7月19日、映画館から出てきた私を待っていたのは、青い空だった。そう、その時の私の気持ちを象徴しているかのような。終わったんだな、終わってしまったんだな、これが正直な第一印象だった。あの時はこの感情以外の感情は混沌としていてとても文章化できるものではなかった。あの日から1ヶ月、いまだに私の感情は混沌としたままだがここでこれを書くことによって自分の感情が整理できないか、と思い今筆をとった次第である。
エヴァの文章を書くときに痛切に思い知らされるのが自らの文章力の無さである。本当は映画論を書きたいのだが、この文章力の無さ故おそらくは映画の感想文になるであろう。それでもなお私に筆をとらせるエヴァ、おそるべし。
"THE END"の名にふさわしい出来だったように思う。春の段階で、私はかなり心配していた。エヴァがエヴァでなくなってしまうのではないか、と。だが、やはりエヴァはエヴァに還ってきた。メカニック、人間ドラマ、表現技法、そしてあのラストシーン、まさにエヴァのすべてが含まれていた、といっても過言ではなかろう。REBIRTH編からの一連の戦闘シーン、ここまでやるか、というくらいまでの残虐さ、個人的にはあまり好きではないのだが、あそこまでできるのは監督くらいのものだろう。ミサトとシンジの最期のやり取り、リツコとゲンドウの最期のやり取り、シンジのインナースペースの話、エヴァの人間ドラマとしての面を見せつけてくれた。実写を使う等の技法、なかなか斬新だった。(ついでに踊る映倫マークは笑った)そして、いまだに多くの人に謎をつきつけたままのシンジがアスカの首をしめる、というあのラストシーン。まさかあそこで幕を降ろすとは思わなかった・・・。監督は私が期待していた以上のものを創ってくれた。 …
TV放送が終わった後、「シト新生」が終わった後、私はエヴァについて無性に語りたくなった。また、実際有形無形に色々と語っていた。また、多くの人がそうであっただろう。某局のエヴァ特集ではないが、まさに「そしてみんな語りだした」という感じであった。ところが、である。"THE END OF EVANGELION"を見た後、私は語る言葉を持たなかった。決して、言葉を持てないほど深い絶望に落ちたわけではない。その時の私の気持ちというのは7月19日に映画館を出たとき、その時の天気の如く晴れわたっていた。「終わったんだ。ありがとう、君に逢えてうれしかったよ」その時の私の偽らざる心境である。それから2ヶ月以上、いまだに心の整理はできていない。否、ここで私がこの文を書くことにいかほどの価値があるのだろうか。庵野氏はかつて語っている、エヴァは見る人を映す鏡である、と。まさにそうだと思う。感想はまさに千差万別、エヴァに関してはまさに「1億総評論家」となった。そのそれぞれに、その人の性格が表れている。エヴァが鏡だとすると、その評論は、その鏡に映したその人の像、ということにでもなろうか。その鏡の前で一体今まで何人の人が踊ってきたことか。私もこの2年弱踊っていたが、少々疲れてしまった。 …
面白かった・・・。"THE END OF EVANGELION"の感想は、この一言に尽きる。もちろん不満がないわけではない。しかし、それをおぎなって余りあるごちそうだった。 …
〜そして時計の針を現在に戻し、しばし私は考える〜
以上にあげたいくつかの文章は、かつて私が書いた"THE END OF EVANGELION"についての文章であり、そのいずれも完結していない。上映されてからかくも時間がたってしまった今、こんな雑文を書く意味(というほど大層なものではないが)があるのか否か、甚だ疑問ではあるが、そろそろ自分の中の総括を行いたいと思い、敢えて上のような未完の駄文を引っぱり出し、なおかつ今、新しい文章を書こうとしているのである。
早いもので、TV版本放送が最終回をむかえてからすでに丸2年以上が過ぎてしまった。あの強烈なラストから1年と3ヶ月が過ぎた'97,7をもって完結をむかえたエヴァ、あれ以来「社会現象」とまで言われていた「エヴァ現象」もようやく沈静化しはじめ、今では、その残滓しかないように思われる。これは、まぁ至極当然のことであり、それでも時々亡霊の様にポッと社会の表面に出てくるエヴァに驚かされることも少なくない。人の噂も75日というし、まして物忘れのいい日本の社会、今後表立ってエヴァがどうのこうの、という話は当分出てこないだろう。老兵は死なず、ただ消え去るのみ、である。それでも、あくまで社会から消えて行く、消えつつあるだけであって個人レベルの心の中等では、まだまだ永きにわたって生き続けるだろう。そういう意味ではエヴァは永遠に不滅です、といったところか。
「社会」というものにエヴァが影響をあたえるほどに大きな力を持っていたかは疑問ではあるが、個人レベルでは影響を受けた、という人は少なからずいるだろう。何をかくそう、私も明らかにその一人である。(イロイロなイミでネ)よく「エヴァ現象」についての話の中で「ヤマト世代」「ガンダム世代」という表現を見た。後の世で、「エヴァ世代」という表現が出てくるだろうか。私自身は、「エヴァ世代」というものは「ヤマト世代」「ガンダム世代」のように厳然として存在しうる「世代」である、とは思うのだが・・・。
結局、「新世紀エヴァンゲリオン」とは自分にとって何だったのか、今の私に答えることはできなかった。死ぬまで答えられないような気がする。だから、これ以上「エヴァとは自分にとって何だったのか」という非常に無駄(と言ってもいいレベルの)問いは今後、当分の間封印しようと思う。今後、私がエヴァについて文章の形で何らかの発言を行うことはないだろう。つまり、これが私がエヴァと出会った'95,12,19から今日までの「総括」である。面白いアニメだった、それだけでいいじゃないか、そんな気がする。
ありがとう。そして、さようなら「新世紀エヴァンゲリオン」