このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

岡崎球場

 現在、岡崎市の野球場といえば岡崎市民球場であるが、かつては市街地に岡崎球場という野球場も存在した。
 『野球場建設の研究』には所在地が「岡崎市麻生町」とあるのだが、交通機関などの記述から推測すると、これは「岡崎市康生町」の間違いであろう。康生町には岡崎城とその周りの岡崎公園があり、この公園内に野球場があったと思われる。
 康生町はその名の通り、岡崎が輩出した天下人・徳川家康の生誕地にちなんでいる。江戸期は岡崎城郭内
で、1875年に旧本丸跡地が岡崎公園となった。1959年に岡崎公園の旧本丸の地に天守閣が復元された。
 岡崎球場は既設の運動場を利用した野球場で、左翼が87.9m、中堅と右翼が93.9mと異様な形をしていたみたいだ。
『野球場建設の研究』には所在地が岡崎市麻生町とあるのだが、これがどこかわからない。交通機関などの記述から推測すると、岡崎城のある岡崎公園内だと思われる。

解説 (たかはしさん)

 岡崎球場についてですが、岡崎公園内で間違いないと思います。古い地図には野球場と記されております。ただし所在地は「康生町」です。「麻生町」は誤植でしょ
う。ちなみに、康生の由来は、徳川家康生誕地ということです。
 あまり記憶が定かではありませんが、昔この球場で野球をしている人たちを見たことがあったかもしれません。
 ちょうど今年(2001年)の1月に岡崎城へ行ったのですが、球場部分と隣接のテニスコート部分の発掘調査をやっていました。岡崎城の石垣などが確認されたようです。今後はどのような利用をするのでしょうか。

 今日(2002年1月28日)、仕事で岡崎公園にいきました。以前ご紹介したように岡崎球場跡地は昨年まで発掘調査を行っていました。
 そのときの報告では石垣などの発見などに気をとられて、大切なことを伝えるのを忘れていたと思います。スタンドが残っています。
 今、発掘現場は何も無い更地の状態で今日ボーっと見ていたらスタンドの話は確かしてなかっような気がしたものですからとりあえず追加報告いたします。
 なお、球場跡地北側斜面には、コンクリートの階段状のものが見られるが、これがスタンドであったことは間違いない。ぜひ今後も残してほしいものである。

岡崎球場の画像

野球場誌に戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください