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1996.MAR.NAGOYA/TOKYO
■1996年3月24日・札幌駅前そごうデパート中央バスターミナル
1500発苫小牧フェリーターミナル行き高速バス(道央道経由)ほぼ満員の乗客を乗せ出発した。 3月とはいえ北国・札幌の街はまだ凍てついていた。
苫小牧フェリーターミナル
フェリー埠頭にはすでに名古屋行きのフェリー「いしかり」が接岸していた。総屯数15000tの白い船体 を横たえ出帆の時を待っていた。
その日はほかに八戸行き、仙台行きのフェリーの出航が重なっておりターミナルはにぎわっていた。
17時30分に乗船が開始され、長いギャングウェイを歩き、乗船口へ向かう。
フェリー船内
乗船後、広い雑魚寝の和室に荷物を置き、甲板へ出た。
すでに日は没し、あたりは闇へと変わりつつあった。その中でフェリーターミナル独特の水銀灯の 赤みがかった灯りが白い船体を照らし出していた。
出航
18時30分、乗船口が外され、汽笛が鳴り名古屋へ向け静かにフェリー埠頭を離れた。
見送る人々、見送られる人々。その間を結ぶ色とりどりの紙テープの流れ。
やがて遠くに埠頭が去り漆黒の闇の海へと船は向かっていく。
あとに甲板に残ったのは切れた紙テープ。
航海
3月と言っても冬の海。波は高い。船はローリングを繰り返す。
■3月25日・朝、仙台港
9時、仙台港に接岸。
仙台は雨だった。ここでかなりのお客が入れ替わる。
私は朝食のカップ麺をすすりながら窓の外にかすむ仙台の町並みを
眺めていた。
船の中ではすることもなくただ時が過ぎていくのを感じているだけだ。
12時。再び名古屋へ向けて出航。
(写真は仙台港にて撮影)
航海
船は太平洋沿岸沿いを航行していく。
14時頃名古屋から向かってくる苫小牧航路のフェリーと 行き違う。
互いに汽笛を鳴らし再び離れていく。(これは帰りに撮影)
右手には陸地が見えている。特に代わり映えのする景色ではない。
結局私は夜まで寝ていた。フェリーの旅は寝るのが一番である。(^^;
夜
苫小牧を出航してから2回目の夜である。
右手には灯台の灯りが見える。
夜の食事もカップ麺。これで4食目である。
雨はいつしか上がっていた。
■3月26日・再び朝
翌朝、船は名古屋港に入っていた。
9時になり船は殺風景な埠頭に接岸。
下船後、小さなフェリーターミナルの向かいから連絡しているバスに乗り
地下鉄名古屋港駅へ向かう。
春の名古屋は暖かく、北海道から着てきたジャンパーも必要はなかった。
名古屋
尾張名古屋は城で保っています。
名古屋は私にとって初めての街であった。
となると当然の事ながら「観光」である。
名古屋城、熱田神宮、東山動物園、テレビ塔・・・
名古屋城は梅の季節であった。桜の花にはまだちょっと早かったようだった。
あとは省略。(^^;原稿書いてる時点で失念したことも結構あるしね。)
名古屋と言ったら「きしめん」「味噌煮込み」「味噌カツ」etc...(^г^)
もちろん食った。(私の大伯父が小牧にいるので名古屋の食い物には全然抵抗はない。)
ムーンライトながら
この年の3月のダイヤ改正で誕生した快速列車・「ムーンライトながら」。
この列車に乗るのも今回の目的の一つであった。
大垣よりやってきた列車はかなり込んでいた。
指定券を取るときもかなり混雑していると言われたのである。
幸い指定席は確保できたので乗ることは出来たが…。
シートは新車の373系だけあってけっこういい。リクライニングも程良く効いており座り心地はかつての大垣夜行よりずっといい。
(新しいから当然なのかもしれないが。)
東京への夜汽車は夜食に買った味噌カツ弁当を食べながら向かった。
ゆりかもめ・1
東京臨海新交通(TOKYO WATERFRONT NEW TRANSIT)。
近未来的と称されるまばらなビル群を縫っていく新交通システム。
一日乗車券を買い、乗る。
羊蹄丸
船の科学館に係留されている青函連絡船「羊蹄丸」。
私は早速見に行った。
感想。
「なんだこれ?」
現役時代の塗色とは全く違った白と青のべた塗り。羊蹄丸と書いてあっても
全く別の代物。中もほとんど改装され現役時代を忍ぶモノは何もない。
それでも残っただけましというモノか。スクラップになるよりはましと言った程度であろう。
せめて現役時代の塗色で展示してほしかったものであるが青函航路とは縁もゆかりもない
東京の地ではこんなもんなのかもしれない。
ゆりかもめ・2
夜のお台場は昼間とはまたひと味違った印象を受ける。
ライトアップされたレインボーブリッジの向こうに広がる東京の夜景は まさに大都会である。
臨時大垣夜行
東京は27日一日のみでとんぼ返りである。
春休み期間中と言うこともあって自由席のみの臨時大垣夜行は混雑していた。
通路やデッキにもあぶれた人たちが座っていた。
★今回使用したきっぷ類↓ | ■3月28日:名古屋・再び ■3月29日・帰路 ■3月30日・帰路2 |
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