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1995九州旅行記.5
「精霊流し」
このページでの行程:長崎−博多−京都−敦賀−小樽
1995年8月15日
今日は昼過ぎまでに長崎に着けばいいのでそれまで時間を潰そうと考えた。
・・・別府で朝風呂もいいな・・・最新車両の「ソニックにちりん」にも乗ってみたいな。
にちりんドリーム号は4時08分別府に到着だが・・・私は座席で爆睡中。
あっと言う間に別府を発車。ようやく目が覚めたのは既に小倉到着前。別府の朝風呂は当然無理・・・
でもソニックには乗ってみたい。そこで小倉でドリームにちりんを下車。普通電車でソニックを「お迎え」に行く。
時刻表から中津でお迎えできると判断。
がらがらの車内でロングシートに横になりながら朝日を背に中津へ向かう。
中津のコンビニで朝飯を調達後、ソニックを「お迎え」する。
787系とはまた違ったメタリックな感じの車両。車内はデ〇ズニーも真っ青の派手さ。
そしてキンキンに冷房が効いた車内で博多へ・・・・博多からはまた特急を乗り継いで長崎へ。
特急は昼過ぎに長崎へ到着。15日は長崎市内で「精霊流し」があるそうだ。市内は9日とはまた違った賑やかさである。
長崎YHで宮崎で会った彼と再会し、市内観光の後、繁華街へ夕食をとりにいく。
入った店で私は皿うどん、彼は長崎チャンポンを注文。
地元の味に舌包みを打ってると、隣に座っていた方と(けっこうなお年でしたが・・・)ふとしたきっかけで話が盛り上がった。
で、結局その方に2人とも食事代を奢って頂いたのだった・・・(^^;
食事の後、精霊流しの会場へ。
祭り会場は爆竹が耳をつんざき異常なほどの盛り上がりであった。
「精霊流し」と言えばグレープの曲にもあるが、(え、知らない?年をとったもんだ・・・)
夏の終わりの最後の一花というか、夏の終わりを惜しんでいるかのようなそんな感じが
派手に繰り広げられる祭りの中から浮かび上がってくる・・・・・・そんな祭りであった。
ああ・・・もう夏も終わりなんだな、 と。
そしてこの旅も終わりなんだ、 と・・・・
1995年8月16日
翌朝、18きっぷで旅行している東京の彼は朝食後、先に旅立った。
私は特急で後を追うのでまだ余裕である。
市内を少々ぶらついてから博多行きの特急に乗り博多へ向かう。
博多市内で時間を潰し、今日乗る夜行の「ムーンライト九州」の自由席を確保するために早めに
博多駅のホームへ。
彼は既に先に着いていて場所取りをしていてくれていた。
そのかいあって(?)2両しかない自由席に無事座ることが出来た。
席をboxにしてると、相席を頼む女性の声が。もちろん2人とも異存はない。話を聞くと大阪の女の子だそうだ。
でも夜行列車での夜更かしは禁物だ。おしゃべりもそこそこに眠りにつこうとした頃、
列車は関門トンネルをくぐり九州を後にする。
1995年8月17日
朝からいい天気であった。
三宮と大阪でそれぞれ隣に座った女の子2人連れは下車し、彼と私は終点の京都まで乗車。
彼はこのまま普通電車で東京まで帰るとのこと。
私はこの日の深夜、敦賀から出航するフェリーに間に合えばいいので時間がある。
そこで彼の提案。「京都観光」。2人で新駅舎工事であわただしい京都駅に降り立つ。
京都の街は高校の修学旅行以来である。前日の大文字焼きの後がまだ山肌にくっきりと残るのが見える京都市内は暑かった・・・・・
結局銀閣寺を見学した時点でtime up.再び新快速に乗り込む。
左手に琵琶湖を眺めつつ列車は米原へ。
私はここで北陸線。彼はそのまま東海道線。と言うことでここでお別れである。
東京方面へ行く彼の列車を見送った後、私は一路敦賀へ。敦賀駅からはフェリーターミナルまで徒歩20分。
途中のスーパーで船中の食料を買い込み、(もちろんカップ麺)夕食を敦賀市内のカレー屋で済ませ、ターミナルへ。
さすがに夏のピークを過ぎたとはいえまだまだ北海道への旅行者は多く二等船室はほとんど満室であった。
フェリーは23時30分、ゆっくりと敦賀港を出航。後は一路小樽へ行くだけである。
1995年8月18−19日
−18日−
ひたすら穏やかな日本海をフェリーは北上する。
空は既に夏の色を失い秋の色に近くなっている。
雑音混じりのラジオから高校野球の中継が。
北海道のチームは負けたようだ。
−19日−
早朝、北海道が見えた。
肌寒い。既に北海道は秋であった。
再び小樽の地を踏んだとき、長かった私の「夏」が終わったのである・・・・
【完】
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