このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

安芸市営球場

 安芸市営球場は安芸市街地の西にある野球場で、阪神タイガースの春季キャンプ地で有名である。阪神タイガースは1965年から安芸で春季キャンプを行っているが、野球場の完成は1965年12月25日となっている。この年の春季キャンプはいったいどのようなものだったのか。『阪神タイガース 昭和のあゆみ』からこの時の様子を抜き出してみよう。

 1月30日恒例の神社参拝をすませ、2月1日午前大阪をたって空路高知入り。一行は戸沢社長、藤本監督ら77人で、空港には岩崎市長をはじめ、市議会の正副議長、商工会議所会頭、観光協会長、警察署長ら、町の名士がこぞって出迎えた。阪神の安芸キャンプにかける地元の熱意は並々ならぬものがあった。土佐電鉄安芸駅の駅前広場に大勢の市民が集まって歓迎会が行われた。タイガータウンの名称はすでにこのときから使用されている。外野はフェンスがなく、地表から高さ1m50cmの金網がはられているだけだったが、一応野球場らしい形になっていた。何にせよ暮れの12月から始めた突貫工事のため土しめが十分でなく、29日に100mmを超す雨量があり、31日夕方から追い打ちの降雨に見舞われたもありグラウンド状態が万全でなかった。グラウンドの広さは甲子園の規格に合わせてつくられたこともあって、その点は不満はなかったのだが、サブグラウンドがないため全員が同時に練習することができず、安芸川の左岸河川敷にある地元高校の練習グラウンドを借りて急場をしのいだ。スタンドができ、サブグラウンドが整備され、雨天練習場等が完成したのは41年以後のことだ。
 元デトロイト・タイガースの内野手だったチャールス・レオナード・ゲリンジャーが来日、2月2日安芸のタイガータウン入りして約10日間指導に当たった。当時安芸にはホテルなどという気のきいた宿泊施設がなかったので、バッキーなど外人選手用に急造したプレハブ住宅の一室をゲリンジャー夫妻の宿舎に当てた。プレハブとはいっても瞬間湯沸かし器や石油ストーブなどの備品は揃っていたし、トイレも水洗式で外人選手に対する処遇は行き届いていた。洋風料理のできる中年の女性を雇って、食事の世話をさせるという心くばりもあって、ゲリンジャーたちからは不満の声があがらなかった。ゲリンジャー夫人が石油ストーブの操作を誤って不完全燃焼を起こし、大騒ぎになる一幕のあったのもこのときのことだ。キャンプの最終日に当たる20日はあいにくの雨となり、紅白戦も中止されて、チームは22日大阪へ帰っている。

 安芸市側の歓迎ぶりは大きく、阪神タイガースはこの年以来安芸で春季・秋季キャンプを行っている。しかしながら、さすがに完成前のこともありグラウンドは不整備な状態であったことがわかる。このせいもあってか、前年優勝したタイガースであったが、この年は3位に終わった。
 なお2000年は2軍のキャンプ地として室戸市の室戸広域公園野球場も用いられた。
 ちなみに国道55号線の安芸市営球場の入口の交差点に、「ようこそタイガータウンあきへ」の看板が建っており、タイガースのキャンプ地であることをアピールしている。ただ、『タウンページ』によると、ビジネスホテルがたった1軒しかないので、記者はよそで泊っているのかな。


資料:阪神タイガース編(1991):『阪神タイガース 昭和のあゆみ』阪神タイガース

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