間が過ぎ、そして何の実感のないまま終わってしまうことにもなりうる。
まあ、このサイトでキャンプ地を紹介しているのは、自分に対する一種の動機づけであって、
みなさんに理解をしてもらおうとしているのではありません。
しかし、FIFAワールド期間中にプロ野球が途切れ途切れになるのはどうしたものか。
例えば、今日みたいに日本戦が行われる日は、視聴率ではどうせ勝てないだろうし、サッカーをみたいプロ野球選手のためにも(?)
試合がなくてもいいのだが、昨日みたいな日に一試合もないのは、プロ野球ファンにもアンチサッカーファンにも困ったものである。
現在のプロ野球は三連戦を基本としているので、日本戦に譲歩すると変則的な日程になってしまうことはわかりきっていたことだから、
この期間を有意義に使うには、両リーグによる交流戦しかなかっただろうに。
まだ交流戦の実現には障害があることはわかっているが、ホーム&アウェイで各チームが別のリーグのチームと当たれば、
各12試合行われることになる。
12試合で12日だと、一ヶ月もあれば充分だし、何よりも珍しい対戦カードなので、少なくとも現状ほど間延びはしない。
FIFAワールドカップは金曜日に始まったが、土日に行われたプロ野球もかなりの人が入っていた。
6月は開幕から2ヶ月も経ち、蒸し暑さもともなって、プロ野球の関心が低くなる時期でもある。
今年は特にFIFAワールドカップというビッグイベントが日本でも開催されるので、プロ野球の関心が低くなるのは当然である。
ひょっとしたら、今回は交流戦の最大の機会だったのかもしれない。そして、それを逸してしまったのかもしれない。
惜しいことをしたなぁ!

2002年6月3日(月)

「野球場誌」に「田辺グリーン球場」を載せる。
田辺市立市民球場のことを書こうと思い、地名事典を調べたら、なんとビックリ!
南海ホークスのキャンプ地だったところは、市民球場ではなくグリーン球場だということが判明。
字名までも同じだが、市民球場が海のすぐ近くにあるのに対し、グリーン球場は山にある。
当時のキャンプ地を報じた新聞の記録からも、野球場の完成年から、どうやらキャンプ地はグリーン球場のようだ。
これはかなり知られていないことかもしれない。というか田辺でキャンプを張っていたかもあまり知られていないだろう。
田辺の前は高知県大方町がキャンプ地だったことはさらに知られていないでしょう。

2002年6月1日(土)

教室の春巡検で橿原に行き、ふたたびチュニジアのキャンプ地をみてきました。
この日の練習は非公開。もう公開してくれないだろう。
午前も午後も練習非公開とあったが、14時くらいに行ったが練習している気配はなかった。
暑いからかな。
一週間前にあったパビリオン(?)も閉鎖されていた。これを観たかったのに、残念。
人もかなりまばら。観光客よりも案内係の方が多かった。
まあ、FIFAワールドカップに関心がある人は、家でもゆっくりテレビ観戦しているわな。

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