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太平洋戦記
●大日本帝國海軍高雄基地 台湾 日本帝國台湾
1941年12月8日(第3ターン)
日本帝國海軍高雄基地。今この基地の滑走路から欧米の常識を破る作戦を実行するべく、帝國海軍航空隊が終結していた。目標はフィリピンのマニラ、クラークフィールド基地への爆撃。その距離は500浬にも達する。米英の戦闘機では飛行能力が足らない。しかし、日本にはこの長距離を飛べる戦闘機があった。三菱零式艦上戦闘機21型。強力な打撃力と、爆撃機との戦爆連合が可能な長距離侵攻能力。後に世界初の戦略戦闘機と呼ばれ、好き勝手な名前で敵機のことを呼ぶ米軍においてゼロという、正当な名前で呼ばれた唯一の戦闘機。太平洋戦争前記最強の戦闘機であった。
閑話休題。何故開戦壁頭にマニラを攻撃するのか?それはマニラにB17重爆が居るからだった。台湾まで長躯侵攻可能な重爆撃機。これに台湾の基地を攻撃されるのは脅威だった。いやそれ以前にアパリに上陸すべく作戦行動中の第3艦隊を攻撃されるのはもっと痛かった。
第11航空艦隊司令官塚原二四三中将見送りの元、零戦90機、96式陸上攻撃機28機、1式陸上攻撃機81機からなる攻撃隊は一路フィリピンに向かった。
クラークフィールド上空には敵機の姿があった。カーチスP40B戦闘機97機。対する零戦85機(出撃90機中5機が故障で引き返した)。激しい空中戦の結果、零戦は8機(他に損傷により引き返したもの3機)を失ったが、敵機P40は36機(同17機)を失った。爆撃機も20機弱の損害が出たが攻撃力は未だ十分であった。
爆撃隊はクラークフィールド基地の滑走路を爆撃した。重爆や戦闘機が滑走路と共に破壊されていく。零戦隊も銃撃を敢行し敵機を破壊していった。
●アパリ フィリピン アメリカ合衆国
1941年12月8日(第3ターン)
アパリの海岸線に日の丸を掲げた船団が現れた。輸送船群は大発を降ろすと兵士達を移乗させていく。大発は海岸に接すると兵士達を降ろし、また輸送船へといく。続々と兵士達がアパリの海岸に降り立った。その数1個軍3個師団。
海岸線からマニラに向け侵攻する帝國陸軍。しかしその行く手には陣地を築いた米軍1個連隊の姿があった。
「砲車、前へ」
「距離1500。撃てぃ」
日本陸軍は一気に敵陣を突破しようと激しい砲撃を加える。3個師団の一斉射撃に米軍の4分の1が殲滅される。それでも米軍は士気が下がりつつもなお抵抗する。再びさっきより少ないとは云え激しい砲撃を開始する。
部隊の半数を失った米軍は、潰走した。敵陣に翻る日章旗。
●日本帝國海軍第6潜水隊 シンゴラ沖 マレー半島
1941年12月8日(第3ターン)
伊53潜水艦の艦長は潜望鏡を覗くと顔をしかめた。濃い霧に視界が閉ざされていたからだった。
「メインタンクブロー。浮上せよ」
伊53潜水艦は海面に浮上した。ハッチから艦長と先任将校が出てきた。
「これでは無理ですね」
「ああ、そうだな。先任、通信を発信後、予定の行動に移る」
「分かりました、艦長」
伊53潜水艦は「シンゴラ、天候不良にて上陸に適さず」と云う意味の通信を発すると、シンガーポール沖に移動すべく潜行した。彼ら第6潜水隊に与えられた任務は「陸軍の上陸予定地点の天候を確認し第4艦隊に通信、その後シンガポール沖に移動。英東洋艦隊の動向を探り、可能ならば攻撃せよ」だった。第6潜水隊は後に英東洋艦隊との戦いの先鋒となる。
●日本帝國海軍第4艦隊 南シナ海
1941年12月8日(第3ターン)
シンゴラもバンコクも霧の中に没しており、上陸作戦は不可能であった。やむを得ず第4艦隊はボルネオ(カリマンタン)島のブルネイに向かい、上陸を開始した。ブルネイには敵の守備隊1個大隊がいたが、当然2個師団の敵には成らず壊滅した。
●バンコク タイ タイ
1941年12月8日(第3ターン)
タイに侵攻した陸軍。敵に勝る攻撃力で、敵の半数以上を撃破潰走せしめた。
●香港 中国 イギリス領
1941年12月8日(第3ターン)
香港攻略を命ぜられたのは酒井中将率いる第23軍であった。第23軍が攻撃を開始する前に広東・台中の陸軍航空隊が爆撃を敢行した。それでも香港の敵勢力は未だ強大と判断された。敵陣地に向け全火砲をたたきつける。2回の攻撃の後、敵の砲撃が散漫になる。それでも敵は戦い続ける。4度の攻撃でやっと敵戦力を殲滅し、香港を占領することに成功した。
アパリ攻略戦
実施 1941年12月第3ターン
参加兵力
日本軍:部隊 第14軍 2個師団
連合軍:部隊 1個連隊
損害
日本軍:喪失 約半個連隊(14個小隊)損害率8パーセント
連合軍:喪失 約半個連隊(14個小隊)損害率47パーセント
アパリ陥落
ブルネイ攻略戦
実施 1941年12月第3ターン
参加兵力
日本軍:部隊 第25軍 2個師団
連合軍:部隊 1個大隊
損害
日本軍:喪失 約1個中隊(4個小隊)損害率2パーセント
連合軍:喪失 1個大隊 (10個小隊)損害率100パーセント
ブルネイ陥落
バンコク攻略戦
実施 1941年12月第3ターン
参加兵力
日本軍:部隊 1個師団
連合軍:部隊 1個連隊
損害
日本軍:喪失 約1個半大隊(14個小隊)損害率16パーセント
連合軍:喪失 約1個半大隊 (16個小隊)損害率53パーセント
バンコク陥落
香港空襲作戦(1)
実施 1941年12月第3ターン
参加兵力
日本軍:(広東) 46機(97戦12・鍾馗9・98軽爆19・99襲撃機6)
連合軍:部隊 不詳
損害
日本軍:被害無し
連合軍:陣地に損傷
香港空襲作戦(2)
実施 1941年12月第3ターン
参加兵力
日本軍:(台中) 45機(99双軽27・97重爆18)
連合軍:部隊 不詳
損害
日本軍:喪失 航空機1機(99双軽1)
連合軍:陣地に損傷
バンコク攻略戦
実施 1941年12月第3ターン
参加兵力
日本軍:部隊 3個師団
連合軍:部隊 1.5個師団
損害
日本軍:喪失 約2個連隊(65個小隊)損害率24パーセント
連合軍:喪失 1.5個師団(130個小隊)損害率100パーセント
香港陥落
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