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東京スタジアム

 東京スタジアムを語る上で欠かすことができない人物がいる。永田雅一大映映画社長。東京スタジアムの提唱者であり、そこを本拠地とした大毎オリオンズのオーナーでもある。東京スタジアムの建設を思いたった時にはすでに大映映画は危機的状況であった。しかし野球にかける思いは誰にも負けなかった。

 1961年7月からの着工で、完成は1962年5月31日。経営者は株式会社東京スタジアム。場所は東京都荒川区南千住町。この地にはかつて1879年創設の日本初の毛織物工場である千住製絨所1)があった。
 敷地は33,000m2、内野は総二階建て、イス席は全部で34,000だが、立見を入れてぎっしり詰めれば約42,000人を収容できた。
 設備はサンフランシスコ・ジャイアンツのキャンドルスティック・パーク(Candlestick Park)2)を見本としていた。最大の特徴はその名の通りキャンドルスティックと呼ばれる2本の鉄骨によって支えられた照明灯にあった。内野席の1階と2階スタンドの間には豪華なゴンドラ・シートが並んだ。これは個室になっており、一室が6人で全部で62室あった。内野席は3層構造でゆったりしていた一方で、外野席は奥行きがなく低かった。硬質なプラスチック製のシートは赤、黄、青などで色分けされており、色彩面も考慮されていた。
 内外野とも総天然芝であった。ブルペンもアメリカ式にスタンドの下に設置された。
しかしながら、グラウンド自体は狭く、両翼91m、中堅122mで、両翼から中堅へはふくらみがなくほぼ直線であったため、「ホームラン量産球場」といわれた。
スタンド下にはボーリング場が設置された。また冬場にはスケートリンクが併設されるなど、総合娯楽施設として活躍した。

 6月2日にパ・リーグ全球団を集めて開場を祝った。セレモニーは16:00から行われ、19:00からこけら落としの大毎オリオンズ×南海ホークスが行われた。始球式は一塁側ダッグアウトからと、これもアメリカ式であった。ホークスの野村克也選手に球場初本塁打を打たれたものの、試合は9−5でオリオンズが勝ち、新本拠地の開幕戦を飾った。なお東京スタジアムに集まった他の4球団であるが、東映フライヤーズと西鉄ライオンズは後楽園球場でナイターを行い、阪急ブレーブスと近鉄バファローズは試合がなかった。

 下町という場所柄もあり、庶民に親しまれた野球場であった。1964年には地域密着型のチームにしたいという意図から、大毎オリオンズから東京オリオンズと名乗ることになる。しかし東京オリオンズはわずか5年間で、1969年に株式会社ロッテと業務提携をしてロッテオリオンズと改められることになった。永田オーナーはそのままで、ロッテはいわゆるスポンサー提携であった。なおオーナー代理には中村長芳氏が就任した。

 東京スタジアムのハイライトは1970年10月7日。リーグ優勝までマジック1のロッテオリオンズは、西鉄ライオンズを本拠地に迎えた。21時35分、26,000人の観衆が見守るなかで優勝を決めると、高さ2mのフェンスを乗り越えてファンがグラウンドになだれ込んできた。そしてファンが選手と一緒にまっさきに胴上げしたのが、監督でもなく選手でもなく、永田雅一オーナーであった。
 その後、監督や選手たちがファンによって次々と胴上げされた。オリオンズのユニフォームを着ているものは片っ端から宙に舞った。優勝投手の木樽正明投手は逃げ回ったあげくに3度も4度も胴上げされ、レフトまで連れていかされた。人の波がスタンドに戻ったとき、ナインの半数は帽子をとられ、グラウンドのピッチャーズ・マウンドと三塁ベースは消えていたという。

 1971年1月、永田オーナーはリーグ優勝を手土産に大映映画の再建に乗り出し、球団経営をロッテに移譲した。新しいオーナーには中村オーナー代理が就任した。
 球団はロッテに移されたが、球場経営権は1972年3月に国際興業の小佐野賢治社主らに全面的に移譲された。小佐野氏は株式会社東京スタジアムの会長となった。球団経営者はロッテ球団に野球場を買収してもらいたいと申し込んでいたが、ロッテ側が難色を示していると、今度は野球場の使用を断ると伝えてきた。
 年間観客数は1970年の優勝時をピークに、71年に45万人、72年には31万人と落ち込んでいた。当時の東京スタジアムの累積赤字は15億円あり、1972年度も8000万円の赤字を出しており、これ以上の球場経営は困難であった。球場経営側としては、在京球団がいずれも借り球場であり、1球団くらい自持ちの野球場を持ったらどうかという意見と、解体費に約5億円かかるのでできるだけ野球場のまま売却したかったようである。
 野球協約第41条によると、「球団は一個の専用球場でホーム・ゲームの50%以上を実施しなければならない」とあるので、このままではそれに反することになる。しかしながら、1972年末にロッテは野球場買収を断念し、交渉が決裂した。
 このためロッテオリオンズは本拠地球場を持たないジプシー球団となり、各地を転々することになる。1973年からは宮城県を準フランチャイズとして割り当てられ、県営宮城球場をとりあえずの本拠地とすることになった。1974年1月にパ・リーグの理事会で、県営宮城球場の地方球場扱いから外れることが決定した。なお1973年1月に重光武雄ロッテ社長が球団オーナーに就任している。

 一方で東京スタジアムは赤字経営が続いていたので1973年6月1日に会社を解散3)することになった。同年末には東京スタジアムを建設した竹中工務店に同球場が全面譲渡された。オリオンズの復帰もささやかれたが、結局実現はならなかった野球場は1977年3月に東京都に売り渡され、4月1日から解体工事が始まった。

 東京都は1980年9月2日、東京スタジアム跡地に南千住野球場を開設した。おとな用2面、中学生以下の野球とソフトボール用2面の計4面で、いずれも天然芝が張られている。現在は荒川総合スポーツセンターと南千住警察署も跡地に建てられている。このほか上井草球場も跡地がスポーツセンターとなっている。
 荒川区は東京スタジアムの記録を残そうとして、1995年にビデオ「ラブコール〜東京スタジアムストーリー」を制作した。このビデオは希望すれば跡地から少し離れたところにある荒川ふるさと文化館で上映してもらえる。また
荒川総合スポーツセンターのロビーにも思い出の品々が飾られている。

解説 (たっちゃんさん)

 「東京スタジアム」拝読いたしました。TV中継で見ていた私にとっては、後楽園とならび、内野に芝生のある球場として好きでした。
 「下町」らしく(?)ホームランが入ると、子供がワーッとボールに殺到するのも面白かったです。もちろん、スタンドがガラガラだから出来ることでしょうが、私も当時は子供。「いいなぁ」と思っていました。
 試合としては、太田幸司がルーキーの時のオールスター、後楽園が改修中(ジャンボスタンドや電光スコアボード)のときにメインとして使用した日米野球(SFジャイアンツ)、そして巨人との日本シリーズあたりが印象深いですね。
 あと、球場設備としてはスコアボード。何故か印象に残っているのは、「醍醐」という選手が「ダイゴ」とカタカナ表記になっていて、最初は外国人選手かと思っていました。まぁ、字画が多くて書きにくかったんでしょうね。



1) 千住製絨所跡には以下のような説明文が建てられている。
「この付近一帯には、明治十二年(一八七九)に創業された官営の羊毛工場である千住製絨所があった。
 工場建設用地として強固な基盤を持ち、水利がよいことから、隅田川沿いの北豊島郡千住南組字西耕地(現南千住6-38〜40、45付近)が選定された。敷地面 積8,300余坪、建坪1,769坪の広大なものであった。明治二十一(一八八八)に陸軍省管轄となり、事業拡大とともに現荒川総合スポーツセンターあたりまで敷地面積が拡張された。
 構内には生産工場にとどまらず、研究施設や福利施設などが整備され、近代工場の中でも先進的なものであった。
 戦後民間に払い下げられ、昭和三十七年、敷地の一部は野球場「東京スタジアム」となり、人々に親しまれてきた。
 一部残る煉瓦塀が往時を偲ばせる。
荒川区教育委員会」

2) 1960年完成。現在はスリーコム・パーク(3Com Park)と名称変更されている。なおサンフランシスコ・ジャイアンツは2000年からパシフィックベル・パーク(Pacific Bell Park)に本拠地を移した。

3) 解散とは、法律上の会社の人格を消滅させること。会社の存立期間が終った場合や、合併、破産による解散のほか、株式総会の決議で解散することが商法で認められている。東京スタジアムの場合もこのケースで、今後、清算人によって、残った資産の債権者などへの分配が行われ、会社が消滅することになる。一般に使われる「倒産」は通俗用語で、経営が行詰って営業の継続が困難になった状態が表面化することをいうが、「倒産」しても会社更正法の適用などにより、会社が解散せず、再建することもある。(朝日新聞、1973年5月27日)
 解散については、その時点では会社の人格は消滅せず、いわゆる「営業活動」は終了するが、「清算人」のもとで残った資産や負債の整理をする「清算活動」に入いり、その後の「清算結了」によって人格が消滅することになる。(たっちゃんさんによる)

参考文献
スリーライト編(1999):『千葉ロッテマリーンズ球団50年史』スリーライト,153p.

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