このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

また時代を感じる文章やなぁ…(苦笑)

 Karneval———踊る阿呆に嘲う阿呆    裏次郎

 ———「流行・・・賢者が、嘲笑しながらも従う暴君」———これは、さる著名なジャーナリストが著した「悪魔の事典」という本におさめられている項目である。最近のほかの流行に関しては少しづれるような気もするが、事EVAに関しては、かなり核心をついた言葉のように思える。今まで、私は一般に「流行」といわれるものに関しては、余り関わりあわず、外から冷ややかな目で眺めている「賢者」だった。ところが、EVAにおいては、流行の後追いではないものの(若干そのきらいはあるが)、完全に流行の先端を走ってしまった。これまでに、かくも広範囲で議論を巻き起こした流行があっただろうか。試しに、私が知り得た限りではあるが、EVAの事を扱ったことのある活字メディアをあげてみよう。———AERA、Quick Japan、産経新聞、JUNE、STUDIO VOICE、デラべっぴん、日本経済新聞、日経エンターテインメント、文芸、北海タイムズ、北海道新聞、ユリイカ、読売新聞(50音順、アニメ、ゲーム雑誌等は除く)———ざっと見ただけでもえらい数である。また、数もさる事ながら、その分野たるや、演劇、詩、文学の世界から、はては男性誌まで、なんか全然脈略がなく、あちこちで取り上げられているところ、そっちの方がむしろすごいのである。
 ともかく、これだけいろいろなメディアが取り上げると、いろいろな人がEVAについて書くことになるわけで、その中には、いわゆる「知識人」と呼ばれるような方々も少なくない。こういった人間の書く文章というのは、えてして難解な文章になりがちであり、また、EVA自身がかなり難解なものだけに、そうなると、まるで何を言いたいのかわからない、という文章もかなり見うけられる。また、そういう人間というのは、どうも物事を難しく考える癖がついているらしく、なんとも的外れな文章も結構見られる。その外れ方も、とことんまでいってしまうと笑えるものになるが、中途半端に外れたものなどはもう怒りすら覚えることもある。そういった文章に結構共通してみられる傾向が、「自分がEVAに踊っている」もしくは「躍らされている」ということに気付いていない、ということである。少なくともEVAについて文章を書き、さらにそれが活字メディアに流れる以上、EVAに踊っていないとは言えないし言わせない。それで飯を食っているのだから、普通のファンよりもむしろ踊っている、ともいえるのだ。
 そう、EVAは神が用意したお祭りだ。そのかがり火の周りで私も含めて皆踊っているのだ。その踊っている人間の中には、「これはくだらないことだ」と言いながらもきっちり踊っている人間もいる。しかし、いつの時代も神は気まぐれだ。祭りも佳境にさしかかり、まさにクライマックスをむかえんとしたその時、神は大雨を降らせた。それに対しての反応は実に様々だった。神を恨んだふとどき者(笑)、この雨にはそれなりの理由があって、降るべくして降ったのだと勝手に納得してしまった者、体が熱かったから雨のおかげで冷えてちょうどよかったと喜ぶ者、神なんてものはもともと気まぐれなものさ、こんなものさ、と悟っていた者・・・・皆、色々なことを思いながらも祭りの余韻にひたっていたのだ。普通はこれで、皆自分の家に帰るか、他の祭りを探すかして、その場から去っていくものだ。しかし、今度の祭りは大きかったにもかかわらず、中途半端ともとれるような終わり方をしてしまったがゆえにまた神は何かをやらかすのではないか、という期待とともに多くの人々は広場に残っていた。また、この祭りの騒ぎを聞きつけた人々が、さらに広場へと集まってきた。そうすると、そう、再びかがり火に火がともされたのだ。人々は、再び大きな期待を胸に抱いて踊りだした。そして、神は、あの手この手でかがり火を大きくしていく。その火が大きくなればなるほど、人の数も、人々の期待も大きくなってゆく。さらに、祭りの終わる日もどんどん先延ばしになってゆく。そうなればまた人数も期待も膨れ上がってゆく・・・。しかし、現実というのは残酷だ。終わりのないものなんてありやしない。この祭りも、いずれ終局を迎える日が来る。神の声によると、一応は夏に終局が来るらしい。その来るべき終局が、一体いかなるものなのか、そしてそれに対して人々はどのような反応をするのか・・・。これらはまさに「神のみぞ知る」であろう。
 かつて神は語った。この祭りは、祭りにうつつをぬかして、現実を忘れている者を現実世界にたたき戻すために催したのだ、と。私自身は、どうも嘘っぽく感じるのだが、もし、神が本当にそう思っていたのだとしたら、とんでもない見込み違いをしたものだ。現実にたたき戻すには、雨の前のクライマックスが大きすぎた。運命とは皮肉なものである。現実に引き戻すどころか、祭りから離れていた者、祭りを忘れていた者、祭りを知らなかった者まで、踊りの味をしめ、祭りの味をしめてしまった。神は、今でも人々を現実にたたき戻すべく秘策を練っているのだろうか、それとも・・・。また、祭りに味をしめてしまった人々(私も含めて)は、この先どうなってゆくのだろうか。麻薬というものは、一度始めると一回に使う量はどんどん多くなってゆく。今回のこの祭りも麻薬みたいなものだろう。そうすると・・・。
 この祭りが、どういう終局を迎えるのか、その来るべき終局のあと、我々がどういう反応を示すのか、誰もわからない。我々のできることは、ただ待つことだけだろう。それでも、我々は待つのだ、期待を込めて。そして、私は踊ろう、最後まで。この祭りがどういう終局を迎えるか、この目で確かめよう。最後まで踊り続けて。その結果が、たとえ「死に至る病」的なものであったとしても・・・。
 随分と長々と書いてきたが、ここいらでそろそろ筆を置こうと思う。最後まで読んで下さった方々、ありがとうございました。最後に自責、自戒、自嘲の念を込めて言おう。そして繰り返そう。終わりのない祭りなんてない。現実逃避した先もまた現実、そして、「流行・・・賢者が、嘲笑しながらも従う暴君」

 1997年2月29日 20:05  日本海4号 オハネフ25 136 7番下段にて
 夏に来るであろう「祭り」の終局に期待と不安を抱きつつ
戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください