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大谷球場が完成したのは1928年4月1日である。現在は新日本製鉄八幡製鉄所の施設となっている。
八幡製鉄所は当初は官営の製鉄所であったが、1934年に第一次世界大戦後の産業合理化によって他の製鉄会社と合同し、日本製鉄株式会社となった。第二次世界大戦後、経済力集中を排除する政策により日本製鉄は解散し、1950年4月に八幡製鉄株式会社として再出発した。1969年に富士製鉄と合併し、新日本製鉄株式会社が創立し、現在に至る。
大谷球場は北九州5市のなかで最初にできた本格的野球場である。設計は明治神宮野球場を範にとり、外野は芝植えで芝植えで、グラウンドコンディションのよいことでも知られた。
八幡製鉄野球部が結成されたのは1924年のことで、最初は「オール製鉄」の名称で対外試合をしていた。正式に野球部になったのは1926年。都市対抗野球では1937年(第12回)と1954年(第25回)に優勝を遂げている。
門鉄との試合は1925年から始まっていたが、正式の定期戦となったのは1927年からである。この定期戦は「製門戦」と呼ばれ、北九州の名物行事となっている。この定期戦は現在でも春と秋に行われている。
参考文献
北九州市史編さん委員会編(1986):『北九州市史 近代・現代(教育・文化)』北九州市,1034p.
年 | 月 | 日 | チーム | 安 | 本 | 点 | 点 | 本 | 安 | チーム |
1946 | 8 | 18 | グレートリング | 9 | 0 | 4 | 3 | 0 | 6 | 中部日本 |
1946 | 8 | 18 | 阪急 | 4 | 0 | 3 | 5 | 0 | 7 | ゴールドスター |
1951 | 4 | 20 | 西鉄ライオンズ | 5 | 0 | 1 | 5 | 0 | 10 | 毎日オリオンズ |
1951 | 5 | 29 | 西鉄ライオンズ | 8 | 1 | 6 | 2 | 0 | 8 | 阪急ブレーブス |
1951 | 8 | 15 | 西鉄ライオンズ | 10 | 0 | 7 | 0 | 0 | 7 | 阪急ブレーブス |
1952 | 3 | 27 | 西鉄ライオンズ | 10 | 0 | 5 | 2 | 0 | 4 | 大映スターズ |
1953 | 9 | 5 | 洋松ロビンス | 6 | 1 | 1 | 6 | 1 | 6 | 読売ジャイアンツ |
1953 | 9 | 5 | 洋松ロビンス | 5 | 0 | 0 | 5 | 2 | 12 | 読売ジャイアンツ |
1954 | 4 | 6 | 洋松ロビンス | 8 | 1 | 2 | 3 | 0 | 6 | 阪神タイガース |
1955 | 10 | 12 | 西鉄ライオンズ | 10 | 0 | 3 | 8 | 1 | 8 | トンボユニオンズ |
1955 | 10 | 12 | 西鉄ライオンズ | 4 | 0 | 2 | 8 | 1 | 8 | トンボユニオンズ |
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