このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
松本市野球場はかつて長野県営であったが、1989年1月1日に県市有地の相互譲与により松本市の施設となった。
完成は1926年(大正15年)9月21日。大正年代での公営野球場は極めて珍しい。
もともとは1924年の両陛下御成婚25年式典奉祝記念として、県知事が県議会に図書館および運動場の新設を提案したのがはじまりである。結局、長野市に図書館を、松本市に運動場を設けることに決議した。松本市は県の承諾を得て、兵営・練兵場の北方に開設することにした。運動場は大きくトラックフィールドと庭球場、そして野球場とに別れたが、野球場が置かれたのが浅間温泉近くの本郷村であった。運動場と野球場を連絡する道路も造られたが、女鳥羽川に設けられた橋が「スポーツ橋」という。この橋は1989年3月に建て替えられた。
現在でも野球場は残っており、南には浅間庭球公園がある。一方、運動場はなくなっており、跡地には長野県松本文化会館と松本市総合体育館が建っている。敷地内には経緯座標がある。北緯は36°15′26″、東経は137°58′46″で、標高は638.35mである。
参考文献
松本市役所編(1933):『松本市史下巻』松本市役所,1030p.
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |