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ナゴヤドーム

 (解説はありません)

観戦記 (カイリューズ)

 私は中日ドラゴンズのファンである。それはHNである「カイリューズ」からもわかる。カイリューとはポケモンの一種で、ドラゴンポケモンである。こうげき能力は最高である。
 ただ、中日ドラゴンズの本拠地であるナゴヤドームには2回しか行ったことがない。1回目はナゴヤドームが完成した年の1997年で、対阪神タイガース戦。大阪に住んでいるのでわざわざナゴヤドームにタイガースとドラゴンズを観に行かなくても、甲子園球場で両チームを見られる。実際にこのカードを観によく甲子園球場に行っていた。初めてのナゴヤドームの印象は、同年に完成した大阪ドームと比べてのものだった。これ以前に大阪ドームへ何回か行っており、なんかどっちがどっちだかわからないような印象を受けた。例えば、ナゴヤドームは内野スタンドが少し窪んでいるとか、外野上階席から下を見ると、下階席が見えるのがなんとなく不思議だった。大阪ドームでは上階席から下階席を見えないからだ。試合はドラゴンズが勝った、と思う。試合の印象はまるでなし。

 2回目に行ったのが1999年9月30日。ドラゴンズファンなら知っているはずだが、中日ドラゴンズが11年ぶり5回目の優勝を成し遂げた日だ。しかし実際に試合が行われたのは明治神宮野球場であり、ナゴヤドームは名古屋のファンのために開放されたのだ。
 マジック1で迎えたこの日、私は悩んでいた。それ以前に優勝が決まるかという日にはナゴヤドームの一塁側内野席を無料開放することがわかっていた。ナゴヤドームに行こうか、行くまいか。あるいは東京まで行こうか、行くまいか。喫茶店でモーニングを食べている時に、せっかくだから行こうと決心した。後悔するのはイヤだったし。東京か名古屋かで迷ったが、東京まで行って野球場に入れないのはシャクだったので、必ず入れるナゴヤドームに行くことになった。大阪を出たのは11時くらい。そこから新幹線で名古屋に向かう。名古屋についたのは13時くらいかな。JR大曽根駅からは徒歩。
 ナゴヤドームにはだいたい14時に着いた。その時点で
すでに200人くらいが並んでいた。私も最後尾に並ぶ。すると時間がたつにつれてドンドンと後ろに並んでゆく。平日の午後だったので、学校が終った人、あるいは会社帰りの人(あるいは会社を途中で切り上げた人)でみるみるうちに後ろがいっぱいになった。試合は18時に始まるので、17時開門だったかな。しかしそれよりも5分くらい前に入れた。こうも人が並んでいてはとドーム側も思ったのだろう。結局開門ころには、人の列がナゴヤドームの外周を1周していたようだ。これで2000人くらいかな。前から200人なんてめちゃくちゃ早い方だ。
 入場してから席を探す。全席自由席なので早いものが勝ち。スタンドとロビーを結ぶゲートの上の席を確保。シートとしてはサファイアシートかエメラルドシートのあたり。ここだとオーロラビジョンがよく見えて、しかも前には誰もいないために邪魔もされない。いい席だ。
 少したってからトイレのため席をたつ。ロビーにはあふれんばかりの人、人、人。人だらけ。トイレももちろん多いが、何より売店の列がものすごい。こんな日は売店も儲かるだろうなあ。トイレから戻り試合開始まで待つ間も人がドンドン増えていく。当初は一塁側内野スタンド下段だけに限られていたはずだが、どんどんとレフト方向にのびていく。バックネット裏に突入し、三塁側内野スタンドにも達する。しかしそれでもまだ入りきらず、内野席上階、そして外野席も埋まり始める。しかししかし、それでもまだまだ入りきらず、果てには普段は人を入れないバックスクリーン席、果てにはVIPルームまでにも人が入っていく。近くの人が羨ましそうに「あんなとこ一生かかっても入れんがや」と言っていたのが印象に残る。左隣に座った人が席を放れたまま全然帰ってこない。ようやく7回くらいに帰って来たが、手にはファーストフードが。要するに売店に行っていたのだが、まさかこんなにかかるものとは思ってもなかっただろう。それぐらいの人出だった。
 こんな微笑ましい光景のなかで気にくわないことが一つあった。私の右隣の席かその右隣の席がたまたまあいていた。そこにサラリーマンの兄ちゃんが2人でやってきて私にこういう趣旨のことを言った。「あそこに席が1つ空いているのであっちに移ってもらえませんか」と。要するに、私をどかして、ここに2人で座る気だ。私はそんなことをする義務など当然ないので断り、「それなら2人別々に座ったらどうですか」と返した。私にしてみればこの席を早くにきて「勝ち取った」のである。前は誰もいないので邪魔されずに観られる。そこをドケというのだ。結局譲らなかった。そうすると1人がこう言い放った。「あなたは人と楽しみをわかつという心がないんですね」。そうではないだろう。自分が知人と一緒に観たいというだけで先に座っていた他人を動かす権利があるのか?これだけが残念でならなかった。
 試合はヤクルトスワローズにリードされてそれを追う展開。この試合だけでなく、マジック対象チームである読売ジャイアンツの試合展開が随時入る。ジャイアンツは横浜スタジアムで横浜ベイスターズと対戦している。神宮も横浜も3連戦の3戦目だったが、ドラゴンズが2連勝したのに対し、ジャイアンツは2連敗して、マジック5が2日で一気にマジック1に減っていた。ドラゴンズがこの日に優勝するには、勝てばもちろんだが、ジャイアンツが負けても優勝する。そのジャイアンツはベイスターズに対して苦戦を強いられている。そして21時前にジャイアンツが敗れるとの一報が。この時点でドラゴンズが優勝。「ドラゴンズ優勝」がオーロラビジョンに映し出されると、感極まった(?)ファンが数人グラウンドになだれ込む。その観客を抑えるのに警備員を投入して鬼ごっこ状態に。ただでさえチャンスになるとバックスクリーンのところを走ったりしている人がいたので、グラウンド乱入も当然おこりうることだ。
 しかし「ドラゴンズ優勝」の後ろに映し出された星野監督は非常に渋い表情。そう、試合は負けているのだ。優勝は決まったが、負けて優勝を飾るわけにはいかない。もちろん私も勝って優勝を決めてもらいたい。ドラゴンズの選手ももちろんそうだろう。ドラゴンズの選手の意気か、それともスワローズのお情けか、優勝が決まってからドラゴンズが逆転するに成功する。ナゴヤドームではウェーブがまきおこった。ナゴヤドームはもちろんドラゴンズのファンばかり。一度おこったウェーブは途切れることもなく、グルグルとスタンドを渦巻いていた。ウェーブの歓声とどよめきとで、ナゴヤドームは完全に興奮のルツボと化していた。内野席上階からは紙ふぶきではなくトイレットペーパーのちぎれたものが舞い下りてきた。トイレからとってきたものだろう。
 そして9回裏に落合、サムソン・リー、宣の豪華投手リレーで、最後のペタジーニ選手をセカンドフライに打ち取る。選手会長・立浪選手ががっちりと受け止め、優勝を勝利で飾った。ただ宣投手は二死無走者から一二塁まで走者をためてしまう。ここでペタちゃんにホームランを打たれたら、逆転サヨナラだ。もしそうなっていたら胴上げはどうなっていたのかな。東京音頭でカサが揺れるなかで胴上げなのかな。それとも胴上げはしないのかな。
 試合に勝った瞬間、ナゴヤドームにつめかけたファンが喜びのあまりか、大挙してグラウンドになだれ込んだ。試合終了直前には予め警備員がグラウンドからにらみをきかせて乱入を阻止しようとしていたが、多勢に無勢、押し寄せる群衆には勝てず警備員はどこかへ非難した。高さ4.5mもある外野フェンスから飛び降りるものあり(確かこれで骨折した人も出たはず)、私の席のすぐ前では、なんとフェンスに人がくぐり抜けられるほどの穴があかれており、そこからドンドンとグラウンドに入り込んでいた。グラウンドになだれ込んだ群集は、マウンドに登って騒ぐものあり、記念に土を持って帰るものあり、ベンチに座って星野監督のマネをするものもあり。まさに無秩序。私もついでだから乱入…ということはもちろんせず、ただアホやと思ってグラウンドを見ていた。ずっと騒ぎを見ていたかったが、実家に帰らなければならなかったため、さっさと帰らねばならなかった。ちなみにこの騒ぎはドーム内の照明を消しておさめたようである。しかし今後どうなるのかな。こんなんじゃもう無料開放しないかもしれない。
 帰るときに中日新聞の「ドラゴンズ優勝」の号外が早々と出ていたので、2部もらって帰った。JR大曽根駅は人ゴミ。しかも平日で、帰る方向が多治見方面と都心から郊外へ向かう方だったので、仕事帰りのサラリーマンと入り交じって電車はたいへん混雑。しかしさすがに多治見からの太多線は人が少なかった。実家に戻り、今日のことを報告。兄もドラゴンズファンでテレビを見ており、しかもナゴヤドームの騒ぎも
当然ながら知っていた。私がグラウンド乱入者について「ホント、アホばかりやった」と話したところ、「わざわざナゴヤドームに観に行くヤツもアホや」と返された。う〜む、確かに。
 一夜明け、新聞を見る。実家は中日新聞と中日スポーツをとっている。もちろんドラゴンズの優勝がデカデカと載っている。この日は鳴海球場の跡地を見に行くため再び名古屋市内へ。保存版用に各種スポーツ紙を集めることに。まず最寄の美濃太田駅で中日スポーツを購入。中日スポーツは大量に刷ったためかどこにでもあった。名古屋市内の駅には名古屋タイムズや中京スポーツといったところはあるのだが、スポーツニッポンや日刊スポーツ、サンケイスポーツといった全国的なスポーツ紙がない。スポーツ報知はあったが、どうやらドラゴンズ優勝を一面にするのが悔しかったらしく、東海村の原発事故が一面だった。これに関しては渡辺恒雄・読売新聞社社長も怒っていたなあ。なぜスポーツ新聞でスポーツニュースが一面ではないのかと。確かに原発事故も重要なニュースだが、スポーツ新聞の一面を飾るべきかどうか。当然のことながら、スポーツ報知だけは山のように売れ残っていた。私も買わなかった。その後、名鉄鳴海駅で1紙購入、結局全部揃ったのは鳴海駅前のコンビニ店だった。ついでなのでここでスポーツ報知も買っちゃいました。
 たぶん1999年9月30日はナゴヤドームで一番人が入った日だと思う。野球時は満員で40,500人というなんとも中途半端な数だが、この日は普段は入らないバックスクリーン席だけでなく、ロビーにも人があふれていたからね。

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