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太平洋戦記
「寝台で転々身もだえする私の心には、このニュースが持つ全幅の恐ろしさが浸透した。
カルフォルニアへ急いで帰りつつあった真珠湾の残存艦を除いて、インド洋にも太平洋
にも英米の主力艦は1隻もなかった。この広漠たる水域にわたって、日本は最強であり、
我々は至るところで弱く、裸であった」
ウィンストン・チャーチル 「第2次世界大戦回顧録」より
●英「Z部隊」出撃セリ
日本帝國海軍第6潜水隊 シンガポール沖 英領マレー
1941年12月9日(第3ターン)1830時頃
哨戒任務に就いた第6潜水隊が、出撃した英東洋艦隊を補足したのは現地時間18時過ぎ(日本時間19時過ぎ)であった。3隻の潜水艦の内いちばん東洋艦隊から遠い位置にいる、伊55号潜水艦からは、くっきりと敵艦隊の姿が見えた。
「敵艦隊だな、魚雷戦用意!
先頭は戦艦。キング・ジョージ5世級。次はレパルス級。巡洋艦が、ひい、ふう、みい。3隻か。駆逐艦も何隻かおるぞ。
くっ、気づかれた。急速潜航!」
伊55号潜水艦は急速潜航を開始した。炸裂する爆雷。しかし敵駆逐艦は位置を誤ったらしい。間遠な位置から3回破裂音が響いたのみだった。僚艦の伊54号潜水艦も、3隻の中でいちばん多い爆雷を受けたが回避に成功した。しかし、最後の伊53号潜水艦は・・・
「魚雷発射管室浸水。5名戦死、2名負傷。浸水を止められません」
「魚雷発射管室を放棄。排水急げ、脱出する」
敵爆雷の直撃を受け、攻撃能力を失っていた。操舵も上手く行かず、さらに敵の攻撃を受けようとしていた。
伊53号潜水艦は2度目の爆雷攻撃にてシンガポール沖に沈んだ。
爆雷攻撃を回避した伊54と伊55の2隻の潜水艦は、プリンス・オブ・ウェールズに雷撃を敢行した。命中弾は12発中1発だった。しばらく後、潜水艦から通信が放たれた。
「キング級レパルス級各1ヲ含ム英艦隊出撃ス。他巡洋艦3、駆逐艦複数。位置コチサ11。速力15ノット。キング級ニ雷撃1命中。2017」
●英艦隊ヲ捕捉セヨ
日本帝國海軍第8潜水隊 クアンタン沖 英領マレー
1941年12月10日(第4ターン)0010時頃
日が変わっても南シナ海は霧に包まれていた。それでも夜明けには晴れることを期待してサンジャックの海軍航空隊は出撃の準備を進めていた。しかしまだ偵察の主力は潜水艦隊に託されていた。第6潜水隊に続いて英東洋艦隊の捕捉に成功したのは第8潜水隊だった。4隻の潜水艦は、プリンス・オブ・ウェールズに3発の命中弾を与えた。第8潜水隊の損害は2隻大破だった。
「損害報告をせよ」
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ艦橋。各部署からの報告が上がってくる。その結果は、
「今までの魚雷命中本数は4本。判定は小破といったところです。浸水は少量。全速発揮が可能です。
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、戦闘航海支障無しです。サー」
報告を聞いてリーチ艦長は頷いた。
そのころ伊62号潜水艦は「我英艦隊発見セリ。敵針180度。敵速22ノット。雷撃成功スレド被害僅カナリ。0023」と、マレー方面の各部隊に宛て無電を発していた。
●帆足少尉機離陸セズ
日本帝國海軍サンジャック航空基地 仏領インドシナ
1941年12月10日(第4ターン)0700時頃
サンジャックの空は霧が深かった。霧が晴れたら直ぐ索敵機を飛ばすべく、牧野大尉率いる元山航空隊第4中隊の96式陸攻8機はエンジンを回していた。しかし時過ぎれど霧は一向に晴れず、とうとう「航空機発進中止」の命令が降った。
「霧が晴れなくてはしょうがないですね。これも何かの因縁ですか」
帆足予備少尉は、いつも通り淡々な口調で言った。既に彼は、牧野中隊が攻撃ではなく索敵に回されたときにも「これも何かの因縁です」と、言っている。他の隊員達は索敵に回された上に結局出撃が無しと来て、さらにがっくりと皆泣くのであった。
こうして南シナ海で日英の艦隊による海戦が行われる下地が整った。後は海戦有るのみ。
●激闘!マレー沖
日本帝國海軍第2艦隊 ナツナ諸島沖 南シナ海
1941年12月10日(第4ターン)1320時頃
第8潜水隊との後、第7潜水隊が東洋艦隊との接触に成功していた。第7潜水隊の攻撃によりプリンス・オブ・ウェールズは、速力7ノットまで低下していた。そして英東洋艦隊に艦隊決戦を挑むべく、日本帝國海軍第2艦隊が南下しつつあった。そしてふたつの艦隊は、遭遇した。
視界良好、双方敵艦隊を視認。戦闘の意志共にあり、されば結果はただひとつだった。
マレー沖海戦(英側呼称ナツナ諸島海戦)
参加艦艇
日本海軍:戦艦「金剛」「榛名」
巡洋艦「高雄」「愛宕」「摩耶」
駆逐艦8隻 商船(補給艦)1隻
英国海軍:戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」
巡洋戦艦「レパルス」
巡洋艦「ダナエ」「ドラゴン」「ダーバン」
駆逐艦7隻
戦力的にはほぼ互角。戦艦はやや英側が有利であろう。プリンス・オブ・ウェールズは、主砲こそ列強新戦艦に比べて小さく金剛級とサイズは同じだが、口径は長く金剛級より1レベル上の攻撃力を持つ。レパルスは38センチ砲であり、この海戦に参加した4戦艦の中でいちばんの攻撃力を持つ。対する日本の金剛級は、第1次大戦の前に英で建造(金剛のみ、他の3隻は日本製)された艦であり、かっては速力、攻撃力共に優れ、当時「世界最強の巡洋戦艦」と呼ばれ、英王立海軍も同級艦タイガーを建造したほどの名鑑である。とはいえ、現在では日本戦艦の最老朽艦であり、防御力、速力を強化して高速戦艦と名乗るものの、英戦艦に比べ攻撃力、防御力共に劣る。
巡洋艦は日本側が有利と考えられる。日本側は高雄級重巡であり、日本の誇る強力艦であった。英側は軽巡洋艦であり、攻撃力も防御力も明らかに劣る。駆逐艦も攻撃力は日本の方が高い。
先手を取ったのは英艦隊であった。レパルスとプリンス・オブ・ウェールズの主砲が金剛に向け炎を吹いた。金剛は舵を切り避けようとするが砲弾3発が命中。1番、2番主砲塔が破壊され、速度も低下する。しかし金剛は炎をその身に纏いながらさらに前進する。2番艦榛名以下も前進を続ける。
「距離2万メートル」
旗艦金剛の艦橋。砲術士官が英艦隊との距離を告げる。
「目標、敵1番艦。距離2万。方位18度。撃ち方始め」
金剛の生き残った3番、4番砲塔が敵に向け旋回する。そして発砲炎を吹き上げる。旗艦の発砲を見て榛名も、
「旗艦発砲。撃ち方始め」
2隻の戦艦の目標はプリンス・オブ・ウェールズだった。
双方の距離は縮まり、砲火が激しくなる。軽巡ダナエが日本の巡洋艦戦隊の20センチ砲弾8発を受け一気に轟沈する。残る2隻の軽巡ドラゴン、ダーバンも次の攻撃であっという間に大破し、ドラゴンは舵が壊れたのかぐるりと円をかき始め、ダーバンは艦上全て松明のようにして停船した。
さらに金剛の副砲の射程圏に入り、ダーバンもダナエの後を追い、駆逐艦サネットも沈んだ。既に英艦隊の陣形は崩れ始めていた。そして日本の水雷戦隊は、敵艦を必殺の酸素魚雷で仕留めんと襲撃機動に入りつつ、邪魔な英駆逐艦群を砲撃で仕留めるべく主砲を発射し続けていた。英駆逐艦は次々と南シナ海の海底に日本駆逐艦によって誘われた。英艦隊も必死の防戦を行うが、駆逐艦暁を脱落させたのみであった。日本艦隊が必殺の魚雷を放つ頃、英艦隊は半ば瓦解していた。
●戦艦プリンス・オブ・ウェールズの最後
日本帝國海軍第2艦隊 ナツナ諸島沖 南シナ海
1941年12月10日(第4ターン)1430時頃
日本艦隊の発射した魚雷は、107発だった。魚雷は2隻の戦艦めがけ疾走する。既に満身創痍の状態のプリンス・オブ・ウェールズには避けようがなかった。2、3発も当たれば彼女は沈んだであろう。しかし魚雷の飽和攻撃によって彼女は11発もの命中弾を受けることになる。戦艦プリンス・オブ・ウェールズは、急速に右舷側から沈み始め横転沈没した。巡洋戦艦レパルスは駆逐艦エクスプレスの援護によって逃走に成功した。少なくとも、この時点では。
●遅れてきたふたつの艦隊
連合軍ドールマン艦隊 リンガ スマトラ島 オランダ領東インド
1941年12月10日(第4ターン)1030時頃
巡洋艦8隻、駆逐艦20隻からなる艦隊はドールマン提督の旗艦デ・ロイテルを先頭に出港した。この間隊は米英蘭の混成艦隊であり、司令官のドールマン提督はオランダ海軍軍人だった。この艦隊の最大の特徴であり欠点は、混成艦隊であることだった。艦隊行動の規定のすり合わせもしておらず、オランダ式の命令を、英米それぞれの旗艦で英語の分かるオランダ海軍士官が内容を教え、また英米それぞれの艦にそれぞれの方式で命令するという、手間暇をかけてやっと行動している。彼らは寄せ集めの悲哀をたっぷりと味あわされる運命だった。
そのころ、ブルネイ沖の海では、日本の第4艦隊が、輸送船団と船団直衛を命じられた海防艦占守、それに出撃前にB17重爆の攻撃で損傷した巡洋艦熊野を除いて、南海へ出撃していった。しかし、この艦隊の運命は・・・
●波濤を越えて
日本帝國海軍第2艦隊 シンガポール沖 南シナ海
1941年12月10日(第4ターン)1830時頃
レパルスを追っていた第2艦隊が発見したのはドールマン提督率いる混成艦隊であった。近藤信竹中将は予定外ということもあり少しばかり困惑したが、敵に戦艦がないこともあり、攻撃することに決めた。ドールマン提督は自艦隊が輸送艦船や鈍足の艦艇を連れていないことからその速力を生かせば、敵に大きな打撃を与えられると考えた。双方とも己の艦隊が勝つと考えていた。しかし、この海戦は日本のワンサイド・ゲームだった。ドールマン艦隊が砲撃を開始する前に日本海軍は重巡ヒューストンと軽巡ジャワを血祭りに上げた。重巡エクセターの砲撃は摩耶を損傷(小破)させることに成功したが、駆逐艦スチュアートを始めとする駆逐艦群は次々と日本海軍の精密な砲撃の餌食と化した。日本海軍の標的艦と化した駆逐艦群に対して奮闘したのは軽巡洋艦群であった。軽巡洋艦トロンプ、パースや旗艦デ・ロイテルなどの砲撃は、日本の3巡洋艦に損傷を与えた。重巡摩耶に至っては稼働主砲塔が5機中1機のみにまでなった(判定中破)。そしてマレー・シンガポールで行われた一連の海戦での日本が唯一沈められた水上軍艦である駆逐艦暁も彼女たちの戦果であった。
結局、ドールマン艦隊は巡洋艦2、駆逐艦3まで討ち果たされ潰走した。
●南雲提督海に散る
日本帝國海軍第4艦隊 ナツナ諸島沖 南シナ海
1941年12月10日(第4ターン)1620時頃
必死の逃走を続けるレパルスを南雲忠一中将率いる第4艦隊が捕捉に成功した。南雲中将は水雷戦にて敵を沈めるべく突撃を命じた。戦艦のない第4艦隊にとっては此の手が唯一の手段である。水雷戦が専門の南雲提督にとっては待ちに待った瞬間であろう。日本海軍の水雷戦隊は、伝統的に敵戦艦を撃沈するのを目的としていたからである。
第4艦隊は射撃をしながら突撃を開始する。第4艦隊の砲は最大が20センチに過ぎず、命中したとしても損害は出ない。それでも敵に撃たれているという事実は、それが損害が出ない物であっても、撃たれている側に影響を与える。しかし・・・
「敵弾、本艦を夾差」
旗艦鳥海の艦橋。とうとう敵艦は鳥海に命中可能なデータを手に入れたらしい。かといって転舵してそれから逃れるわけにはいかない。既に突撃を命じた後であり、雷撃するまでは進路を変えられない。
「敵弾、来ます」
「総員、衝撃防御」
しかしその命令も無意味に過ぎた。鳥海のまわりに起きた水柱が消えたとき、其処にはかって巡洋艦だった物が浮かんでいた。敵艦に対して砲撃を続けていた主砲塔は全て破壊され、高雄級の特徴である独特の形の艦橋も破壊されていた。艦橋にいた者たちの運命など考えるまでもなかった。続いて三隈が中破するに至って、次席指揮官の栗田健男少将は退避を命じた。
●深海への誘い
日本帝國海軍第2艦隊 シンガポール沖 南シナ海
1941年12月10日(第4ターン)2000時頃
第2艦隊は再びレパルスを捕捉せり
敵艦孤艦なれど、良く奮闘す
されど、敵艦に脱出の途無し
英国巡洋戦艦レパルス沈没せり
レパルスの沈没位置、シンガポールの東北東約100浬
やっと、出来ました。太平洋戦記第4回「戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」を撃沈せよ」をお送りします。書いてる途中で友人から「TLS2」を返して貰い、少しプレイしたら心がほんわかモードに・・・。 こっちのノリと可成り違うためか書くのに時間が掛かってしまいました。
次回は太平洋南西部の戦いもしくはマレー半島攻防戦になると思います。海の方はしばらく対潜戦闘くらいしかないでしょうしね。何しろ、米太平洋艦隊に続いて、英東洋艦隊にドールマン艦隊まで撃破してしまったのですから。
それにしても各地の陸軍部隊を早く動員しないといけないですね。それ以前にタンカーが足りない。補給無しで艦隊は出せないし、どうしよう。
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