このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

和歌山県立桐蔭高等学校

 1879年に和歌山中学校として創立、1948年の学制改革により桐蔭高校となる。
 野球部は1897年に創部。和歌山中学にとある青年教師が赴任し、その紹介により和歌山地方で野球がはじめられた。正式な練習方法を採り入れて猛練習をなし、黄金時代の基礎を築いた。
 1915年からはじまった全国中等学校優勝野球大会には第1回から14年連続出場し、第7回に初の全国制覇、第8回も優勝して大会史上初となる連覇を成し遂げた。翌第9回は決勝まで進んだが、惜しくも3連覇はならなかった。応援の市民たちは和歌浦港から船で鳴尾球場にかけつけたという。1924年からはじまった選抜大会でも第1回大会から11年連続出場し、第4回に優勝し、翌年も準優勝した。
 学制改革直後の1948年夏に、桐蔭高校として甲子園に出場し決勝まで勝ち進んだが、惜しくも0-1で福島一雄投手を擁する小倉高校に破れた。1961年夏にも決勝戦で、尾崎行雄投手のいる浪商高校(現在は大阪体育大学浪商高校)にこちらも0-1で惜敗し、準優勝となった。
 新宮、南部、箕島、そして智弁和歌山の台頭もあり、激戦区和歌山で勝ち残るのは非常に難しく、1986年夏を最後に桐蔭は甲子園出場を果たしていない。それでも春15回、夏20回の甲子園出場、そして全国制覇3回はかなりの偉業である。

 グラウンドには、高校としては珍しくスタンドが建てられている。これは全国大会を連覇したあと、時の皇太子(のちの昭和天皇)が野球の試合か練習を観に来られる際に設けられたというイワレを持っている。グラウンドにスタンドを有するためか、全国高等学校選手権大会和歌山大会は桐蔭高校でも行われていた時代がある。現在、和歌山大会は県営紀三井寺球場だけで行われている。

参考文献
森岡浩編(1998):『高校野球 甲子園出場校事典』東京堂出版,355p.
南海道総合研究所編(1985):『南海沿線百年誌』南海電気鉄道,551p.

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