このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

円山球場

 円山球場はその名の通り「円山」の西側に位置する。野球場が完成したのは1934年のことであるが、当時はまだ所在地は藻岩村といった。藻岩村は1938年に円山町になり、1941年に札幌市に編入された。もともと当地は明治期から札幌市街への疏菜の供給地で、距離も近いこともあり札幌と関わりが深かった。札幌市に編入される以前から札幌市の公園や運動競技場などが施設が設けられていった。円山球場もその1つである。
 円山球場に隣接して円山陸上競技場が存在するが、これは1933年に設けられた。円山公園内には札幌に深い関わりのあるオリンピックの金メダリストを称える碑が建っている。第10回ロサンゼルス大会三段跳びの南部忠平選手と、第11回ベルリン大会三段跳びの田島直人選手である。

 南部忠平は1904年5月24日札幌に生れ、北海中学校を経て早稲田大学に学ぶ。陸上競技では夙に頭角を顕わし、1932年第10回オリンピックロサンゼルス大会三段跳に15米72の世界新記録を樹立して優勝、金メダルに輝く。
 彼の偉業は今日なお札幌市はもとより、道民の斉しく讃仰するところであり、ここに第18回オリンピック東京大会開催を記念して、有志相計り、この功績を称え、之を建立する。
 第10回オリンピックロサンゼルス大会記録
  三段跳優勝 15米72
  走巾跳第3位 7米45
  最高記録走巾跳(1931年) 7米98
1964年9月10日 南部忠平顕彰会
題字 北海道知事 町村金五
彫刻 彫刻家   木郷 新

栄光の木の由来
 1936年第11回オリンピックベルリン大会に出場した田島直人選手は三段跳びに16.00メートルの世界新記録で優勝し、金メダルとともに柏の苗木を授与された。この苗木は、田島選手の母校である京都帝国大学の陸上競技場に植えられこの木を栄光の木【オリンピック・オーク】と名付けた。田島選手は大学卒業後に北海道に勤務し、オリンピックに出場した。また札幌円山陸上競技場を好んで練習の場とし、ここでの競技大会はもとより北海道代表として明治神宮競技大会(いまの国体)においても活躍した。ここに田島選手の功績を賛えるとともに、若き世代へ語り継ぐ歴史的遺産として、栄光の木から育んだ木を植栽する。
1997年7月4日
北海道学生陸上競技連盟
(財)北海道陸上競技協会
札幌市

 円山球場は札幌市におけるプロ野球公式戦の野球場として、野球場完成以来永きにわたり使用されてきた。しかし、2001年に札幌ドームが完成するにあたり、プロ野球公式戦はそちらにうつることとなり、2000年を最後にプロ野球公式戦は行われなくなった。
 円山球場の特徴としてはナイター設備が無いことがあげられる。土日祝日はもちろん、平日でもデーゲームを行っていた。それでも年に数回の公式戦を観るために、平日でも多くの観客が集まったものである。どこから来たんでしょうかね。

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