このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

正岡子規と野球

 松山が産んだ偉大な「野球人」の一人に正岡子規があげられる。上京して大学予備門に入学したが、この頃に野球に熱中しはじめたといわれている。子規は数々の野球用語の日本語訳を施したが、そのほとんどが現在でも使われている。それは「直球」「打者」「走者」「飛球」などである。幼名を昇といったので、それをもじって「野球(のボール)」という雅号もあった。ベースボールを野球と日本語訳したのは中馬庚だが、正岡子規はそれ以前に「野球」という字を使っていたのである。
 以下は新聞「日本」に発表したベーズボールの歌九首(明治31年)であるが、野球のプレイボールからフルベースになっていく進行を詠んだという秀作である。
  ・久方の アメリカ人の はじめにし ベースボールは 見れど飽かぬかも
  ・国人と とつ国人の 打ちきそふ ベースボールを みればゆゝしも
  ・若人の すなる遊びは さはにあれど ベースボールに 如く者はあらじ
  ・九つの 人九つの 場を占めて ベースボールの 始まらんとす
  ・九つの 人九つの あらそひに ベースボールの 今日も暮れけり
  ・打ち揚ぐる ボールは高く 雲に入りて 又落ち来る人の 手の中に
  ・なかなかに 打ちあげたるは 危かり 草行く球の とゞまらなくに
  ・打ちはづす 球キャッチャーの 手に在りて ベースを人の 行きがてにする
  ・今やかの 三つのベースに 人満ちて そゞろに胸の 打ち騒ぐかな

 この句が刻まれた「子規と野球の碑」は正宗寺に建っている。
 子規の野球観については、国民新聞社運動部編『日本野球史』、大和球士著『真説日本野球史《明治篇》』にも書かれている。また松山の名所・道後温泉の近くに松山市立子規記念博物館があり、少しではあるが野球についてのコーナーもある。

資料:国民新聞社運動部編(1929):『日本野球史』厚生閣書店.
   大和球士(1977):『真説日本野球史《明治篇》』ベースボール・マガジン社
松山市立子規記念博物館 愛媛県松山市道後公園内 伊予鉄道道後温泉駅下車徒歩5分
正宗寺 愛媛県松山市末広町 伊予鉄道松山市駅下車徒歩5分

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