このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

いいかげんにしろ

 一言でいうと題名の一言で終わってしまう。そう、最近の与党、特に自民党の蛮行である。もっとも、それは「最近」といってしまうには抵抗を感じる。やはり、嘘吐き青木元官房長官が故小渕前首相の病状をひた隠しに隠し、密室の中でシンキロウを首相に据えてしまったのがそもそもの間違いである。もはや、このシンキロウを首相に据えた人事は天下の失策といっても、恐らくは反論よりも同意のほうが多いであろう。数多くの「失言」を重ね、驚異的な低支持率には目もくれず、衆院選で世間の冷たい視線を浴びるや、己の党に都合がいいように選挙制度を変えようとする。過日の党首討論の際、野次を浴びせる民主党議員に対してシンキロウ氏は、「人の話を聞きなさい。それが民主主義というものでしょ」と、のたまった。その通りである。なんだ、シンキロウ氏、判っていらっしゃる。ならば、「世論」という「人の話」を聞いて、とっとと退陣するのが、筋というものであろう。確かに、日本は議会民主主義で、首相は公選制ではない。そういう意味においては、先の衆院選では森連立政権が信任された、といえよう。然るに、自民党は単独過半数を割っている上に、もし公明党が連立与党を離脱し、野党大連合が結成されたとしたら(現状では公明党の与党離脱も、まして共産党と公明党が手を組む、というような状況はありえないとは思うが)、衆院の勢力図は与野党拮抗までいってしまう、という事実も、確かに存在するのだ。まして、公明党は宗教団体をバックボーンに持つ、比較的世論の動向に集票能力が左右されにくい政党である。そういったことを観念すると、先の衆院選は、どう見ても自民党に対して国民がNoを突きつけた、としか見えないのではないか。
 一連の、参院選に非拘束名簿方式を導入する法改正に関しての与党の姿勢というのは、やはり納得できない。ここで、非拘束名簿方式とはどういった制度かを、簡単に(?)解説してみようと思う。まず、その前提として、比例代表制度における「ドント方式による当選者数の決定法」から。今仮に、定員5人の選挙区でA党が10万票、B党が7万票、C党が4万票を獲得したとする。次に、その各政党が獲得した得票数を、それぞれ1・2・3・4…で、順に割ってゆく。そうすると表1のような結果が出る。
表1
A党B党C党
得票数10万7万4万
÷110万7万4万
÷25万3.5万2万
÷33.3万2.3万1.3万
 ここで、この選挙区の定員数、5にしたがって、出た商を多い順に5つ、ピックアップすると、表1の、赤く塗った部分がピックアップされる。この、赤い部分の数が、各政党の獲得議席数となる。つまり、同じ条件で定員が6だとすると、次は3.3万が残ってる中で一番大きな数字なのでさらにA党がもう1議席、7だとすると、この表にはないが10万÷4の2.5万が一番大きく、さらにA党がもう一議席、となるわけである。さて、この議席数の決定法に関しては、拘束名簿式・非拘束名簿式のいずれも同じであるが、この二つの制度、大きく違う部分が二つある。まず一点目が、投票の方法、二点目が、当選者の決め方、である。この二つの違いのうち、一点目の違いこそが、まさに大きな問題点なのである。拘束名簿方式の場合、我々有権者は、政党名を投票用紙に書き、それを投票箱に入れ、それがそのまま各政党の獲得票数になるわけである。ところが、非拘束名簿方式の場合は、拘束名簿方式のときと同じように政党名で投票することも出来るが、あらかじめ各政党が用意した「名簿」に記載されている「候補者個人」に投票し、その、各個人が獲得した票の、各政党ごとの合計が、その政党の得票数となるのである。ここで、極端だが、ありえないともいえない例を挙げて、その問題点を見ていこう。先と同じ定員5人の例で見ていくことにする。定員5人であるから、各政党は5人の立候補者を立てたとしよう。各党の、各候補者が表2のように票を獲得したとする。

表2
A党B党C党
A山A雄
9万
B山B雄
3万
C山C雄
1.3万
A本A子
5千
B本B子
2万
C本C子
1.2万
A木A介
3千
B木B介
1.5万
C木C介
1万
A村A美
1.5千
B村B美
3千
C村C美
4千
A藤A男
5百
B藤B男
2千
C藤C男
1千
10万7万4万
この表の、一番下の項目が各政党ごとに候補者が獲得した票を集計したものであり、それをもとに、各政党の獲得議席数を決定するのは先に述べた通りである。したがって、各党の獲得議席数は表1からも判る通り、それぞれ2・2・1となるわけである。さて、先に述べた2つ目の違い、当選者の決定法が、出てくるわけである。従前の拘束名簿方式の場合、名簿にはあらかじめ各候補者とその順位が記載されており、各党が獲得した議席分、その名簿の上位から順に当選者を決めることになる。つまり、獲得議席数が決まったら当選議員も決まっており、また、名簿で順位が「拘束」されているから、「拘束名簿方式」といわれるのである(なお、小選挙区比例代表並立制の場合はその他に重複候補の処理の問題があるが、この場合の話の本筋とは直接関係ないので省略する)。しかし、非拘束名簿方式の場合、獲得議席数分、各党のなかで票を多く獲得した順番に、当選者が決まるのである。つまり、表2の場合、、赤く塗った5人が当選、ということになるわけである。こちらは、順位が「非拘束」、というわけである。さて、ここで、落選したB党のB木B介・C党のC本C子・C木C介と、当選したA党のA本A子の票数を見ていただきたい。そう、同一選挙区において、落選した議員よりも少ない得票数にもかかわらず当選する議員というのが出てくる可能性があるのだ。何故このようなことが起こったかというと、A党のA山A雄が、9万票という圧倒的な票数をたたき出したからである。これが、「票の横流し」とか、「有名人を擁立してうっはうは」というようなことが言われる所以である。極端な話、0票でも当選する議員が出うるような、そのような選挙制度なのである。もちろん、理論上、0票で当選する議員がいるとはいえ、実際に0票で当選することはないだろうし、、また、1票も取れないような議員というのは出ないであろう。然るに、先にあげた当落選者間の票数の逆転現象というのは十分起こりうる話である。さらに、全国が1つの選挙区として扱われるゆえ、当然知名度が高い候補者有利になるわけで、その辺が、「知名度だけ高いタレント議員の乱立につながる」と非難される所以でもある。確かに与党の言うように拘束名簿方式よりも個人の名前が前に立った、候補者の顔が見える、いわゆる「人を選ぶ選挙制度」とはいえるかもしれない。だが、それならば、A本A子の3倍の人に支持されたにもかかわらず落選したB木B介や、そのB木B介に投票した1万5千人の立場というのは一体どうなるのか。無論、比例代表制度という制度である以上、その1万5千票は死に票ではなく、B党から2人の当選者を出す一助にはないっている。然るに、真に「人重視」の制度というのなら、いっそのこと比例代表制を廃止するほうがすっきりするのではないか。我々有権者も、そのような選挙制度を理解した上で、次の参院選では投票をしなければ成らない。あなたの、その一票が、別の人をも当選させうるのだ、ということは、重々承知の上、投票していただきたいし、また、私も投票したいと思う。
 先の衆院選の後、私は毒を吐いた。その中で、「与党は与党で安定多数を確保したとはいえ大幅に議席を減らしているという事実、これを真摯に受け止め、謙虚に施政していただきたい」と書いた。真摯には受け止めたらしいが、謙虚ではない。与党は国民をなめているとしか思えない。今度の参院選は、国民も試されていると私は思う。ここで、与党にNoを突きつけるのか、それとも「与党の党利党略」に乗せられるのか…。私は、楽しみでもあり、そして不安でもある。その先に、何があるのか…。「愚劣なる臣民には愚劣なる統治者しか生まれない」というとも聞く。
みんな、もっと政治に関心を持って、選挙に行こうぜ。
2000年11月1日 0:50 いいかげん愛想もつきそうな今日この頃 東○太○

毒舌トップに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください