このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

日本生命球場

 通称は日生球場。その名の通り日本生命が従業員の厚生施設として建設した野球場である。
 完成は1950年6月30日。場所は大阪市東区森ノ宮(現在は大阪市中央区森ノ宮中央)。大阪城の南に位置するこの地には、戦前は被服支廠が設けられていた。

 完成後数年間はあまりプロ野球公式戦が行われることもなく、本格的に使用されるようになったのは1958年に近鉄パールスが夜間照明施設を施して進出してきてからである。近鉄パールスの親会社である近畿日本鉄道は藤井寺球場を有していたが、郊外にあるということもあって観客動員が見込めず、大阪都心にある大阪球場も本拠地として借りていた。しかし大阪球場はもともと南海ホークスのための野球場であり、近鉄は仮住まいにすぎなかった。近鉄パールスは1959年にニックネームをバファロー、1962年にバファローズに変更する。1984年に藤井寺球場にナイター設備が整ってからも近鉄バファローズの準本拠地として年間数試合が行われていた。

 1990年の日本プロ野球選手会による本拠地球場の安全対策状況の調査によると、日本生命球場は藤井寺球場とともに、問題の多い最低のDランクとされた。理由としてはダッグアウトの周辺の鉄枠がむき出しにになっていることと、近鉄選手会から夜間試合での照明が暗く、危険がすくなくないからだという。(朝日新聞,1990年11月9日)

 1997年に大阪ドームが完成すると、近鉄バファローズはそちらに本拠地を移すことになり、プロ野球公式戦が行われることはなくなった。最後の公式戦は1996年5月9日の近鉄バファローズ×福岡ダイエーホークス。ホークスのあまりにも不甲斐ない試合内容に、ファン約300人が選手を乗せたバスを取り囲むという騒動で幕を閉じた。その後は高校野球や大学野球などアマチュア野球で使われていたが、1997年限りで閉鎖された。

 完成時期、そして閉鎖時期ともに大阪球場と良く似ている。しかし日本シリーズはおろかオールスターゲームすら行われなず、プロ野球チームの本拠地球場としては不遇だったかもしれない。閉鎖の時もさよならイベントが行われた大阪球場に比べて、日本生命球場ではそれすらも行われなかった。近鉄ファンもこのことをかなり残念がっている。

探訪記 (カイリューズ)

 2001年7月25日、日本生命球場の跡地を見てまいりました。JR森ノ宮駅から西へ約5分のところに日本生命球場があります。地下鉄中央線森ノ宮駅だったら西改札を出てすぐのところ。たぶんこの1年間に行ったことがありましたが、その時とほとんど変わっていませんでした。
 スタンドは基礎部であるコンクリートがむき出しになっており、スタンドのイスはなかったが、スタンドへ通じる階段は残っていました。ただし、以前スコアボードがあったところはスタンドがなかったせいか、そこだけコンクリート部分が抜けていました。グラウンド部分は荒地になっており、明らかに芝ではない雑草が生い茂っていました。しかし背丈はそれほどでもなかったので、草野球程度なら充分できます。今回は野球場の一塁スタンド後方にかかっている城南歩道橋から見たのだが、ここから見ると、本塁側から中堅方向に向かって下っていることがわかる。もちろんグラウンドは水平でしたが。この歩道橋、完成は1970年3月なのでここから野球は、もちろん見れなかったでしょうね。そういえば前は取り壊し工事の概要が書いてあったのに、今回はありませんでした。工事は終ったのかな?これからどうするんだろう。全然わかりませんでした。ただ、跡地まわりを囲んである仕切りには「日本生命保険相互会社」とあったので、たぶんまだ日本生命の用地だとは思います。

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