このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

上井草球場

 上井草球場は西武鉄道によって設置された野球場である。完成は1936年8月29日。所在地は東京都杉並区上井草町で、西武新宿線上井草駅のすぐ南側。東京セネタースの専用球場であったためか、東京の郊外にありながら「東京球場」とも呼ばれた。

 東京セネタースは貴族院議員の有馬頼寧を中心にして創立されたプロ野球チームであり、日本職業野球連盟発足時に加盟した7球団の一つである。西武鉄道が全面負担していたわけではなく、資本内訳は有馬頼寧60%、西武鉄道40%であった。西武鉄道は自社路線の沿線に東京セネタースの専用球場を造ったわけである。
 日本職業野球連盟発行の「聯盟公報」第五号のp.8に全面広告が掲載されている。

早くて乗心地のよい西武電車
東京セネタース軍
所属東京球場
収容人員三萬人
高田馬場より拾五分
試合挙行日は球場前迄急行運転僅かに十分
沿線 上井草駅前

 1936年11月3日から12日まで、上井草球場で東京第一次リーグ戦が総当たりで計21試合行われた。西武鉄道は西武電車の切符とセットで入場料を割り引くというサービスなどを行った。しかし、山手線から西へ10km離れた郊外にあり、交通機関は西武電車しかなく、しかも単線運転であったため、人員輸送ははかどらなかった。また1937年に東京の都心に近いところに後楽園球場が建設されたため、上井草球場は年々使われなくなり、戦前は1938年春季を最後に行われなくなった。二リーグに分立した直後の1950年に8試合使用されたが、1951年以降プロ野球公式戦が行われることはなくなった。

 戦争が激しくなったため上井草球場は荒廃したが、終戦直後の1945年10月に復興した。戦後最も早く復興した野球場であった。東京六大学野球は明治神宮球場がGHQにより接収されていたので、1946年から1952年までの間に上井草球場で53試合行っている。

 1959年、東京都はこの野球場の用途を変更して水道の貯水池とした。その上にふたをして、軟式野球場4面、体育館、プール、テニスコート4面を擁する杉並区立上井草総合運動場が1967年6月30日に竣工した。

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