このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
まりも
札幌(函館本線)−釧路(根室本線)
北海道へ行く度に最後に使う列車。ワイド周遊券の期限の切れる日に釧路でサンマの刺身を食べてからこの列車にのる。大阪着は2日後でとっくに期限は切れているのだけれど、改札口を出なければ目的地まで切符は有効という規則を使って、めいっぱい北海道を楽しむ手法。ただしこれは「まりも」の指定席を取っている場合。指定がないときは、早くホームへ入るために、根室方面からの接続列車より乗り継ぐ。今なら快速「ノサップ」、当時は急行だった。なぜかというと、改札が列車別に行なわれ、しかも発車直前にならないと入れてくれないからで、接続列車から乗り継ぐときは、改札から外に出なければ、既に停車中の「まりも」に一番乗りで乗れた。とりあえずテンションが下がりつつあり、そして、余韻に浸り始めるころで、とても独特な気分でまりもの旅をしたものだ。列車も比較的いい車両があてられ、好きな急行のひとつである。
あおもり
名古屋(東海道本線)−青森(東北本線)
最初にお断りするのですけれど、これは古い話です。現在「あおもり」は寝台特急「日本海」を補完する臨時列車として大阪−青森間の運転となっています。だからこれは約10年前の話。当時は名古屋を始発とする面白い臨時列車がいくつかあり、「あおもり」はそのうちのひとつ。他に注目していたのは、急行「エメラルド」。海水浴シーズンのみの運行で、北陸線敦賀から東舞鶴に入っていました。さて、あおもりは信州旅行に使った列車。普通車指定席のない「きたぐに」を避け、同じ自由席なら臨時の方がすいているだろうからと、米原までわざわざ快速で向かい、そこから乗り込んだのでした。これがまたひどい混雑で、山男がデッキを占拠、「はいれないよ」と叫んで、のせてさえくれない横暴さ。デッキで座り込むのはいいとして、人が来たら少しよけろよな。こんな行儀の悪い山男なんて滅多にいないぞ。どうせ苦労するなら、早くから大阪駅で並んで、「きたぐに」自由席を確保する方が良かったじゃないか、と思いついたのだけど、後悔先に立たずなのです。
ちくま
大阪(東海道本線)−長野(信越本線)
信州旅行に何度となく使った夜行急行。やはりこれは便利です。その中で、一番悲惨だったときの話。何年だったか忘れたけれど、台風だか集中豪雨だかで確か富士川鉄橋が流れたり、小海線がずたずたになったり、関西線が車庫のなかで多くの車両が水に浸かってだめになったりしたときだったと思いますね。本当は篠ノ井から大阪行きの特急「しなの」に乗るつもりだったんですね。夏休みだし、唯一の大阪直通「しなの」(他のは名古屋止まり)だし、結構苦労して指定席を確保したのです。しかしダイヤはずたずたで、勿論乗れません。なにしろ篠ノ井までたどり着かないのです。小海線小淵沢から普通列車で篠ノ井へつないだのだけど、いやあ止まること止まること。ただでさへ遅れているのに、特急通過だの、行き違い待ち合わせだの。納得できないのが、特急が通過した後、その特急が先の駅で対向列車と行き違いをして、それが戻ってくるまで待たされる。そしてそれが単純に往復するよりも遙かに時間がかかっているのだ。情報は全く流れないし、ひとたびダイヤが混乱すると、アナウンスは沈黙してしまう。これは今でも変わらない。で、結局、篠ノ井で「ちくま」を待ったんだけど、駅前のとある食堂は対応がお粗末で結局何も食べられなかったし、ちくまは大混雑で座れないし。ラッキーだったのはデッキが一つ占有できて、横になれたこと。人いきれでむんむんする客室内より快適だったかも知れない。「席が空きましたからどうぞ」と、声をかけてくれた人がいて、目が覚めたらそこはもう京都だった。
だいせん
大阪(東海道本線)−出雲市(山陰本線)
これも何度となく使った列車だけど、初めて使ったのは、まだ「大社線」があって「大社」行きだった頃。「出雲大社」ではなくて「大社」としか名乗らなかったのはすごいよね。わざわざ出雲と断らなくても通じた、または通じると思いこんでた、わけですから。そのころは20系ブルトレで、座席車は全国に12両しかないA寝台改造車ときいたことがあります。「だいせん」に3両2編成、「十和田」に3両2編成、なんだとか。この折り返し列車「大社発出雲市行・普通」は、寝台車部分も別にロックされることなく、距離は短いながらも、「通学寝台列車」だったのでした。まあ、寝転がってる人はいても、熟睡してる人はいなかったでしょうけれど。
そして、阪神淡路大震災でも、「だいせん」は活躍しました。山陰経由で東西連絡、という使い方をした人が何人いたかわからないですけど、車両の輸送に使われたのでした。例えば、やまぐち用の客車がだいせんにつながれて回送されるのを見たことがあります。
おが1号
上野(東北本線)−秋田(奥羽本線)
これも廃止されてしまった列車。秋田止めだったか、男鹿線まで乗り入れてたか、実はちょっと記憶にない。奥羽線のダイヤを方眼紙に作って、擦れ違いを確認したり、時刻表を本に自分で作ったダイヤグラムがどの程度正確かを実地見聞したり、そんなことをした列車でした。編成両数よりも運転台の方が多いようなありあわせのキハで、実際に運転台の方が多いなんて事は両運車を使わない限りありえないから大げさだとしても、まあそんな列車でした。中間運転台に座っていると気がつかないうちに足がホイッスルペダルに触れて車掌に怒られたり、線路上の置き石を発見して駅に通報したり、まあいろんな事があった列車でした。
はまなす
青森(東北本線)−札幌(函館本線)
僕は札幌から青森へ向かってのったのだけど、うまれて初めて指定席の2重発売にあった。客同士で指定席を見比べると、こちらの分が悪い。日付が違うのだ。なんと、今日窓口で「今日のはまなす」といって買ったのに。車掌に事情を説明して、駅の係員が間違ったんだと主張、予備席を割り当ててもらった。これがラッキーで、隣にだれも座らないから、のびのび眠れた。車両自身だいぶん悪くて、今は改善されたかもしれないけど、二人掛けだとしんどかっただろうなあ、と思う。そもそも、とえらそうに文句をいうと、青函トンネルが開通したとき、それ以後の北海道旅行は、直通列車の恩恵で、地獄の青森走り、函館走り、がなくなるものだと思っていた。ところが直通列車なんてほとんど走らなかった。実際に走っているかどうかは別として、寝台特急ではなく日常生活レベルの直通列車がなければ、わざわざ大金かけてトンネルなんか作るなよ。そりゃあ、門司と下関のように日常レベルでの交流はないのかもしれないけどさ。ちなみに、○○走り、というのは、青函連絡船でゴロ寝の場所を確保するために、または接続の特急の自由席を確保するために、老も若きもひたすら走ったのである。これは現在、南海特急と四国連絡船との乗継ぎでいまでもシーズン中は見ることができる。(ぼくも走った)
急行列車自体がほとんど存在しなくなってしまいました。砂丘号の廃止は少し悲しい。ネタはまだありますので、また更新していきます。
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