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東山スタヂアム

 1948年は中日球場(のちのナゴヤ球場)が完成した年であるが、同じ年に名古屋でもう一つの野球場が完成した。これが東山スタヂアムである。
 『中日スタヂアム二十年』によると、東山スタヂアムの概要は以下のようにまとめられる。
 1947年8月16日に名古屋市長あてに東山の市有地9,342坪の借用願を出したのが設立計画のはじまりである。会社名も株式会社東山スタヂアムで、1948年2月11日に設立された。本社所在地は千種区覚王山通りとグラウンドから少し離れていた。9月3日に工事が完成し、翌4日に開場式が行われた。
 開場当日には東京六大学OB戦、ひきつづいて早明新人戦、早大招待野球などを催したが業績は芳しくなく、ことに排水工事が不備であったため興業が中止された。その後は社会人野球、女子プロ野球に貸すなどされた。しかし1949年12月8日に中日球場を運営する中部日本スタヂアムと合併することとなり、1950年3月1日に実施された。これと同時に東山スタヂアムの資本金は半減され、その分を中部日本スタヂアムに増資した。
 『中日スタヂアム二十年』での東山スタヂアムの記述は以上で終わっており、いつ野球場が廃止されたかはわからない。排水工事が不備とあるのは、この野球場が新池という池を埋めたところに造られたからである。残念ながらプロ野球公式戦は1試合も行われることはなかった。東山スタジアムの跡地には現在、県立東山工業高校が建てられている。

参考文献
石崎仁十編(1968):『中日スタヂアム二十年』中日スタヂアム株式会社,140p.

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