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東京冬の陣・第3部 『北帰行・再び』
上野発の鈍行列車降りたらこけた〜
冬コミ終了後、身体にむち打ち複数のオフ会のハシゴという暴挙に出た。
私にとってもかなり無理がかかることであったが、この期を逃せば後がないと言う想いが先走る。
…しかし、このことが有明で衰弱していた私の体力をさらに奪う結果となったのである。
この北帰行の目的地は函館である。年内大晦日の到着を目指し出発するスケジュールを立てている。
当然の事ながら「青春18きっぷ」の旅になる。飛行機では高いので(一時は検討したものの)使わない。
まさに体力と時間との勝負の旅である。
98年12月31日午前5時 上野駅近くの某カラオケ店
前夜午後11時からの徹カラを後にし、まだ夜も明けぬ大晦日の上野の街を駅へ向かう。
はっきり言ってかなり疲れが残る。眠い。発車まで時間がないのも焦りに拍車を掛ける。
しかし身体の疲労感とは反して妙に気分だけは高揚している。ナチュラルハイと言うのか。
とりあえず持参のドリンク剤を一服。
上野発5時10分黒磯行き。これが北帰行への始まりである。
まだ人少ない上野駅5番線に入ってるごく普通のロングシートの列車。
列車には東京に到着した「ムーンライトながら」からの客も流れ込みそこそこの入りである。
5時10分ちょうど。列車は早暁の東京を脱出する。
落ち着かないロングシートの座席に座り、手提げのLeaf紙袋をザックの中にしまい込む。
さすがに今回は手提げで持って行くわけには行かないだろうし、激しい乗り継ぎの中で
手提げ荷物は致命的なロスになることをこの4年の経験で学び取っていた。
列車の中はこれまた通気よろしく窓からのすきま風と足下からのきつい暖房。
客が少ないのをいいことにロングシートに荷物を置き、それにもたれかかって少し眠る。
私が眠ってる間に夜は明け、やがて最初の乗り継ぎ地黒磯へ到着した。
扉が開くと一斉に大きな荷物を持った旅人が跨線橋へと走り出した。
次の列車は福島行きである。接続時間はわずか3分、皆急ぐわけである。
座席は急行型のボックスシート。やはり鈍行の旅はこれでなくては。
ロングシートでは単なる腰掛けである。やがてJR東日本の普通列車からは
ボックスシートは絶滅するのであろうか…
山あいの線路を電車は上っていく。
モーター音を響かせ力強く走る。
足下の暖房は一層強くなったきたと思ったら窓の外に雪が舞っていた。
途中、郡山で小休止。
ホームに出ると冷たい風に吹かれ身が縮む思いだ。
何か暖かいものでもないかとホーム上を見るが、売店には雑誌やお菓子ばかり。
自販機には電子レンジで温めるおにぎりや焼きうどんなどはあるものの別段食べる気
にもならない。
朝飯は食べてないので食事は福島まではお預けとなる…
貧しい食事は毎度のことなので慣れっこであるが。
福島では28分間の乗り継ぎ時間。
そこで一旦改札を出て駅ビル内のマクドナルドへ。
ここなら年末年始も営業中だ。世界中どこでも同じような味だし。
一番確実な外食先かも知れない…
福島で買ったハンバーガーを車内で食べながら列車は仙台へ。
仙台行きはクロスシートなので進行方向向きの2人掛けを確保。
やっぱりロングシートより落ち着く。
窓から見る風景は既に正月支度が済んだ所ばかりであり今日が大晦日
であると言うことを実感させてくれる。
普段の私なら今頃実家でのんびり年末TVでも見てるところであろうが
今年はまだ列車の中である。
急に混み始めてきたと思ったら仙台到着りゅん。(爆)
さすがに東北一の都市りゅん。(爆)
笹蒲と牛タンがおいしいりゅん。(爆)
ここでお昼のお茶とおにぎりを買ったりゅん(爆)
㌢は実に日本の地理教育に良くない影響を与えてるなぁ…
だれも仙台で語尾に「りゅん」何か付けないってぇの!(笑)
こんな変な語尾を付けたからではないが、このころから喉の調子がおかしくなりつつあった。
しかし、このころはまだその異変に気付くこともなかったのであったが、その症状はゆっくりと
仙台からはまたロングシートとなり一ノ関へ。
途中切り離すため一ノ関には2両しか到着しない。
そのため一ノ関行きの車両は大混雑である。
仙台からの1時間40分、私はひたすらMDを聴きながら景色を見ることもできずに
じっと過ごさざるを得なかった。
一ノ関では乗換時間39分。
改札を出ると雪は一層激しく降りだしていた。
駅の入り口には門松が飾ってあり正月気分である。
晴れていた空もいつの間にか重苦しい雪雲で埋め尽くされている。
一関からは盛岡行きの電車である。
左右共に一ノ関駅。駅前には門松や「謹賀新年」の垂れ幕が。大晦日であることを実感する。
この大晦日でもいろんな人が列車に乗る。
年末でも年始でもJRは休むことなく動き続けている。
でも、大晦日の列車には何か違うものを私は感じる。
暖かな家路へ向かう人、正月準備であわただしい人。
故郷への帰路の人、…いろんな事情の人がいる。
そんな乗客一人一人がみんな明日正月を迎える。
新しい年への期待を胸に。
盛岡でさらに青森行きに乗り換える。
まだ4時半だというのに空はすっかり薄暗くなり冬の日の短さを実感する。
上野から11時間半。ようやく行き先表示に「青森」の文字が光る。
しかし、このまま青森まで乗ってはいられない。
この列車は青森からの最終北海道連絡列車に接続してないのである。
私は八戸で途中下車し、特急で青森へ先行する事にした。
八戸駅で特急に乗り換え。
八戸からは「特急はつかり」に。
さすがに特急だけあってシートも車両も全然楽である。
リクライニングのかかったシートにゆったりと腰を落ち着けしばしの休息とした。
さすがに青森が近くなると外は一面雪景色。
雪煙を上げながら疾走していく。
20時ちょうどに青森駅に到着。
前面は雪で真っ白である(撮影:青森駅)
『♪上野発の夜行列車降りたときから〜青森駅は雪の中〜♪』
まさにこの歌詞の通りに青森駅は雪まみれの列車が集う冬の駅であった。
ホームの駅そばは大晦日のこの時間にも関わらず暖かい湯気を立てている。
そこで一足はやく旅先で年越しそばと洒落てみることにした。
粉雪舞い散る寂しいホームに駅そばの灯りがほのかに灯る
20時26分、今年最後の北海道連絡列車「海峡13号」はがらがらの客車
を牽き北の大地へと向かった。
私の乗る客車にはわずか乗客3人。年末のわびしさを象徴するかのような
そんな旅の終わりであった。
新年まであと4時間…
後日談:
翌元旦、実家で激しい咳と共に目が覚めた私は熱が40度もあることに気が付いた。
仙台での異変に気付いてから18時間。身体は急激に衰弱していたのであろう。
東京でインフルエンザに罹患していたのである。
結局正月3が日は文字通りの寝正月と相成った。と言うオチが付いたのであった。
もう無茶はできないなぁ。いよいよ大学も卒業だし。
とりあえず「駅長の出張記録」は一旦これにておしまいです。
「出張記録」シリーズ読んで頂きました皆様、どうぞ笑ってやって下さいませ。
世の中にはこんなお馬鹿で無茶な旅人がいて、しかもwebでアップロードしてる
と言うのはそういないでしょうから。
きっと「stationきたきつね」がある限り私のこの奇行も残るのでしょう(^^;
個人的には大学時代4年間の貴重な記録でしょうけど他人にとってはお笑いですから(笑)
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