このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
刈谷球場は1950年6月1日に完成した。所在地は刈谷市城町である。城町とはその名の通り、かつて刈谷城があったところで、城跡一帯は現在亀城(きじょう)公園となっている。公園は本丸跡が中心で、二の丸跡と埋めたてられた堀を含めた一帯に刈谷球場が造られた。
この野球場が特徴的なのはその形状である。1971年発行の『体育施設全書 野球場』では両翼が91.8m、中堅が115.8mとこれだけでは何の変哲もないが、右中間および左中間は125.6mとかなり広い。これは左中間−中堅−右中間が一直線になっていることによる。なぜこのような形にしたかといえば、刈谷市が市民に野球だけでなくサッカーなど各種スポーツを行えるようにグラウンドを建設したからである。「1、3塁側観覧席のすぐ前でフットボールが行なえ」るとあることから、野球場というよりもサッカー専用の球技場といった感じだろうか。なお形状は角団扇形といい、このような形の野球場は他にはないといわれている。
刈谷市のホームページを見たところによると、 1950年は愛知県で第5回国民体育大会が開催された年で、刈谷はサッカー会場と指定されたようだ。もともと同地にグラウンドがあったところ、グラウンド整備として改修されて、刈谷市営競技場ができたそうである。ちなみに刈谷はもともとサッカーが盛んな街だという。
このような珍しい形をしていた野球場も、現在では改修されてごく普通の野球場となったようだ。なおサッカー場は市北部の市総合運動公園に新設された。
参考 : 刈谷市のホームページ http://www.city.kariya.aichi.jp/index.html
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |