このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

梅津寺グラウンド

 伊予鉄道電気により現在の松山市梅津寺(ばいしんじ)に設けられたグラウンド。
 梅津寺にはもともと海水浴場が1899年に開場していたが、1923年に海岸一帯約4,200坪を統一し、すべての施設を改善して、西日本屈指の海水浴場となった。1929年には5,112坪の埋立地が竣成した。
 もともと新浜村役場と梅津寺という寺院ならびに墓地があったところが、1936年にこれらの建物および墓地の移転し、それと同時に伊予鉄道電気がその跡地を買収し、遊園地施設に一転機した。梅津寺遊園地にグラウンドが竣工したのは1934年7月15日のことである。
 梅津寺グラウンドでは1942年から秋季陸上大運動会が開かれ、社員ならびに家族の体位向上と慰安娯楽に務めてきた。1947年5月には新憲法発布奉祝社内野球大会が開催され、48年、49年、50年の3年間にわたり春秋2回社内大会を催した。会社主催の野球大会は1951年以降は春期1回に変更した。第5回の国体で全国優勝を成し遂げたので、梅津寺グラウンドの意義は大きかったといえよう。

資料:富田壽久編(1957):『伊予鉄道七十年の歩み』伊予鉄道.

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