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2003年11月

2003年11月20日(金)

また久しぶりの更新となってしまいました。前に書いたのが10月10日なので、40日ぶりの更新となりますな。
もちろんその間も野球に関していろんなことがありました。
まずは日本シリーズ。阪神タイガース×福岡ダイエーホークス。
もちろんスタンドで観戦することはできませんでしたが、第2戦目と第5戦目を除いては全部テレビ観戦していました。
さすがに両方とも人気チームということがあってスゴイ声援でした。
タイガースは福岡で連敗して甲子園に帰って来たけど、甲子園での3戦はいずれもしびれた試合でした。
両者互角で終盤までもつれ、最後の最後にタイガースが決める。
いずれも1点差勝ちで、しかもサヨナラが2試合。やはり甲子園のタイガースは強い。
3勝2敗で再び福岡に行ったものの、第6戦で負けて、最後の最後、第7戦でも負け。
残念ながら阪神タイガースの日本一はならず。星野監督の日本一の胴上げもならず。応援していたのになぁ。
でも7試合までもつれた日本シリーズは1993年以来ちょうど10年ぶりで、近年にはない白熱した対戦でした。
最近のはどちらかが一方的で終わるシリーズが多かったからなぁ。
全てホームチームが勝ったというのが非常にインパクトに残りました。やはりホームの力は大きいんでしょうね。
11月3日には阪神タイガースの御堂筋パレードを見てきました。これについては別に書きました。
そして昨日がドラフト会議。残念ながら私は指名されなかった。
それはともかく、岐阜県の高校から2巡目までで3名も指名された。これはもしかしたら史上初のことではないかな?
一人目はドラゴンズ1巡目指名、中京高の中川内野手。
二人目はライオンズ2巡目指名の県立岐阜商業の黒瀬内野手。
三人目はホークス2巡目指名の中京高の城所外野手。
去年の秋の神宮大会を制した中京高からは2名も上位指名があった。
特に中川選手には地元&ドラゴンズということで大いに期待しておこう。
逆指名・自由獲得枠のおかげからか抽選がなくてドラフトっぽくなかったけど、
当人にしてみれば人生を決める一大事なのだから、クジビキを面白がっていてはいけませんね。

んで今日「観戦日記」を書こうとした理由は近況報告ではなく、オモシロイ資料を見つけたから。
それは航空写真。野球とは一見関係なさそうだけど、野球場の上から見た姿が載っています。
しかし野球場ってかなり目立ちますね。土地利用が普通と違うからかな。
スタンドはともかく、グラウンドの土と芝がかなり目立ちます。
今は「野球場誌」の「山本球場・国鉄八事球場」にも載っている「空から見た名古屋・岐阜とその周辺」を見ているのですが、
もちろん山本球場も載っていた。あいかわらずイビツな形です。
1982年発行なので、もちろんナゴヤ球場も載っている。近くの熱田球場もはっきりわかる。瑞穂陸上競技場は建設工事中か。へぇ。
でも残念ながら大須球場の跡地がどこだかわかりません。すっかり周りに溶け込んぢゃってます。
今回借りて来たのは以下の4冊。
西村蹊二監修(1980):『航空写真地図=空から見た横浜・鎌倉』日本交通公社出版事業局.
西村蹊二監修(1982):『航空写真地図=空から見た名古屋・岐阜とその周辺』日本交通公社出版事業局.
西村蹊二監修(1982):『航空写真地図/空から見た札幌・函館・小樽・室蘭・苫小牧と道南』日本交通公社出版事業局.
西村蹊二監修(1983):『航空写真地図/空から見た東京26市』日本交通公社出版事業局.
今回の4冊は適当に選んだのではなくて、図書館にあったのがこの4冊だったから。他にもあったら借りたかった。
野球場に関して何か面白いものが発見できれば、書いていこうかと思います。
しかし上から見るといろんなことがわかりますね。ここはこうだったのか、とか驚きがいっぱいです。
地図でもある程度わかるけど、地図でもわからないことがわかる場合も多い。

2003年11月3日(月・祝)

阪神タイガースのの御堂筋パレードを見て来た。
10時半から行なわれうのだが、かなりの人出が予想されるので、8時にはもう行って陣取っておかねばなるまい。
と思っていて起きたら8時半。こりゃ無理だな。
でも行ってみる。せっかくの機会だし、次はまた18年後かもしれないし(でも18年前はパレードなかった)。
本町で降りるのだが、そこへ行く電車がもうほとんど満員状態。タイガースのハッピや応援ユニフォームを着た人も多い。
やっぱりみんな行くんだね。そりゃそうか、タイガースファンでない私も行くんだから。
9時半くらいに本町で降りて地上に上がったら、すでに人、人、人。まあこれくらいの充分に予想していたけど。
たぶん8時に行っても前の方では見られなかったでしょうね。朝一くらいでないと。
面白かったのは、とあるお寺の前の階段が人で埋め尽くされていたこと。「スペイン広場」みたいなものです。
私はとある交差点に落ち着く。これ以上進んでも無理。
御堂筋は北から南への一方通行なので、スタートが淀屋橋で、本町を通ってゴールは心斎橋。スタートの淀屋橋周辺がイチバン人が多いらしい。
私が着いた時にはまだ人もマバラだったが(もちろん御堂筋沿いはいっぱいだったけど)、時間が経つにつれて人も集まりだした。
そしてヒドイことに、雨も降り始めた。最初はパラパラ程度だったけど、だんだん激しくなり、パレード開始数分前にピークに達した。
確かに家を出る時も少しは降っていたけど、それは気にならない程度。
一番いいのは全く降ってくれないことなんだろうけど、もし家を出る時にザーって降っていれば、多くの人が観に来なかっただろう。
なんせ地上波でTV放送するくらいだし。
パレードの直前になって本降り。これはもう最悪といえるだろう。今から家に戻ってももう遅いわけだし。
どうやら車が来たみたいなのでカサを閉じて歩道の柵を登って見学。
しばらくすると現われた。普通の車に乗っているのかな、前回の御堂筋パレード(これは1959年南海ホークスの)では車に乗っている鶴岡監督の写真もあるし
と思ったらフロート(トラックのようなもの)に乗っていた。よかった、これならけっこう遠くでも見られるわ。
一号車、星野監督がもちろんいるのだが、どうも進行方向左側を向いているみたい。私のいる方は右側。残念ながら反対側。
遠くてというよりは雨でメガネが濡れてよく見えなかったのが実感。番号で誰が誰だかわかるしまつ。
一号車通り過ぎ、二号車、三号車。これで終わり。時間にすると5分か10分くらいだったかな。
フロートのスピードは歩いているくらいゆっくりしていたけど、まあこんなもんなんだろうな。
良かったのは、直前までカサをさしていた前の人達が、パレードの時はしめてくれたこと。これでよく見られました。
確かにフロートが通る時はカサを閉じるようアナウンスされていたけど、これだけマナーがいいとは。大阪らしくもない。
すべて通り過ぎて終わり。ほんの10分くらいのことなのに朝早くから集まって、しかも雨に濡れてまで見る。
こんなこと他ではメッタにないよね。他の人達も雨で濡れたことよりも、選手をよく見られなかったことを嘆いていました。
帰りの地下鉄の混雑を恐れていました。行きであんなにいたくらいだから、帰りは一斉に帰るのでもっと人がいるだろうと。
しかし実際にはあまり乗っていませんでした。なんで?

家に帰ってから今度は神戸のパレードを見る。朝は大阪で、昼は神戸なのです。
天下の(?)サンテレビで見たけど、なんかスゴかった。どこからこんなにも来るかというくらいの人、人、人。
パレードする通り沿いだけでなく、そこに面するアーケードも人で埋め尽くされています。
さらに、道路沿いだけでなく、通り沿いのビルからも人が。なんか映像で見る方がスゴさを感じた。
確かに実際に行ってみても人の多さはわかったけど、残念ながら自分の目の届く範囲しか見られない。
しかしテレビだと、上からの映像、通りからの映像、そしてフロートからの映像などがあり、
さらにはフロートと一緒に映像も動くので、どれくらいの人がこのパレードを見にきたのか実感できます。
御堂筋の映像と見比べると、神戸の方が道路が狭い分、ファンと選手の距離が近かった。これは感じだけど、実際にもそうだったでしょう。
あんな距離にまで詰められるのなら、御堂筋ももっと詰めて欲しかったかな。そしたら私の後ろにいた人達も見られただろうに。

御堂筋と神戸の両パレードではいったい何万人の人が詰めかけたのだろう。
まだ発表は出ていないけど、前日の福岡でのホークスのパレードで約36万人のようだから、これよりはいっているだろう。
っと、いまYahooを見たら、御堂筋で約40万人(主催者発表)だって。思ったより少ないな。もっといくと思っていたのに。
神戸を含めたら何万人になるんだろう。1996年のブルーウェーブのパレードの時に神戸で16万人だったみたいだから、20万くらいかな。あわせて60万。
これで雨が降っていなかっタラ、晴れていレバ、もっともっと人が来たことだろうに。
野球にタラレバは禁物です。

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