このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

始発電車

 朝の5時前ごろ、犬懸の町並みはまだ寝静まっている。明かりは街灯と星の瞬きだけ。人気のない冷え込んだ町を、白い息を吐きながら野上英太郎はゆっくりと犬懸(いぬかけ)駅の方へ歩いていた。電車に乗ることが目的ではない。いや、ある意味そうだろうか。彼は、乗るのではなく運転するために駅に向かっている。そう、彼の職業は電車の運転士なのだ。
 犬懸駅の駅本屋(駅舎のこと)にある更衣室で着替えた彼は、運行管理係の壁に掲げてある自分の名札をひっくり返すと、その下の勤務予定の記載された札を見る。「東11 5:15」これは東条線での乗務を示している。そして運行掲示板を見て特記事項を確認する。自分に関係あるところはないかと見ると、「東11 車両故障のため200−1から200−2へ変」と書かれていた。予定していた車両が故障したので別の編成に振り替えたらしい。ほかの掲示を確認すると、相棒の車掌と共に点呼を受ける
「東11ダイヤ。点呼願います」
「はい、東11ダイヤ、点呼始めます」
と、担当の助役が答える。
「東11ダイヤ、運転士野上英太郎。健康状態異常なしです」
「東11ダイヤ、車掌市畑康史。健康状態異常なしです」
「はい、確認しました」
「東11ダイヤ、車両変更有り。200型第2編成に変更。関係徐行並びに時刻変更無し」
「東11、車両変更確認。時計確認します」
鉄道では大抵、15秒刻みでダイヤが作成される。狂い無くダイヤを維持するためには時計のチェックは欠かせない。
「5時22分26秒、27、28、29、30秒」
「・・・・・29、30秒。確認しました」
「はい。今月の目標は定時運行の確保と指差確認の励行です。それでは点呼終わります」
点呼が終了すると、ブレーキ弁ハンドルと運転時刻表を受け取り、運行管理係の札をひっくり返すと駅本屋の外に出て、車両のある車庫に向かう。
 駅の奥の方へ行くと、入口に「里見電氣鐵道株式會社安西電車庫犬懸支所」と、看板だけは立派なのが掛けられた、古びた車庫があった。その中にある車両。それに、はめられていた手歯止め(車輪止め)をはずし、同時に機器の確認を行う。検修係が既に確認済みであるが大勢の命を預かる以上疎かにすることは出来ない。外部の点検が済むと、パンタグラフを上げる。きちんと上がったかを確認すると、ブレ−キの確認を始めとする出庫準備にかかる。コンプレッサーを始めとする機器が動き始め、車両が眠りから覚める。市畑車掌も社内放送を始めとする客扱い設備のチェックをする。野上運転士は列車無線を点け、
「101列車運転士から運行管理室。通話テストです」
「運行管理室より101列車運転士さんへ。感度良好」
「101列車運転士から運行管理室。感度良好、確認しました。テスト終了」
「テスト終了確認。通信終了」
 本来、東条線には列車無線関連の設備はないので無線は使用されない。しかし、朝夕の通学列車が本線の秋篠−犬懸間を走るので無線のテストも欠かせない。無線のテストが済むと、もう出庫時間である。ブレ−キを解除し、マスコンを1段入れると列車はゆっくりと5番ホームに向けて走り出す。

 時はゆっくり流れ、5番ホームの東条行き1番列車もぽつりぽつりと乗客の姿が増えてくる。6時11分、里見本線の上下の列車が交換する。本線の電車からも何人か乗り換えるようだ。その中には次の駅のそばにある静谷学園の生徒なのだろう、制服を着た子も何人かいる。発車時間も近くなり、ホームにいる助役が、野上運転手にスタフ(通行証のような物。これを持つ電車のみが指定された区間を運転できる)を渡す。
「通票、三角。良しっ」
野上運転士はこのスタフが間違いなく次の交換駅「静谷口」までの物だと確認する。そして時計と信号をみて時間を待つ。
「毎度、里見電鉄をご利用いただき有り難うございます。この列車は東条行き普通です。間もなく発車します」
市畑車掌も放送をかける。そして時間となり助役が腕を上げる。市畑車掌は笛を鳴らしドアを閉めた。野上運転手はドアが閉まったのを確認すると前を見つめ
「出発、進行。制限35。次停車駅は、桜坂」
そして列車を出発させた。



取り敢えず後書き
 かなり鉄い話となりました。もっとも題材を決めた時点で、これはある程度避けにくいことだったのですが。
 実はこの話は元ネタがあります。「八雲☆急行へようこそ!」のソリッドノベルです。これを読んで、ふと「これが里見電鉄の
朝だとどんな情景が繰り広げられるだろう」と思ったのです。結局、ノリは相当違う物となりましたが・・・・・
 まぁ、元々可愛い女の子もいなけりゃ、観光輸送とも余り縁のなさそうな地方私鉄で、鉄道員を主役にすれば華がないのは否定できませんけど。

後書きの後書き
 こんな事を書いてから幾星霜。気がつけば季節も変わっています。元ネタだった「八雲☆急行へようこそ!」のソリッドノベルも若葉さんが再構成の上で新作を発表されたので、今は見ることは出来ません。もっとも新作はもっといい感じなのですが。
 ふたつの里見電鉄の物語ですが、四季物語が季節と風を感じられる話なら、鉄道員の詩は里見電鉄の1日と共に鉄道員達の息吹を感じさせる物語にしていきたいですね。最も、そんなことの前に読んで下さった皆さんが楽しんでくれるお話づくりをしなくては。
 しばらく放ったらかしでしたが、そろそろ四季物語だけ書いてないでこっちの更新もしないとね。次は朝のラッシュでしょうか。実は、まだ決めてません(苦笑)
 (99/05/24)

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