このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
名古屋の野球場といえば、ナゴヤ球場、そしてナゴヤドームが有名であるが、この2球場は市内でも繁華街から少しはなれたところに立地している。しかしかつて名古屋の繁華街にごく近いところに野球場があった。それが大須球場である。
完成年月は1947年12月と中日球場(のちのナゴヤ球場)の完成年月より1年あまり早い。そのため1948年は公式戦が行われたが、1949年は行われなかった。しかし同年末にパ・リーグとセ・リーグに分立すると、中日球場では中日ドラゴンズが加盟しているセ・リーグの試合が行われるだけとなった。パ・リーグが名古屋で公式戦を行う野球場として使われたのが大須球場である。1950年以降、大須球場では19試合行われたが、すべてパ・リーグの試合であった。しかし1952年を最後に大須球場はプロ野球公式戦で用いられなくなった。
『野球場建設の研究』には経営者に個人名が書かれてあるので、これは個人によって経営された野球場であったのか。また「外野拡張の予定」とあるが、実際に拡張されたのかはわからない。「球場クラブハウスに合宿設備あり」ともある。
所在地は名古屋市中区門前町。大須のすぐ南である。跡地には名古屋スポーツセンターが建っている。
(以前、跡地は白川公園になっていると書いていましたが、どうやら違っていたようです。間違った情報を流してすみませんでした。大須球場の情報を提供してくださいましたxxxさん、応援団監督さんに厚く御礼申し上げます。大須球場が舞台となった大須事件についてもいずれ書き加えたいと思います)
解説 (応援団監督さん)
大須球場の跡地に建った名古屋スポーツセンターは5・6世紀頃の大須二子山古墳跡付近にあり、伊藤みどりが練習した伝説のリンクです。疎なのは古墳跡を残しているからでしょうか?スケートはしたことがあっても古墳は見たことがありません。
大須球場は終戦直後の混乱期に発生した「大須事件」の舞台であり、野球関係の書物よりも大須事件関係の裁判記録や書籍に球場の写真や地図が詳細に載っています。なにしろ記録的に長引いた裁判だったので、名古屋市内の図書館ならまだたくさんあると思います。
名古屋市「中区誌」によると、二子山古墳は昭和23年秋の大須球場着工の際に崩されてしまったそうです。今は建設現場に遺跡が出ると、工事が止まって大変ですが昔は文化とか学問なんて二の次だったんですね。
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