このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

香椎球場

 香椎球場は1939年1月に博多湾鉄道汽船によって開設された。同年には香椎チューリップ園も開園している。新博多−和白間は1924年5月に開通していたが、博多湾鉄道汽船はこの沿線に野球場・花園を設け、新たに「運動場駅」も設置した。博多湾鉄道汽船は1942年に県内の鉄道会社4社と合併して、西日本鉄道となった。
 香椎チューリップ園は戦時中一時閉鎖され、戦後の食糧難の時期には自給用の農場になっていた。1959年に「西鉄香椎花園」として有料営業を開始した。
 香椎球場は1948年秋の第3回国民体育大会では軟式野球場とされた。その隣には同大会のバレー競技場として西日本鉄道によりバレーコート8面が建設された。寮競技場には全国から2,300人の選手が集結した。
 西日本鉄道がプロ野球チームを持つようになると、西鉄ライオンズのファームとして用いられるようになった。プロ野球公式戦は5試合行われた。福岡六大学のリーグ戦でも使用されていた。
 現在では野球場は廃止され、跡地は西鉄香椎花園の敷地および駐車場となっている。ただし、西鉄香椎花園の北側の道路に沿って、スタンドが一部残されている。
 駅名も運動場前から香椎花園前に改称している。

参考文献
森信夫編(1953):『香椎町誌』香椎町役場,406p.

チームチーム
1946817グレートリング1003208阪急
1946817ゴールドスター905419中部日本
1946
1950816西鉄クリッパース1012429東急フライヤーズ
1950113西鉄ライオンズ3027311大映スターズ

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