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2002年12月

2002年12月26日(木)

昨日『レコードブック2003』を買いました。2003といっても、載せられているデータは2002年度のものです。
まだあまり見てませんが、今までのに比べると、厚さはかわりませんが、用紙サイズが大きくなりました。
これは各試合ごとの打者の一打席ごとの記録が載せられてあるためです。
だからドラゴンズ・川上投手のノーヒットノーランの記録も各打者ごとに見ることができてなかなかです。
でもこれ、去年欲しかったなあ。そしたら、例の代打逆転サヨナラ満塁優勝ホームランの記録も見れたのに…
これを手に入れたので、「昭和48年会」の記録とかも換えなければなりませんが、今年中には無理です。
そろそろ実家に帰りますから。なのでこの更新は来年になるかな。できるだけ早く更新したいと思っております。
実家に帰ったら正眼寺に行こうかと思います。
知っている方はわずかだと思いますが、ここは「野球の聖地」の一つといっても過言ではありません。
ジャイアンツV9監督の川上哲治氏が監督就任前に修行に訪れたことのあるお寺です。
ここで修行をしたからこそV9が達成できた、とまでは言えませんが、
ここで修行してなかったらV9は達成できなかった、と言うことはできます。
なぜならば、修行→V9、の過程はかえられようもない事実だから。それぞれが独立した事象であっても。
正眼寺は岐阜県美濃加茂市にあります。美濃加茂市のなかでも北の方の伊深町にあります。
私の実家は岐阜県富加町ですが、伊深町は隣の町ですし、中学校区が同じなのです。
なので私の出身中学校は、美濃加茂市富加町組合立双葉中学校、といいます。
正眼寺には中学校のときに行ったことがありますが、これが今まで行ったことのあるなかで最後でした。
約14年ぶりの訪問です。
私が富加町に住んでいたときは、正眼寺と川上氏との関係はまったく知りませんでした。
正眼寺と野球の関係では、正眼寺短期大学野球部の
「しょ〜げんじたんだい、オッチ、オッチ、オチオッチ」
の掛声くらいなものでした。
いったいどの範囲まで見られるかはわかりませんが、何か思い出話をききたいところです。
住職さんでも近所のおばさんでも。

今年はこれで最後です。よいお年を。

2002年12月21日(土)

中村紀洋選手の大阪近鉄バファローズ残留が決まった。
同じくFA宣言した元読売ジャイアンツ・松井選手がほぼニューヨークヤンキースに入るものとわかっていたのに比べ、
中村選手の動向はかなり流動的だった。
特に大阪では、あたかも阪神タイガースに入ることが当たり前のような書き方をしていたので、
それに対して頭にきつつも(11月27日に書いている)、そうなるのかなあと思っていた。
ところがニューヨークメッツからのオファーがあり、ネット上では「メッツ内定」とも書かれていた。
それはデマであったようだが、その動きに注目を注がれていたことには変わりない。
昨日フジテレビ系列の「すぽると」を観ていると、中村選手が電話で出演して、あるチームに入団を固めたことを語った。
決めたチームは語らなかったが(確かにここで話されても面白くない)、
「松井君にはメジャーで頑張ってほしい」という内容からすると、国内残留であることはわかった。
そして今日の発表。バファローズへの残留。
結局は元のところに落ち着いたことになり、一連のあの騒動はいったい何だったということになる。
確かに一ヶ月半もの間、かなりいろいろ報道されており、その去就が注目されていた。
松井選手が代理人と契約してからはほとんど主だった動きを示さないのと対照的だった。
バファローズへの残留。残留の理由はいろいろあるだろう。
でも紀ちゃん、最初からバファローズを出て行く気がなかったんじゃないの?
そう考えれば非常に落ち着くよね。
「中村紀洋というブランドを近鉄だけで終わらせてよいか」という発言を最初にしたので、
これは残留はないなと思われたかもしれないが、紀ちゃんはずっと候補の第一として近鉄を挙げていた。
巨人よりも阪神よりもメジャーよりも。
今回の決着で、阪神タイガースもニューヨークメッツもこかされたのだが、
本当は読売ジャイアンツも一緒にこかせたかったんだろうね。
阪神タイガースは国内で2番目に人気のある球団。メッツは今回の件ではメジャーリーグの代表といえるだろう。
そして日本一でオーナーが困ったちゃんの読売ジャイアンツ。
読売ジャイアンツは早々にもペタジーニ選手を獲得してしたので、手は挙げたがもう獲得する意図はなし。
紀ちゃんから断ったとされているが、ジャイアンツサイドから今回の件はなかったことにと考えたほうがいいだろう。
国内外からの人気チームからオファーを受けて、それをまとめてこかす。
紀ちゃんはこれがやりたかったんだろうね。まあもちろん自分の評価を聞きたいということもあっただろうけど。
やっぱり残念なのは、ジャイアンツも一緒にこかせて欲しかったというところかな。
そしたら愉快痛快だったのに。
まあやられる身としてはたまったもんじゃないだろうけどね。

なにはともあれ紀ちゃんが残留したことで、来年以降も大阪ドームで紀ちゃんを観られることになった。
今回の件でかなりの注目を浴びたので、紀ちゃんの知名度も、バファローズに認知度も上がったことだろう。
バファローズにしては営業面でもプラスだったのかもしれない。
でも国内に移籍して、年俸×1.5をもらった方が良かったのかな? 大塚投手も結局残留みたいだし。
どうやら紀ちゃんがいなければ日本一にはなれないらしい。
私もバファローズの日本一をみたいなあ。
これからも応援するよ。

2002年12月8日(日)

この日も堺市地域スポーツ指導者養成講座で、家原大池体育館に行った。
うちの大学の先生が講義をするようだ。もちろん文学部ではない。地理学のわけはない。体育の先生だ。
午後から地理学教室の同窓会があったので背広で行ったのだが、こんなの着てくるんじゃなかったな、と思った。
それは講義だけでなく実技もあるからだ。それを知っていたら別の格好で来たのにな。
ちなみに前日に車椅子ハンドボールをやったので背中が痛かった。
下半身はなんともないのだが、上半身がきしむきしむ。指導者の方がおっしゃられた通りになった。
他の人も同じであった。
ところが50歳代の男性は同じ運動をしたにもかかわらず痛くないって。
この男性、フルマラソンを走る方なので、あれくらいの運動はなんともないのか。おそれいります。
さて講義だが、内容は整体法なるもの。
こうしてこうしてこうすれば前屈がより曲がるようになるとかいうもの。
はっきりいってこれには驚いた。確かにそうなるのだ!
なぜだかわからない。講義の先生にもわからない。そうなるのだからそうなるのだ。
先生は鍼灸などの東洋医学に関心があるのだが、おっしゃるには
「これは非科学ではない、未科学である。科学的に説明がつくのが科学ではない。理屈よりも事実が大切なのだ」
なるほど、その通りかもしれない。
世の中には科学では説明がつかないことがたくさんある。
しかしそれは本当は科学では説明がつかないのではなく、まだ説明がついていないだけである。まだ発展段階なのですね。
先生の食事は、生のにんじん、だいこんと、玄米を粉にしたもの。これだけ。
カロリーは少ないけど、これだけで充分なんだって。これだけで一日中スキーを滑れるんだって。
火を通したものよりも生の方がいいんだって。生の方がエネルギーが高いんだって。
仙人は霞を食べて生きていたらしいが、先生の話を聞いていたらあながちウソでもなさそう。
口がうまいのか、本当にそうなのか。
本当にそうにしてもそういう生活はできないだろうなあ。
先生はエネルギーというか「気」を強調していた。なににおいても気が重要だと。
今回は理論的にはよくわからなかったが、よくわからなくてもいい。大切なのはそうなるという事実だ。
今回学んだことを今度誰かに試してみたいと思う。たぶん信じられないだろうが、本当にそうなってしまうのです。
何がそうなるかというのはうまいこと書けないけど。

2002年12月7日(土)

これを書いているのは12日です。またも書くのが遅れた。

この日は堺市地域スポーツ指導者養成講座があり、泉北ニュータウンのファインプラザというところへ行った。
ファインプラザは大阪府立障害者交流促進センターで、その名の通り、障害者と健常者が交流を図る場所だ。
そこで何をしたかといえば、車椅子ハンドボールなるものをしました。
車椅子ハンドボールとはその名の通り、車椅子を使ったハンドボール。
コートもゴール枠も普通のハンドボールのよりも少し小さいんだったかな。
車椅子に乗ってハンドボールをするわけだが、車椅子に乗ること自体が初めて。それでいてボールを使えだなんて…
でも車椅子はけっこううまく乗れましたコツをつかめば大丈夫ですね。
右回り左回りも、まわりたい方向のタイヤを止めて、逆のタイヤを回せば楽々。
バックで一度倒れそうになった。重心を後ろにかけすぎていたから。
ルールは車椅子ならではのものが多い。
ボールを持ってからタイヤを3回以上まわしてはいけない。方向転換の時のも含む。
しかし3回まわして車椅子が動いている状態でならボールを持っていてもOK。上手い人はこれができる。
床についた状態のボールは前方から取りにいってはいけない。衝突を防ぐためだ。
横から取らなければならないが、これも上手い人だとスッと横につけて、スッとボールを拾う。
こっちの方が近くにいてもすぐに取られてしまう。これはスゴイ。
ボールが宙に浮いている状態であれば前からとってもよい。
足を床につけてはならない。ただし、車椅子を動かすのに足をつかなければならない人は例外。
ボールをけってもならない。オフサイドなどはなし。バックパスもなしだったかな。スローフォワードの禁止ももちろんなし。
上手い人を見ていると車椅子のスピードだけでなく、いろんなことが上手。守りに帰るのも早い。
競技中、私はぶつかることはなかったが、他の受講生はぶつかったり、中には後ろに倒れる人もいた。これは怖い。
競技者は普段から車椅子を使っている人ばかりではなく、大学でハンドボールを経験している人もいた。
今回の指導者の方が元ハンドボール選手で、その教え子みたいだ。
健常者を含めた車椅子ハンドボール大会がこの前の11月に行われたみたいだ。
ファインプラザの選手も参加して、3位をおさめていたという。

スポーツをする権利は誰にでもある。
失われた機能を嘆くよりも、残された機能を最大限に活かせ。
それが今回学んだことであった。なるほどその通り。

2002年12月5日(木)

「平成期の使用球場」に2001年のを加える。2002年ではなく2001年です。
1年間くらいほっておいたのね。『ベースボールレコードブック2002』をみれば10分くらいでできるのに。
『ベースボールレコードブック2003』は12月中旬に発売されるみたいですね。
もう発売されていると思って本屋をいくつか訪ねてみたが、ないはずだわなこりゃ。
2003を入手したら、「平成期の使用球場」だけでなく「昭和48年会」の成績も変えなければなりませんね。
同い年は今年も活躍をしてくれたけど、投手が少ないのが難点かな。
マリーンズ・黒木知投手は登板できず、ベイスターズ・三浦投手もいまいち。海の向こうのドジャース・石井投手くらいかな、頑張ったのは。
野手は紀ちゃんとかガッツとかは良かったけど、ホークス・松中くんはパッとしなかったし、マリーンズ・小坂選手もケガで出遅れた。
去年大活躍のバファローズ・礒部選手も今年はもう一つだった。
その一方でジャイアンツ・清水選手が日本一のチームの先頭打者として大活躍をみせてくれた。
ベストナイン、今年は選考が難しそうだな。
あいかわらず捕手がいないし… マジでここだけが欠点。
さて年末はどうするかな。やはり野球場跡地めぐりですかねえ、Kさん、S(M)さん、Iさん。

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