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日立電鉄・最初で最後の乗車の旅

(2005年3月31日)

 以前から日立電鉄廃止のニュースを聞いていた僕は、廃止日が近づくと居ても立ってもいられなくなり、父にお金をもらい、出かけることにした。

この日も朝5時20分起床。信じられないほど早い時間だ。窓から眺めると東の空は日の出であかくなっていた。きれいだ。藤沢5時54分に乗った。乗り遅れそうになり(またです・・・・)駅まで全力で走り、朝食がまだだったため、息が切れ、苦しくなり、胸に穴が空いたように痛くなった。途中横浜で「銀河」を待機した。カーテンはほとんど閉まっていた。いっそのこと開ければ朝の日ざしがまぶしいぐらい差し込んで明るくなるのに・・・・・。ブルトレの乗客はよく分からない。(この日の銀河に乗っていて横浜到着時にカーテンを締めていた方、申し訳ありません)。走り去るとき、電源車を見てみると・・・・・。

え っ ?

なぜか一番後だけトワイライト色だった。これでは機関車と他の客車の色にあっていない。おかしな編成であった。再び東京行きに乗り、無事東京に到着。山手線に乗り換える、あいにくE231系だ。でもまだ7時前だったので、楽々座れた。上野到着。

運転再開した「あけぼの」を一目見ようと、13番線へ向かう。すでに乗客はホームを去り、ホームはもぬけの殻となっていた。ブルーの客車が停車していた。一度は乗ってみたいものである。

行き先表示器

一度は乗りたい寝台

夢のまた夢、シングルDX

青森から12時間牽引してきたEF81

尾久へ向けて推進回送が発車していくのを見送り、10番線へ向かう。エスカレーターを登ってまた下りた。到着した上り電車から人がものすごい勢いで降りてきた。ぶつかりそうになった。朝食がまだなことに気づき、「車内持ち込みできます」と書いてある、立ち食いそば屋へ「ふらふら〜」と入り、300円の「月見うどん」を買った。7時49分発の勝田行きが入線。

キタ━━━━(゜∀ ゜)━━━━!!

1両しかない2階建て車クハ415-1901!!いや〜、時刻表で調べて来て良かった〜と思い乗車。常磐線にグリーン車はついていないが、この車両だけはグリーン車だった。ちなみに、この編成、中間に鋼鉄車がサンドイッチされていた・・・。しかも先頭車が中間車と向かい合わせで連結されていた・・・・。ちゃんと先頭車の運転台機能を使ってやらないと、かわいそうだ。トイレに行きたくなったので、長い編成を抜け、7号車のトイレへ向かう。あいにく誰か入っている。だがすぐ出てくるだろうと思いきや・・・・・・、なんと発車して日暮里に着いても出てこなかった。まったく困った。もれそうになったので、仕方なく最後尾の15号車のトイレに行った。またそこから最前部の1号車へ戻るのが大変で、席に帰ってきたときにはもう三河島だった。朝食にさっき買った「うどん」と家で父が作ってくれた「おにぎり2個」を食べ、のみものに「みつやサイダー」を飲んだ。結構満足した。それ違う電車はどれも「超満員」・・・。それを「高みの見物」していた(常磐線で通勤・通学している方、申し訳ございません)。我孫子の手前(だったと思う)で103系と遭遇!堂々15両で上野へ向けて走り去っていった。土浦で後ろ7両解放。水戸に到着。7分の停車。ここで、いわき行きの普通に乗り換える。(この車両は7月9日のダイヤ改正で運用を離脱したそうです)

再び

キタ━━━━(゜∀ ゜)━━━━!!

なんと455系だった。まさか関東で乗れるとは!個人的に415系だと思っていたのでラッキー!この前いわき〜仙台で乗ったのとは1編成3両長い3編成9両!455系最大の長大編成は昔走っていた急行を思わせた。(僕はその時代生きていない・・・・)しかし今日はなぜかボックスがほとんど埋まっている。やはり僕と同じ日立電鉄に行くのか・・・。8両目にようやく空きボックスを見つけて確保。20分程で大甕に到着。かなりの人が降りて、日立電鉄のホームへ向かっていく。455を見送り、日立電鉄のホームへ向かう。乗車証明書が200円で売っていたので買う。(ただでくれよ・・・・・)清算所(というものの、単なる出札口)に行くと、フリーキップが無いというので、仕方なく鮎川までのきっぷを買う。鮎川行きの到着までしばらくあるので、待合室に入る。古い写真の展示、グッズ販売、DVD上映をやっていた。すると常北太田行きが入線。さよならヘッドマークを付けている。続いて隣のホームに鮎川行きが到着。

 

大甕に停車していた電車と鮎川行きの電車

ものすごく混んでいる。朝の山手線並に混んでいる。でもこれに乗らなければ・・・・・。満員の電車に乗車。最後の日ぐらいできれば臨時便・臨時増結をやってほしかった。実際途中の久慈浜や終点の常北太田には使われていない電車がたくさんとめてあった。発車。車内放送で「この電車はワンマン電車です」をしつこいぐらい各駅の到着前に言っていた。ふと見ると扇風機には旧営団の「Sマーク」があった。元営団銀座線の2000系だった証拠だ。もう営団はメトロに変わってしまったので、

東京の地下鉄でも、もうSマークは見れないので、これは貴重だ。

扇風機にあった「Sマーク」

終点の鮎川に到着。横を常磐線が走っているが常磐線に駅はない。「スーパーひたち」が130キロで仙台へ向けて飛ばして行った。一旦駅を出る。鮎川駅の駅舎はシンプルな物だった。人が大勢いた。券売機で今度は常北太田までのキップを買い、入場。線路の終わりの方に、旧塗装の電車が停車していた。ああ、これが走っている姿を見たかったな・・・・。と思う。ふと見ると常磐線を415系が上野へ向けて飛ばしていった。

 

こんな風景ももう見納め・・・・

常北太田行きに乗車。しかし・・・・・・

お子様連ればっかり。

なんで最後の日にお子様連ればっかりなの・・・・。とがっかり。乗客の半分がお子様連れだった。しょうがないから我慢しようと乗車。常北太田まで立ちっぱなしだった。途中の区間にはファンがうじゃうじゃいた。常北太田に到着。そこですごい者を見た。

ものすごく厳しい警備員のおばさん。

この警備員のおばさんは、すごく厳しく、つねに怒鳴ってばっかりで、ファンに対しての態度は冷たい。もうすこし態度良くしてくれよ鮎川へ折り返して行く電車を撮影。

なぜかものすごくドアップで撮影!(パンタが見えない・・・・・)

そろそろお昼、お腹がすいてきた。次の電車が来るまで駅まえで何か食べようと思い、駅周辺で食べ物屋を探す。しかし・・・

コンビニもスーパーも弁当屋もファーストフードも無い

駅の周辺はあらかた探したが、1件も無いのだ。まさか茨城がこんなに田舎だったとは・・・・・・。としみじみ実感させられてしまった。仕方ないので、しばらく駅で「ボケー」と過ごす。常北太田には使われていない電車が沢山居た。これなら臨時便・臨時増結してくれよ・・・・。と思う。両運転台車も1両あったので、増結してくれよ・・・・。と思う。しばらくして、鮎川行きが入線。もちろんお子様連ればかりだった。1駅で降りた(おい!)。小沢である。運転士さんにキップを渡す。ドアが閉まり、電車はモーター音を唸らせて去っていった。単線のホームだけしかない駅で、地元の江ノ電を思い出すが、江ノ電にあるキップの販売機もここにもなかった。いかに利用客が少ないか分かる。「こんな所廃線が無ければ一生来なかっただろうな・・・」と思い、線路に沿って常北太田方面に歩いていく。しばらくして川があった。鉄橋をわたる電車を撮ろうと思ったが、反対側に行かなければいい写真は撮れず、しかも近くに歩行者の橋が無いので、500mぐらい先の橋まで歩いて行き、また500mぐらい歩いて鉄橋の近くに戻った。非常に疲れた・・・・。しばらくして、警笛が遠くから聞こえ、常北太田行きが近づいてきた。早速撮影。

 

 ちょっ暗い・・・。架線柱の位置が・・・・

その後、折り返しの鮎川行きを撮ろうと、数百m先の道路橋の上まで移動。近くには同業者がたくさん・・・・・。

 

まぁまぁいい方かな?

その後、小沢に戻り、鮎川行きを待つ。すると時刻表の横に・・・・・

小田急小田原発行の領収書

目を疑った。信じられないが、みなれた小田急の領収書である。(僕は小田急のきっぷを買うとき、必ずと言っていいほど、領収書をもらってしまうクセがある)特急券を1740円買ったようだ。しかも発行日が去年の7月7日。僕の誕生日である。これを残した僕がここに来るということを知っていたのか!?まさか・・・・?

「?」な領収書(管理人の影が・・・・)

 乗車駅証明書を取ろうとするとスイッチが入っていないので、スイッチを入れる。しかし・・・・・・

証明書が出てこない・・・・・・

困っている間に鮎川行きが入ってくる。とりあいず乗車する。やっぱりチビ・ガキお子様連ればかりだった。大橋で降りた。運転士さんに証明書が出なかったことを言って、運賃を払った。撮影名所である、大橋の鉄橋へ向かう。到着して驚いた。「すげぇファンの数・・・」軽く10人は越えていたと思う。今日のファンは乗車よりも撮影をしたがるようだ。しばらくたって、常北太田行きが鉄橋をわたってきた。

 

 鉄橋の唸り声を響かせて渡る常北太田行き

またまた大橋駅に戻る。鮎川行きの電車が到着。発車時刻からして大橋で交換するらしい。すると向こうから常北太田行きが接近・・・・

しつこいようだが・・・・・・・

キタ━━━━(゜∀ ゜)━━━━!!

なんと鮎川で見た旧塗装編成がやって来た!まさか走行シーンを見れるとは!(失敗したため写真は、なし)

急いで鮎川行きに乗車。久慈浜で下車。久慈浜には車庫があり、日立電鉄を影から支えた機械・貨車やさよなら運転に使われなかった車両がさみしく停車していた。少し寂しげに思えたので、彼らにもカメラを向けてあげることにした。

下の二つの写真はクリックすると拡大します。

 

左 車両が元気に走れるために働いた車両移動機と車両 右 日立電鉄の線路を支えた貨車達と両運転台車

電車の車内に載っていた写真のポイントへ向かう。とりあいず常北太田方へ向かい、トンネルを発見。ここで張り込む。ふと見るとトンネルの上を常磐線が通過していった・・・・・。そして鮎川行きが接近・・・・・・・

またまたまたまたまた

キタ━━━━(゜∀ ゜)━━━━!!

また旧塗装編成だ。(上の写真がちょっと荒いのをお詫びする)その後、久慈浜駅へ戻りキップを買う。藤沢へ帰る時間がやって来た。この大甕までの一区間が最後の日立電鉄の乗車となる。鮎川行きが到着。乗車。これで乗るのは最後・・・・・車内は乗車率100%を越えていた。毎日これなら廃止にならなかったのにな・・・・と悲しく思った。

大甕に到着。ホームには日立電鉄の役員さん達が立っていて、乗客におじぎをしていた。感動してしまった・・・・。交換の常北太田行きが接近。また旧塗装編成だ。ベルが鳴り、発車・・・・・・。感動・・・感動・・・・また感動!(滝泣)ウォォォーーーーン!(滝泣)

下の写真はクリックすると拡大します。

テールライトが寂しげ・・・

「ありがとう、お疲れさま」と心の中で言い、いったん改札を出る。

窓口で藤沢までのキップを買う。すると昼ごはんを食べていないことに気づいた。あまりにおなかがすいたので、構内の店でおにぎりと紙パックジュースを買う。ホームに入る。久野浜からのロングラン普通電車上野行きが到着。しかしオール1500番台だ。ロングラン列車なのに・・・・。やはりゆきにいい電車に乗ったからか・・・・。仕方なく一番いわき寄りの車両の乗務員室のすぐ前の席に座る。そうすれば土浦で増結の車両がセミクロスシート車だった時にすぐ移動できるからだ。水戸に着いた頃には少しウトウトしていた。発車メロディーに少し笑ってしまった。が、またウトウトしてしまった。そうこうしているうちに列車はどんどん南へ向かう。土浦に到着。ここで後ろに4両を増結する。すると・・・・

 なんだか何回も使うが

キタ━━━━(゜∀ ゜)━━━━!!

 113系タイプの鋼鉄車のセミクロスシート車だった。本当にありがたかった。無論すぐにボックスシートに座る。夜の常磐線を走り無事定刻通りに上野に到着。うとうとしながら山手線に乗り、うとうとしながら東海道線に乗りうとうとしながら家に帰った。もう21時を回っていた。

 

ありがとう日立電鉄 長い間夢と希望を乗せて走ってくれてありがとう。

 

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