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(全国戦後強制抑留補償要求推進協議会連合)


   保利衆議院議長に請願

 昨年四月二十五日九州から三県の代表(佐賀、福岡、長崎)後藤清明氏外十名が上京され、これに東京の北想会支部から霜越貞蔵、渡辺弘蔵の両氏が加わり第一議員会館に集合、全員で保利衆議院議のため会談の暇がなく代理として秘書の青木祗夫氏と面談、約一時間半に亘り各代表より抑留時の悲惨な実態を交々説明、請願書の控を手渡し今後の支援を強く要請した。


   総理府、厚生省そして自民党に陳情

 翌四月二十六日は第二議員会館に集合、この日は福岡県選出山崎拓代書士の秘書の谷 文隆氏と読売新聞社編集局の青野 馨氏が同道して総理府大臣官房室に田島事務官を、厚生省庶務課に小池庶務係長を相次いで訪問し、本運動の主旨を説明、請願書の控を提出して理解と今後の支援を強く要請して辞去した。
 最後に、自由民主党本部を訪れ政務調査会事務局副部長の杉田茂美氏と約一時間余膝を交えて懇談しました。同氏より「これは全国的な問題であるから東京都を始め各府県や連合会を至急結成し、各連合会より請願書が出揃った時点で党の社会労働委員会がこれを採択することになる……。」と極めて力強い示唆を得ました。
 今後一層の理解と善処方を懇願して二日間の請願活動を有意義に終りました。


   東京都連合会の結成

 以上のように各方面の理解と支援のもとに補償要求推進運動は戦友の熱意と団結心で活発に前進しつつあります。中でも東京都では北想会の霜越、大塚、渡辺の三氏が中心となり、現在判明している在京ソ連帰還者に都連合会参加を呼び掛けたところ幸い多くの参道者を得たので去る八月十五日東京都連合会結成を発表し近く引き続き衆参両議院宛に請願書を上申する事になりました。


   ソ連抑留者の悲哀

 ポツダム主宣言第九条によれば
 「日本軍隊は完全に武装解除せられたる後各自の家庭に復帰し平和的且つ生産的の生活を営む機会を与えらるべし」
と明記されております。
 終戦時海外にあった同胞の数は六六〇万人(内軍隊約三〇〇万人)であったが、昭和二十一年十二月までに約五〇八万人の同胞が懐かしい祖国の土を踏んでいます。これらは凡てマッカサ一元帥、蒋介石総統の人道的配慮によって中国大陸、東南アジア、南方諸島、台湾からのもので残念乍らソ連からは一人も帰っておりません。
 これに反し吾々は終戦調印後、而も完全武装解除された上暴戻なるソ連軍のために生命の保障もなく銃と剣で追い回され大量の食糧、物資と共に遠くシベリアに移送され一方的に「戦後強制抑留」となり長期間戦争賠償の肩代りとして炭坑、森林伐採、鉄道工事、道路建設と苛酷な労働を強えられた。
 これがため多くの戦友がたおれて未だにシベリアに淋しく眠っている。
 九死に一生を得て帰還した吾々もこれがために青春の貴重な精神的、肉体的な取り戻すことの出来ない損耗に対す補償を亡き戦友の英霊を先頭に捧げて断乎として日本政府に要求するものであります。


   ソ連抑留と帰還者の明細

 さて、ソ連に抑留された者、また帰還した者は厚生省援護局の調査によれば別表の通りでありますが、この中には漸く生還したものの抑留時の過労により早逝された人、また今も後遺症に苦しんでおられる気の毒な人も沢山おることと思われます.一人でも多く戦友を探し出しこの人たちの為にもご協力をお願いいたします。


   ソ連よりの引揚者統計

昭和二十一年 五千人
  二十二年 二十万七百四十四人
  二十三年 十六万九千六百十九人
  二十四年 八万七千四百十六人
  二十五年 七千五百四十七人
  二十六年 八人
  二十七年 0人
  二十八年 七百九十八人
  二十九年 四百十九人
  三十 年 六百十四人
  三十一年 千百八十九人
  三十二年 0人
  三十三年 一人
  三十四年 0人
  三十五年 一人
  三十六年 一人

  計    四十七万二千九百七人


1.ソ連本土に抑留された者  約五十七万五千人
2.現在までに帰還した者   約四十七万四千人
3.死亡と認められる者    約五万五千人
4.病気等のため入ソ後、 シベリアから満州・北朝鮮に送り帰された者
               約四万六千人
                       (昭 51.6.7)


    補償の実例

 我々はポツダム宣言を受諾した日本政府の命令に従って武器を捨てて、ソ連軍の指示によって集結し、日本本国に送還すると欺かれてシベリアに「強制抑留」とされたのである。
 だからシベリア抑留者は一応軍事捕虜とされているが、不法に抑留された点に於ては戦後頻発し、今も起りつつある漁船員の抑留者とあまり変るところはないのである。
 ところが漁船員に対して政府は左のような補償を発表支給している。


 (漁船員補償の例一)
 昭和四十九年二月政府発表によると、華東ライン侵犯で中国に捕えられた漁船員二、一八五名が釈放されたのに対し日本政府は補償として(昭二五〜四〇年間)抑留一日につき日当二、七〇〇円、また死亡者にはこれに六〇〇万円を計四九五億五、四〇〇万円を支給している。


 (漁船員補償の例二)
 そして、五十一年一月十日の政府発表では、北方領土周辺でソ連に抑留された船主や乗組員に対し、特別給付金の支冶を決定、これを昭和二十一年一月一日にさかのばって同四十九年九月三十日までの間拿捕抑留された乗組員の抑留一日につき三千円、死亡者は八百万円に抑留日数の日当を加算支給するとなっている。
 遠く海洋に出漁し国益に貢献するこれら漁船員に対して補償をすることは結構なことではあるが、そもそも漁業は私企業である。
 だが、シベりア抑留者の場合はこれと全く違うのである。
 国家権力による一枚の赤紙で召集され、国家命令による停戦後、不法抑留されたのである。吾々は確固たる信念でこの補償要求に邁進しましょう。


参考資料は、いまい・げんじ著「月に祈る」より引用しました。

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