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 壱.「青大将」について

 「青大将」色、もちろん正式名称ではなく、正確には「淡緑5号」「黄1号」(EF58のすそに塗られていた黄色の帯)、さらに正確(?)にいうと、それぞれ修正マンセル値25G.4.5/3(淡緑5号)・1Y.7.5/12(黄1号)という色らしい。何せ古い時代の話であり、その当時のカラー写真も残っているとはいえ時代が時代だけにどこまで信用できるかわからないので、厳密に再現しようと思えばこのよくわからない値から色を割り出すのが一番正確なのであろう。そんな面倒くさいことをしなくても、金属用カラー(マッハカラー等)を参考にすればいいだけだろうが。もっとも、私がそんな面倒くさいことをするはずもなく、安直にGMカラーの京阪ライトグリーンと黄5号で塗り分けてしまっている。ちなみに、EF58の下回りは青大将色に変更された当初は緑3号に塗られていたが、後に黒に変更されている。
さて、はじめに青大将色となった車両は次に上げる車両たちである。

東シナ「はと」用
展望車

マイテ

581 582 492
1等車

マイ38

1 2
食堂車

オシ17

3 4 マシ3512

特ロ

スロ54

12 13 31 32 39〜47

特ハ

スハ44

14 15 19〜28
合造車

スハニ35

4〜6
機関車

EF58

57 55 45 38 44 68 49 63 64 59 66


大ミハ「つばめ」用

展望車

マイテ

391 3921 491

食堂車

オシ17

1 2 マシ3511

特ロ

スロ54

14〜21 33〜38

特ハ

スハ44

1〜13

合造車

スハニ35

1〜3

機関車

EF58

89 58 37 47 95 41 52 70 90 99 46 86 100 140


EF58について:塗装変更された当時の所属区は以上の通りだが、これらの車両の中には後になって別の区に転属したものもある。また、66・140が後になって追加されている。

 ’57−10改正までは「つばめ」が大ミハ持ち、「はと」が東シナ持ちとなっていたため、必然的に「つばめ」用・「はと」用客車、となっていたわけである。ただ、マイ38は「はと」用というわけではなく、外国人観光団体客用として随時「つばめ」「はと」に組込まれて使用されていた。
 ところが、’57−10改正の際に、基地集約が行われて「つばめ」「はと」そして「さくら」は大ミハ持ちとなったため、東シナにいた青大将のうち、スロ54の一部を除く全車両が大ミハに転属となる。ある資料によると、このとき東シナに残った青大将のスロ54は12・13の2両だけ、となっている。このとき東シナに残ったスロ54は順次ぶどう色2号に戻されていったようである。結果、このとき大ミハにはスロ54 14〜21・31〜47が集結したことになる。所定では「つばめ」「はと」で5×4=20、さらに「さくら」もいれるとさらに2×2=4、計24両必要である。ナロ10は’57—10に3両、11に11両、12に14両、というペースで落成しており、これらの車両(1〜28)が青大将色となり大ミハに順次配置されている。また、さらにその後’58—2に29〜33の5両が落成し、これらの車両は一般色となって東シナに配属され、’58—10改正で「はつかり」用として東オクに転属するまで「あさかぜ」「さちかぜ」に使用されている)つまり、ナロ10がそろうまではスロ54も使用されていたのは明白である。
 「さくら」はもともとはスハ43等で編成されていたのだが、ダイヤ改正に先駆け’57−7からは門タケからやってきた「かもめ」用スハ44による編成に変更されている。このとき門タケからきた客車は次の通り。

特ハ

スハ44

16〜18 29〜34

 

スハフ43

1〜3

合造車

スハニ35

7〜9


 これらの元門タケ車は当然ぶどう色2号だったわけだが、大ミハに転属となった後、青大将色に塗り替えられた。ただ、具体的にいつ塗り替えられたのかはよくわからない。編成の記録によると、「さくら」の特ロは主に大ミハに残ったスロ54が使われたようである。
 また、このときに東シナから大ミハへ転属してきた車両の中にマシ29 101・107という2両の食堂車がいたのだが、この2両も「さくら」用の食堂車(あるいは予備車か)としてどうやら青大将色となっていたらしい。これまたいつ塗り替えられたのかは不明である。ただ、どうやら大ミハに移ってかららしいが。マイ38だけは東シナに残り、今後もこの区を離れなかった。
 次に動きがあったのが’58−10改正である。この改正で「さくら」がなくなり、東北本線に「はつかり」が新設された。このために「はつかり」用として次の青大将の車両が大ミハから東オクへ転属した。

ナロ10

28

スハ44

26〜34

スハフ43

1〜3

スハニ35

7〜9


 これらの車両は、20系客車と同じ青15号にクリーム1号の帯に塗り分けられた。スロ54も、14〜17が門サキへ、18〜21が東シナへ、31〜38が東オクへ、39〜47が東シナへ、それぞれ転属している。ところが、これが厄介なことに、これらすべてが’58—10改正時に同時に転属したのではない。この中で、最後まで大ミハに残ったのは、編成の記録から推察するに18〜21の4両だったらしい。
 青大将の車両は、おおむね以上のような変遷をたどり、’60.5.31まで「つばめ」「はと」そして「さくら」として使用されたわけである。
 これらの車両に関しては、幸いにしてほとんどすべてがNゲージの世界でも製品化されて、さほど困らない。展望車は、マイテ39は1と21で形態が若干違い、21しか出ていないのが少々痛い。また、マイテ58は長らく製品が出ていなかったが、ついにキットが発売された。せこせこと自作した私の立場は…とか思わないではないが、とりあえずはめでたいことである。マイ38まで一応キットが存在するので、実質的にはほぼ100%のラインナップといえよう。


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