このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ソウルからの道


■8月26日
23時30分。 私は深夜のソウル駅にいた。 様々な思い出を胸に今帰国の途につこうとしていた。 深夜のソウル駅は各地への夜行列車へ乗る人たちでにぎわっている。 私の乗る夜行列車は、釜山行き特急「ムグンファ」151列車。23時55分発。 座席番号5号車29番。4番線からの出発だ。この日のソウル駅からでる最終列車である。一応全席指定席なのだが、すでに改札口の前には長い行列ができていた。 私もその行列に並んだ。 改札の開始は発車15分前、23時40分からである。 改札が始まり地平ホームの4番線へと降りていく。 白い車体にオレンジの帯を巻いた客車列車が連なっていた。 後ろには寝台車も連結されている。 蛍光灯の白っぽい灯りでで味気ない日本のホームとは違い ほんのりと赤みを帯びたホームの電灯が夜汽車の雰囲気に似合っている。
低い地平ホームからステップを上り車内へとはいる。
一応特急のようだが、少々古びたリクライニングの椅子に日本の新幹線と同じ 3列x2列の普通車は、予想以上に狭く感じられた。 冷房だけがきんと利いている車内であった。 車内は満杯である。 私の席は窓際の席だった。早速落ち着き発車を待とうとしたのだが、 発車間際になって乗ってきた私の隣の人は酔っぱらいであった。 酔っぱらいの行動は日本も韓国も同じである。 足元はふらつき、大声で話している。 と、それを見かねたかのように連れの人が「私の席と貴方の席を交換しましょう と言ってきてくれた。 私は、その申し出に「カムサハムニダ」とお礼を言い、席を交換してもらった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− (図)    ↑進行方向      |      |      |□□□ □■|最初の席 交換後の席|■□□ □□|      |□□□ □□|      |      | −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− そして、発車ベルの音もなく案内放送もなく静かにソウル駅を発車したのである。 深夜もにぎわう大都会ソウル市内は随所に灯りが見られた。 漢江の長い鉄橋を渡ると列車は郊外へと出る。 私はMDで旅の終わりになぜかはまった曲だった「Komm,susser Tod」を聴きながら、 夜汽車は釜山へ向け走っていく。 途中結構こまめに停車していくのだが、夜中の2時、3時でも結構乗降客がある。 途中でお客が入れ替わりながら、ほとんど満員のまま釜山へと近づいていった。 ■8月27日
午前5時4分、釜山郊外の亀浦駅で光州行きの古びた客車の普通列車とすれ違い、 5時17分、釜山駅へ到着した。 夜明け前の釜山駅前は、先行する夜行から降り立った人達でにぎわっていた。 駅前のLG25のコンビニへ入り、カップ麺で朝食とする。 起き抜けの目覚めのよくない頭に唐辛子一杯のラーメンがきいてくる。 下関行きのフェリーは18時30分出航である。 また半日以上も余裕がある。 歩いて釜山港へ向かう。 30分ほど歩いて日が昇り、朝日が射す頃港に着いた。 朝のフェリーターミナルはそんなに人はいなかった。 夜行列車出よく眠れず疲れていた私はターミナルの二階の人気のない 待合室二階のベンチで寝ることにした。 しばらくまどろんだ後、お土産を買うため地下鉄駅のコインロッカーに荷物を入れ、 地下鉄に乗ってロッテデパートへ向かった。 ロッテデパートは、一般客は10時から開店なのだが、 外国人専用の免税店(と言ってもほとんどが日本人だが。) は、9時からの営業なので、「外国人」の私は堂々とはいっていった。 免税店の休憩室は日本人のサロンと化していた。 飲み物は、ジュース、コーヒーなどが無料で飲めるのでありがたいのだが。 しかし、とにかく高い。町中の値段に慣れてきたところに免税店のぼったくり のような値段では買う気もしなくなる。 ブランド品や化粧品には縁のない私にとってそんなにメリットのある物ではなかったが とりあえず、お土産のお菓子を買った。 (後で、日本で開けたところ、中身のほとんどないすかすかのお菓子であったが・・・。) その後、地下の食堂で昼食とした。 私は、韓国で流行っているという「スンデ」と言う料理を食べた。(2900w) 牛の血を春雨と共に腸詰めにした物のようだったが、それはレバーのような味だった。 (正直、あまりおいしい物ではなかった。) 地下二階のマーケットで韓国のいろんな物を買い込み再びフェリーターミナルへと向かった。 16時30分 残ったウォン紙幣10000wを日本円に両替する。 10枚の1000w紙幣が夏目漱石1人と100円玉3枚にしかならなかった。 何か魔法が解けたような気分であった。 乗船手続きを済ませ、税関を通り、出国手続きを終え、船に乗り込んだ。 帰りの船は、韓国船籍の「フェリー釜関」である。 クルーは韓国人である。 船内の自動販売機もウォン硬貨が使えるやつであった。
左・中:フェリー関釜船内 右:フェリー関釜外観(撮影・下関FT)
18時30分 釜山港を出航。 国際航路なので、たばこや酒類が安く買える。 ビールは350mlが150円。 売店で韓国のアイスを売っていたので買うことにした。 ウォンなら300w、日本円なら50円と言う。 ・・・・・・・・・・当然ウォン立てで払う。(^^;(当時のレートで40円) 穏やかな夜の玄界灘をフェリーは下関へ向かっていく。 ・・・・・・・・私はずっと寝ていたが。 ■8月28日
朝、目覚めるとフェリーはすでに下関港内で停泊していた。 晴れ上がった良い天気であった。 右手には朝靄にかすむ関門橋。 行き交う船には日章旗。 ここが日本だと言うことを実感する。 停泊中のフェリーの横を貨物船がゆっくりと進んでいく。 8時30分 下関国際フェリーターミナルに接岸する。 担ぎ屋の人たちの多きな荷物が目立っている。 入国手続きも、税関もあっさり通過し帰国できた。 今日は北海道へ返る予定であったが、ルートについては全くの未定であった。 とりあえず、下関の郵便局であらかたの荷物を札幌へ送った。 15kg近くあった。 私は博多へ向かった。 博多からは飛行機で実家のある函館へ向かうことにした。 スカイメイトの有効期限が5日後に迫っていたので、スカイメイトの 使い納めでもあった。 13:55発函館行きJAL595便 定刻にテイクオフ・・・・・・ ・・・のはずだったが、30分の遅れ。 出発したのは14時25分。 波乱に満ちた旅の終わりにふさわしいトラブルであった。
しかし飛び上がってしまえばフライトは快適そのものである。 何日もかけて普通列車でたどった道を 飛行機で2時間しかかからず飛び越えていく。 函館に着いたのは16時25分。定刻より30分遅れである。 北海道はすでに秋であった。 ■9月2日
今日は私の22歳の誕生日。 でも祝ってくれる人はいない。 朝8時には普通列車に乗って札幌へ向かう。 外は雨が降っている。 すでに高校生は学校が始まっている。 通学中の高校生でにぎわうも、すぐに降りてしまう。 途中何度か乗換え、苫小牧経由で札幌に着いたのが 17時57分。 ソウルからの旅はここで終わったのである。 【ソウルからの道・完】

ご感想はこちらへ

大韓イメージ開発 へ戻る

出張記録 へ戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください