このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

山本球場とその周辺の地図(1940年)

画像中央にある「山本グラウンド」を描かれたところが山本球場である。
山本球場のある八事の周辺には多くの野球場・グラウンドがみられる。
山本球場の北西にある「グランド」と描かれたところは中京商業のグラウンドである。
1931年から選手権大会3連覇の偉業を達成したあの中京商業である。
現在も中京大中京高校のグラウンドになっている。
山本球場の西には、少し文字が見にくいが「帝大医学部グラウンド」がある。
この帝大とは現在の名古屋大学である。
この地は現在は中京大学法学部棟と同大学のグラウンドになっている。
現在の名古屋大学の野球場は、画像の北東の「萩岡町」と描いてあるちょうどそこにある。
そして、山本球場の南南東にはその名も「野球場」と描かれてある。
これは少し前まで謎であったが、尾張電気軌道の尾電球場であることが判明した。
鳴海球場ができる以前は、中等学校野球の予選はこの野球場で行なわれていた。
この地は現在は天白区弥生が岡で、完全な住宅地となっている。
約2km四方の地にさまざまな野球場・グラウンドがかつて存在した。
野球王国・中京の隆盛をもっともよく示しているといえよう。

『名古屋市全図』(1940年3月8日刊行)より

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