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第42回衆議院議員総選挙・その雑感、及び政治批判、特に「言い訳屋」「嘘つき」「差別思想者」についての「罵詈雑言」

 去る6月25日に行われた総選挙、その結果はご存知の通り、与党が大幅に議席を減らし、民主党が躍進、とはいえ与党の安定多数は確保、という、何ともいいがたい結果であった。私自身、今回初めて投票した人間として、また、1市民として、今回の選挙について思ったこと、さらには今まで腹の内にためていたことを徒然なるままに綴ってみたいと思う。
 まず、第一に思ったのは、投票率の低さだ。前回よりも改善したとはいえ、それでも依然戦後2番目の低さ、日本人の政治に対する無関心の度合いは、もはや救いようのないレベル、と見受けられる。特に、今回の選挙は投票時間の延長が実施されてからはじめての衆議院議員選挙でありながらこの数値である。さらに、森首相の幾多の迷言・妄言・暴言をはじめ、前小渕首相から森首相への不透明な政権移譲、自自公連立に端を発した自公保連立政権の枠組みを問う最初の選挙、先の見えない経済状況等々、幾多の争点があったにもかかわらず、この数値である。ただ、この数値、一概に国民が悪いとは言い難い。私も、どちらかというと消極的な理由で今回の投票者、党を決めた。「この人に議員をやらせたい」「この党に政権を取らせたい」というよりも、「この党には政権を渡したくない」という理由からである。だから、無理を承知で言うならば「某党にマイナス1票」というのを入れたい気分である(余談だが、もしこのような制度があるならば、投票率ももっと上がるであろう。あまり責任のある態度とは言い難いが)。そう考えると、やはり投票率が上がらないのもむべなるかな、である。日本新党を中心とした非自民連立政権が崩壊し、社会党が自民党と連立を組んだという、あの一連の流れが今の政治不信を決定付けた気がする。そりゃそうだ。そも、社会党は自民党に対するアンチテーゼの票がかなり流れていたはずである。その社会党が、自民党と連立を組んだのだ。無節操のそしりは免れなかろう。そのつけは大きかった。今や社会党から転じた社民党は弱小政党に落ちぶれてしまっている。「結局何も変わらなかったじゃないか」…そういう声が聞こえてくる。然るに、そこで「何も変わらないじゃないか」といって「寝て」しまうと、ますます何も変わらない。「『何も変わらないじゃないか』といってる人間がみんな投票したら、案外変わるんだけどねぇ…」というのはバイト先のさる記者の言葉だが、まったくそのとおりだと思う。「最高の選択」はできなくても、「最悪でない選択」は出来るであろう。少なくとも、さしたる理由もなく「どうでもいいや」と、選挙権を放棄して家で寝ていた人間には、今の政治・政権を批判する権利はない。
 自民党は「野党は首相の資質等ばかりを問題にして政策論議をしていない」というようなことを言っていたようだが、少なくとも今の日本では首相は国民が直接選べるわけではなく、選挙を通して選ぶしかないのである。その事実をかんがみるに、今回の選挙は新たな首相を選ぶ選挙でもあった、といえよう。その結果、自公保の連立与党は安定多数を確保し、森喜朗氏が再び総理となりそうな雰囲気だ。これが「国民の選択」かと思うと、正直情けない。この選挙結果を見る限り、与党が「国民は森内閣を信任した」と考えてもいたしかたあるまい。数字の上では安定多数を確保したのだから。この場合、大幅に議席を減らしたというその事実はあっさりと忘れ去ってしまうのだから与党各党の忘却力の強さには感服する。先の参院選の際もそうだったが、結果が出たすぐのころは与党も「結果を厳粛に受け止め」ているのだが、暫く経つと民意を忘れてそのまま突っ走ってしまう。今までに何回も繰り返された光景が、また繰り返されるのかと思うとうんざりする。
 各種世論調査では「森総理」を信任する、という話はどこにもない。この結果を素直に読み取ると、「自民党は信任しても『森総理』は信任しない」ならないだろうか。あくまで世論調査にすぎないのだから知ったことではない、というのが森氏他の考えであろう。「数が正義」の政党が自民党である。与党が衆院で議席を過半数抱えた以上、粛々と「森総理」を選ぶのだろう。これも、結局「民意」ということになってしまうのだ。これを我々はどう捕らえるべきか。
 他に適任者がいるのか、という質問に関してはきわめて答えにくいが、少なくとも森氏にはこの国の首相はやっていただきたくない。「誤解を招く」ような、無責任ともいえる言葉の羅列、その言葉の端々に見え隠れする戦前の古い思想、また、記者たちに対したときのあまりといえばあまりに尊大な態度…その一々がすべて首相の資質を否定しているように思われる。「片言隻句にこだわる一部偏向マスコミ」というような話もあったが、本当に「片言隻句」だろうか。人間たるもの、何かを人に伝えようとする場合、「言葉」を使わなければならない。それゆえ、人は多かれ少なかれ己の発言には責任を持たねばならない。いわんや、一国の総理たるもの、その責任たるや、絶大であることは想像に難くない。そんな立場の人間が一々後から「釈明」という名の言い訳をしなければならないような発言を繰り返していていいのだろうか。「片言隻句にこだわる一部偏向マスコミ」というが、では歴代総理でここまで「片言隻句」をとりだたされた総理がいただろうか。たとえそれが「誤解」であったとしても、誤解されるような発言をしたという、それだけで十分資質を疑うに足る弾劾事項だといってしまうのは乱暴だろうか。そも、言葉などというものは相手にどう取られるかが一番肝心なのであって、後から「それはそんなつもりじゃなかった」といっても、後の祭り、ということが往々にしてある。そんなこともご存じないのだろうか、森氏は。ご自分の思想を持たれるのは結構。たとえそれがそれがどんな思想であれ。それを発言なさるのも結構。ただ、責任は取っていただかないと困る。ご自分の信念を持って発言なさったのであれば、わざわざ釈明などしなくても堂々と「これが自分の思想・信条だ」とおっしゃればよい。それで国民の真意を問えばいいではないか。そんな事も出来ない程度の浅薄な思想なら、端から発言なさらないでいただきたい。それを、言うだけ言って、それが問題になると一々「釈明」して、挙げ句の果てには「一部マスコミ」の責任にする…。私は森氏の、思想よりもむしろもっと根源的な部分で森氏には首相としての資質はないのではないか、そう考える。
 先の故小渕総理が倒れた後の一連の騒動、結局うやむやになってしまったが、うやむやにしていい問題ではないと思われる。仮にも一国の総理が倒れたのだ。その事実はひた隠しにされ、密室の中で何となく臨時首相代行が決まり、「プライバシー」の名の下に小渕氏の病状も明らかにされないまま内閣は解散、青木官房長官の発言も二転三転、挙げ句の果てには「総理と官房長官は親兄弟のようなもの」と情に訴える……。故小渕氏は、仮にも日本国の首相であった人物だ。無論、守られるべきプライバシーがあることは認める。とはいえ、どんな病状なのか、いつ倒れたのか、意識はあるのか、それすらも明かされなかった、しかも、亡くなった後にも詳しい経過報告がなされないというのはいくらなんでも隠し過ぎである。これでは、「森氏が自分が首相になりたいがために小渕氏を暗殺した」といわれても何も反論できまい。無論、私自身はそんなばかげたことはいわないが、だからといってそうではない、という証拠もないのだ。医者も医者である。入院するなら順天堂大学病院がよさそうだ。一国の首相の病状を「守秘義務」を盾にひた隠しにするくらい口が堅い病院だ。倒れた後の流れは、仮に情報公開をしていたとしても大きくは変わらなかったであろう。しかし、結果が同じだからといってその仮定をおざなりにしていいものでもなかろう。一つの国のトップの交代劇である。それを説明するのに「私の言うことを信じていただくしかない」だの、「総理と官房長官は親兄弟のようなもの」だの、何を勘違いされているのだろうか。あきれてものも言えない。そも、発言を二転三転させるような人間の言うことをどうして信用できようか。政治の世界に「嘘」「はったり」は必要かもしれないが、そうとわかる程度の低いものは対内的にも対外的にも信用を落とすだけである。そんなもの、つかない方がずっといい。さすがは「親兄弟」のつながりである。青木氏は奇跡を起こせたらしい。政治の世界は陳腐だとは思ったがそんなに簡単に奇跡が起きるほど陳腐とは思わなかった。もうちょっとレベルの高い嘘をついてほしかったものだ。
 「逮捕歴のある方とはお話できない」…これを見たとき、どう感じるだろうか。しかも、これが一国の閣僚の口から発せられた言葉だとしたら、どう感じるだろうか。私は、あきれて何も言えなかった。住民投票を「民主主義の破壊」などとのたまった中山前建設相の発言である。そう言われた側(住民グループ)の中に、問題がなかったとはいわない。それを差し引いても、言っていいことと悪いことがあろう。国会議員の中には同じような理由(学生運動等)での逮捕歴がある人物もいらっしゃる。さらに、彼の人が所属なさっている自民党には政治関係の汚職等で有罪判決を受けた議員も何人かいらっしゃる。そういう人物のことをどう考えているのだろうか。ここまではっきりとした「差別発言」、そうそう聞けるものではない。それが、仮にも建設大臣という地位にある人物の口から発せられたのだ。今までいろいろな「失言」を聞いてきたがここまであからさまな「失言」もなかなか珍しい。それでも、中山氏は運がいい。発言した時期がよかった。その時、世の中はまさに「森語録」に一喜一憂していた時期だったからだ。彼は森氏に感謝しなければならないだろう。彼の発言の陰に隠れたからこそ、大きな問題にもならず、内閣解散前に辞めなくてもすんだのだ。口達者なすばらしい上司を持ったものだ……。誰も彼も、そろいもそろって馬鹿ばっかりである。

 …と言っても、結局森氏も、青木氏も、中山氏も当選し、連立与党は安定多数を確保、民主は大幅に議席を増やすも過半数など夢のまた夢、それが今回の選挙の結果であり、「民意」である。国民は野党に「君たちには政権は任せられない」と言ったのである(もっとも、それも比例区だけを見てると一概にそうとも言い切れない面も含有しているのだが)。それを、野党側も真摯に受け止めなければなるまい。また、与党は与党で安定多数を確保したとはいえ大幅に議席を減らしているという事実、これを真摯に受け止め、謙虚に施政していただきたい。これ以上非建設的な「罵詈雑言」をつづっても空しいだけだし、意味のないことである。この国が、より良い…いや、そんな贅沢は言わない、今日よりも明日がもう少しはマシになっていることを望んで、このあたりで筆を置こうと思う。

2000年6月30日 16:34 1ヶ月間通い詰めたアルバイト先(某新聞社選挙本部)にて  東○太○

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