このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
豊中球場は全国高校野球選手権大会の前身にあたる全国中等学校優勝野球大会の記念すべき第1回大会が行われた野球場である。開設したのは箕面有馬電気軌道。現在の阪急電鉄の前身である。
箕面有馬電気軌道は1907年に設立され、1910年3月10日に梅田と宝塚を結ぶ宝塚線を開業した。
その沿線の大阪府豊能郡豊中村に豊中運動場を開設したのが1913年5月1日のことである。東西150m、南北140mで、総面積約2万m2の大きさであった。一周400mのトラックを有する陸上競技場でもあったため、野球場にすると右翼に比べて中堅と左翼が広かった。周囲を低い煉瓦塀で囲まれて、グラウンドには芝生が敷き詰められた。
運動場の完成を記念して、箕面有馬電気軌道の創業者・小林一三の母校である慶應義塾大学とアメリカのスタンフォード大学の野球試合が行われた。また秋には大阪毎日新聞社が主催する日本オリンピック大会の陸上競技の会場にも使用された。
豊中運動場では様々な催物が開催されたが、箕面有馬電気軌道の経営担当者はその利用作として、大阪周辺の中等学校野球の大会を開催する案を大阪朝日新聞社に提案した。そのころの中等学校野球は著しく普及しており、すでに東海五県大会や関西大会といった地域的な大会が各地で開かれていた。