このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

豊川いなり外苑球場

 豊川いなり外苑球場はその名の通り豊川稲荷の外苑に設けられた野球場である。JR豊川駅・名鉄豊川稲荷駅の北西に豊川稲荷があり、そのさらに北西に豊川いなり外苑球場がある。現在は一帯が桜ヶ丘公園となっている。
 完成は1928年3月21日。『野球場建設の研究』には経営者が「豊川閣」とあるが、これが豊川稲荷のことであろうか。「外野は陸上競技場と兼用」とあるが、そのためか中堅112.1mはともかく両翼106.5mとかなり広い。また「約40人収容可能の合宿設置」とも書かれてある。
 当野球場への最寄駅はJR豊川駅・名鉄豊川稲荷駅であるが、JR豊川駅から日本車両への引込線がかつては豊川鉄道(1943年から国鉄飯田線)で西豊川駅が設けられており、そこが最寄駅であった。日本車両の場所にはかつて豊川海軍工廠が存在し、この路線は通勤や物資輸送用として開業した。西豊川駅があったところは現在は桜木公園となっている。
 豊川いなり外苑球場では一リーグ時代の1948年に2試合だけプロ野球公式戦が行われている。下の方がその全試合。外野が広かったせいか本塁打は1本もでなかった。

チームチーム
1948530読売ジャイアンツ200206中日ドラゴンズ
1948718金星スターズ402105中日ドラゴンズ

解説 (たかはしさん)

 この球場は文字通り豊川稲荷の外苑(北西)に所在する。県下でも古い野球場で、一リーグ時代には公式戦が2試合行われたようである。現在は、かつて阪急にドラフト1位指名された白井やギャオス内藤の母校である豊川高校のグラウンドである。球場横には何年か前に明治神宮大会に出場した際の記念碑が建てられている。
 毎年夏の高校野球予選後に発売される、朝日新聞名古屋本社発行の高校野球グラフ『甲子園への道・愛知大会全記録』には出場校別に選手の集合写真があるが、豊川高校を順に見てみると、81年は旧スタンド、82年は工事中と推定される場所、83年は新スタンドがそれぞれ背景に写っていることからこの間に改修が行われたことがわかる。
 旧スタンドは土を盛って客席のみをコンクリートで固めた戦前・戦後直後期のおなじみのものであった。私は、今は無きそのスタンドを見ており、約20年を経た今でもはっきり覚えている。

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