このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高松市立中央球場

 高松市街地にかつて野球場が存在した。高松市立中央球場である。高松市役所の向かいにある高松中央公園がその地である。この野球場は1981年に廃止となった。香川県営野球場の完成の前年である。このことについては公園内に建っている「小河謙三郎壽像」に詳しい。

小河謙三郎壽像
 この地は、永年市民に親しまれ、幾多の名選手を産み育てた高松市立中央公園球場跡である。
 同球場は、昭和二十二年五月故小河謙三郎翁をはじめ、野球を愛する多くの市民の熱意と献身により建設され、爾来、三十有余年に亘り我々の心に潤いと活力を与えてきたものである。
 このたび中央公園の整備にともない中央球場に飾られていた同翁の胸像をここに移し、同球場を記念するとともに、氏の功績を称え、ここに顕彰する。
  昭和六十年十二月 高松市長

 またこの公園内には2人の偉大な「野球人」の銅像が建てられている。一人は水原茂、もう一人は三原脩である。その銅像の台に刻まれた文字と、名将の説明をここに書きうつすことにする。

野球王国高松を築いた名将
 水原茂、三原脩は終生相対峙し、数々の名ドラマを演じ、我国野球史に栄光の足跡を印刻する。往いて再び帰らぬ往年の両雄の功績を讃え、ここ高松球場跡地に銅像を建立する。
  平成五年十二月四日建立 水原・三原銅像建立委員会 制作者渡邊庄三郎

水原茂(1909〜1982)
 高松市に生まる。旧制高松商業学校時代全国優勝2回、慶応大学時代優勝5回。投手・三塁手として学生野球の黄金時代を築く。プロ野球巨人に入団、俊敏、強肩の名三塁手として活躍した天才的スタープレーヤー。巨人・東映・中日の各球団監督を歴任し、洗練された誇り高き優勝として名声を博す。1977年野球殿堂入り。
監督歴/1950〜1960巨人 1961〜1967東映 1969〜1971中日
    通算21年 2,782試合(歴代4位) 1,586勝(4位) 1,123敗 73分 勝率.585
    優勝9回 日本シリーズ優勝5回

三原脩(1911〜1984)
 満濃町に生まる。旧制高松中学校時代遊撃手で甲子園に出場、早稲田大学に進み二塁手となり1年からレギュラーとして活躍。プロ野球第1号選手として契約巨人に入団。現役引退後再び巨人を始め西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトの各球団監督を歴任し、作戦統率の妙に優れた知将として名声を博す。1983年野球殿堂入り。
監督歴/1947〜1949巨人 1951〜1959西鉄 1960〜1967大洋 1968〜1970近鉄 1971〜1973ヤクルト
    通算26年 3,248試合(歴代1位) 1,687勝(2位) 1,453敗 108分 勝率.537
    優勝6回 日本シリーズ優勝4回

 かつてこの地に野球場が存在したことを記す記念碑があるというのは素晴らしいことである。歴史に埋もれたままの野球場がどれだけ存在するであろう。
 なお、野球場が完成する以前は学校と寺があったようだ。

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