このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

新日鉄球場

 室蘭では大正初期頃に硬式野球が急速に普及した。室蘭毎日新聞による室毎チームをはじめとして様々なチームが結成され、札幌などからによる遠征チームとの対抗試合でファンをわかせた。1924年には武揚小学校が第1回全道少年野球大会で初の優勝校になったことにより、市民の野球に対する関心は加熱気味に盛り上がっていった。

 1938年8月5日には室蘭毎日新聞社の主催により、イーグルス×セネタースの試合が御崎グラウンドで行われた。これが室蘭における初のプロ野球である。しかし、この試合は公式戦ではない。1938年シーズンは春季と秋季の二シーズン制をとっており、両シーズンの間に行われたいわばオープン戦のような試合であった。
 翌1939年7月9日も同じく御崎グラウンドでタイガース×ライオンが行われた。1939年は一シーズン制をとっていたが、この試合も公式戦ではなく、夏の中休みに北海道に遠征をしたという感じだ。入場料は60銭であったが、ライオン歯磨の製品持参者は30銭に割引された。
 なお御崎グラウンドであるが、残念ながら場所が特定されない。JR室蘭本線に御崎駅があり、その付近が御崎町である。山が迫っているJR室蘭本線の東側(御崎町2丁目)に所在したとは考えにくく、西側(御崎町1丁目)が埋立地であるので、そちらにあったのであろうか。

 終戦直後の1946年6月1日、富士製鉄株式会社が室蘭市輪西町の輪西製鉄所の付近に柏木球場を建設した。この野球場は従業員やその家族だけでなく、広く市民にも利用された。1970年に富士製鉄が八幡製鉄と合併し、新たに新日本製鉄が発足したので、それに伴い野球場名も変更した。しかし富士製鉄の名残からか、「富士球場」と呼ばれたこともあった。新日鉄球場は室蘭新道建設に伴い、1973年4月20日に現在地に移転し、5月5日にオープンした。
 新日鉄球場は全国高等学校野球選手権南北海道大会室蘭地区の会場の一つとして活躍している。


 なお室蘭市は1961年5月1日、JR室蘭本線東室蘭駅のすぐ北にある中島公園内に野球場を建設しようと着工、1962年8月4日に中島公園野球場が完成した。それまで大きな試合はすべて新日鉄球場に依存していたので、野球ファンにとって大きな朗報となった。

参考文献
室蘭市史編さん委員会編(1985):『新室蘭市史 第三巻』室蘭市役所,831p.

チームチーム
1951620西鉄ライオンズ11049013大映スターズ
1951620毎日オリオンズ81511016東急フライヤーズ
1953723大映スターズ903107東急フライヤーズ
195386大洋松竹ロビンス6023110名古屋ドラゴンズ
1966521東京オリオンズ15011005東映フライヤーズ
196868大洋ホエールズ1413218中日ドラゴンズ
197066大洋ホエールズ804308中日ドラゴンズ

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