このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

オリンピア球場

 東京急行電鉄の野球場といえば、かつて東映フライヤーズが本拠地としていた駒澤野球場を思い出すが、実はそれ以前にも野球場を建設していた。
 東京急行電鉄の前身の1つである東京横浜電鉄は、1926年2月14日に丸子多摩川から神奈川まで神奈川線を開通させた。のち1927年に渋谷まで渋谷線が開通し、両線をあわせて東横線と呼んだ。
 『東京急行電鉄50年史』のp.132に、東京横浜電鉄が1932年4月24日に「多摩川の河川敷10万平方メートルを整地して、軟式野球場4面、1周400メートルの陸上競技場1面を設けた」とある。しかしこの軟式野球場がオリンピア球場かどうかわからない。前後に「オリンピア球場」という記述がないからである。また、あるサイトには1935年に建設されたという記録もある。これは砂利採掘防止のためで、丸子地先にオリンピア球場が造られて、東京都大田区六郷と川崎市小向にゴルフ場が造成されたようである。多摩川はかつて砂利の採掘で有名であった。
 1955年修正測量の1:10000地形図「田園調布」に、丸子橋の南側に「オリンピア球場」と描かれてある。1937年と1945年の地形図には載ってませんでしたが、1937年の丸子橋と東横線の間には陸上競技場らしきものがみられます。そこは1955年には「青山学院グラウンド」とあります。さらにその北の東横線の北側は「自動車実習場」となっています。現在の日本ハム球団グラウンドがあるところです。
 オリンピア球場の跡地は現在でもグラウンドになっています。もしかしたら跡地ではなく、そのものなのかもしれません。

参考文献
東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局(1973):『東京急行電鉄50年史』東京急行電鉄社史編纂委員会,1246p.

野球場誌に戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください