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正式名称は不明だが、現在の石川県内灘町にあった粟ヶ崎遊園地内に所在した野球場。
1924年に浅野川電気鉄道が設立され、金沢駅から浅野川左岸沿いに鉄道敷設を行なった。1925年5月10日に七ッ屋−新須崎が開通、1929年までには金沢駅前から粟崎海岸まで全通した。
粟ヶ崎遊園地は社長の個人事業として1925年7月に開場した。西に海水浴場を控えた6万坪の砂丘に大広間、大劇場、レストラン、料亭、貸室、遊戯場、大浴場、動物園、そして野球場を備えた。
北陸の宝塚を目指したが、1929年の失火でほとんど焼失し、経営は順調にいかず、1933年12月に浅野川電気鉄道にその経営が引き継がれた。遊園地はやがて軍の施設に転用され、1944年3月29日に閉鎖され、その建物が軍需工場に売却された。浅野川電気鉄道は1920年10月1日に北陸鉄道に合併された。現在は北陸鉄道浅野川線として北鉄金沢−内灘が営業されている。
粟ヶ崎遊園地は現在、住宅地となっている。
資料:北陸鉄道株式会社社史編さん委員会編(1993):『北陸鉄道50年史』北陸鉄道.
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