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ALL HISTORY

1871(M4)
英国イングランドのランカッシャーにある、バルカンファンドリー社で1号機関車
誕生(後の島鉄1号機関車)

英国のマンチェスターにある、シャープ・シュチュワード社で、2〜5号機関車が
誕生(後の島鉄2〜5号機関車)

1872(M5)
新橋〜横浜間、鉄道開業式。後の島鉄1号機関車登場。

1898(M31)
※この年までに有明鉄道、長崎鉄道、島原鉄道、不知火鉄道が相次いで発
足。同一地区に4社共願となる。

10月12日 有明、島原、不知火鉄道が合同、新たに有明鉄道株式会社(資本
金250万円)として仮免許(実現しなかったが、中心的役割を果たした植木元太
郎は「鉄道狂」の名で呼ばれた。

1902(M35)
9月 植木元太郎、衆議院議員に当選
1905(M38)

12月 植木元太郎が帝国議会召集により在京中、雨宮敬次郎(鉄道投資家)と
資本金30万円(半 額雨宮、半額地元)で石油発動機による軽便鉄道設立の
協議をまとめて提出。

1906(M39)
3月 田中岩三郎(南高来郡長)が伊予鉄道を視察、又武雄〜鹿島間の軽便鉄
道を調査。

6月1日 植木、田中の協議により、島原港〜諫早の県道利用、石油発動機に
よる軽便鉄道敷設の方針を決定。

6月3日 島原の有志を集めて鉄道敷設を説く。

7月16日 島原有志で協議会を開催。県道利用を止めて新たに路線を設定し、
普通機関車を用  い、鉄道法によることを決定。

7月27日 南高来郡有志83人の協議会で設計予算62万5000円を議決

8月11日 南高各市町村(出席委員60余人)で北高来郡との交渉委員を選定。

8月16日 南高交渉委員が北高来郡有志と初会合

8月29日 南高委員会で、会社名を高来鉄道株式会社にすることなどを協定。

10月20日 北高委員会で高来鉄道株式会社の社名仮定などを議決

11月26日 南高、北高合同創立委員会を開催、総代に植木元太郎(南高)と野
田増晴(北高)の2 人を選出、社名を島原鉄道株式会社として、仮定款を定
め、停車場を南高に8箇所、北高に4箇所に設けることなどを決める。

11月28日 渋川主一朗技師(九州鉄道)の肩入れ決定

12月6日 諫早から順次、線路の予測を開始

12月21日 南高来郡湊町の停車場予定地まで、線路予測修了(25マイル15チ
ェーン)

1907(M40)
2月28日 当初発起人144名の連署をもって逓信大臣宛に仮免許を申請(九州
鉄道諫早駅接続地より島原村に至る延長25マイル、軌間2フィート6インチ、資
本金65万円)

5月18日 仮免許下附(満12ヶ月以内に本免許を申請、将来政府において必要
を認める場合は軌間を3フィート6インチに改築の条件)

7月6日 南北合同設立委員会を開催、資本金80万円(ほかに社債10万円)と
正式決定

8月3日 株式募集発表(9月15日締め切り、満株達成)

10月15日 長崎県、南高来郡、北高来郡に対し、県郡費補給請願書を提出
(旧日本鉄道、九州鉄道が政府から配当金補助を受けた先例を模範。第一回
払込以降10年間、配当金の不足分を県と両郡で補充の要望)

1908(M41)
1月8日 発起株主、応募者に対し打一回払込を通知(2月15日限りとしたが、
たまたま旧年末に当たり、また経済界の不振で金融逼迫して延々として進ま
ず、督励に努めた)

4月19日 第1回の株金払込が完了

5月1日 線路敷地測量を開始

5月5日 創立総会を島原町快光院で開く。専務取締役に植木元太郎、木下吉
之丞が就任。本社を島原村1007番地に設置(元の田屋敷、今の城内2丁目)。

5月20日 本免許申請6ヶ月延期の申請が許可される。

7月3日 県郡費補助の請願が、内務省より第1号をもって認可(植木の政友で
あった時の内務大 臣、原 敬の英断により、私設鉄道へ県郡からの補助に内
務省許可の前例を開く)

8月2日 線路敷地測量が終わる。

9月19日 官線諫早停車場内に線路引き込み、旅客貨物連絡取扱の許可を申
請(12月4日、許可)

9月28日 逓信大臣に私設鉄道本免許を申請。

11月12日 県郡費補助の早期指令願を提出

1909(M42)
3月19日 内閣総理大臣(桂 太朗総理)より本免許状下附

3月26日 長崎県知事より、明治41年から7ヶ年間、補助金1万円の指令を下附

3月29日 南高来郡長より、明治41年から6ヶ年間、補助金年7500円、北高来
郡長より、同じく1500円の指令を下附

7月23日 臨時株主総会で、工事を社債により5万円増額、軌間を2フィート6イ
ンチから正規の3フィート6インチに変更し、線路を島原村より湊町まで延長と決
定。

1910(M43)
9月11日 第一工区(諫早〜愛野村)起工式

10月1日 第一工区着工

1911(M44)
2月16日 軽便鉄道法に依るよう政府より指定

4月1日 1号機関車を鉄道院より払い下げ。
他に機関車4輌、4軸客車10輌、無蓋貨車7輌

6月18日 第一工区竣工(本諫早、小野村、森山、愛野村の各駅)開通式

6月20日 営業開始(諫早〜愛野村)

7月5日 臨時総会で社債総額40万円の発行を決定、安田銀行と社債信託契
約の交渉に入る。

8月17日 未払込株主に9月5日を以って失権を通告

8月21日 諫早駅で院線との連絡運輸を開始

9月7日 現業職員の制服を購入

10月24日 第二工区着工(愛野村〜神代町)

12月11日 失権株主39人、1,339株に競売手続執行

1912(M45)
1月17日 軽便鉄道補助申請書を提出

7月3日 軽便鉄道補助法による国庫補助が認可される。諫早〜愛野村は明治
45年1月1日から大正5年6月19日まで、愛野村〜島原湊は営業開始から5年間

7月29日 第九回定時株主総会で、工費を社債により25万円増額の議決

8月15日 第三区着工(神代町〜大三東)

8月19日 安田銀行より社債総額40万円の授受を完了

9月30日 第二区工区竣工(山田村、古部、西郷、神代町の各駅)

10月10日 愛野村〜神代町営業開始

12月25日 第四工区着工(大三東〜島原湊)

1913(T2)
5月8日 第三工区竣工(多比良町、大三東の各駅)

5月10日 神代町〜大三東、営業開始

9月19日 第四工区竣工(三会、島原、島原湊の各駅)

9月24日 大三東〜島原湊、営業開始(全線開通する。諫早〜島原湊、総延長
26マイル3分)

9月28日 全線開通式および祝賀会を島原霊丘神社で盛大に挙行。
1914(T3)
5月21日 貨車15輌を自社で請負に付して製作

7月30日 定時総会で専務制を廃止し、社長を置く。初代社長に植木元太郎が
就任。

1915(T4)

1916(T5)
7月24日 定時総会で社債償環期間を延長

1917(T6)
1月30日 南目軽便鉄道(口之津鉄道)と愛浜軽便電気鉄道(温泉鉄道)の発
起株式募集について引受株数の決定に委員会を作る。

1918(T7)
12月10日 口之津鉄道の株、200株の引受を決定

1919(T8)
4月10日 口之津鉄道創立(社長:植木元太郎)

7月29日 40万円増資、資本金120万円となる(社債償環・木橋を鉄橋に改修
のため)

12月1日 営業成績良好により国庫補助の辞退を申請
1920(T9)
1月25日 25トン機関車を雨宮製作所に発注

7月6日 温泉軽便鉄道発足(社長:植木元太郎)

※初めてボギー客車を導入(翌年までに2等、3等合造車4輌、3等車3輌)

1921(T10)
1月31日 貨物特定賃率を省線と同様に適用連絡運輸

6月 鉄道省と団体連絡運輸開始

7月 25t機関車完成、6号機関車となる

8月23日 温泉鉄道株50株引受

10月 客車、信号機などのランプが電灯になる

1922(T11)
2月7日 口之津鉄道と、島原湊駅の共同使用契約

4月22日 口之津鉄道第1工区(島原湊〜堂崎)営業開始

5月16日 鉄道省、口之津鉄道との3線連絡運輸契約

1923(T12)
5月4日 温泉軽便鉄道(愛野〜千々石)との連絡運輸契約を結ぶ。愛野村駅を
共同使用駅。(5月5日同鉄道営業開始)

6月12日 島原銀行営業不振により、預金回収の訴訟を起こす(島原銀行はT
14年6月倒産)

1924(T13)
2月15日 植木社長の徳望を讃え職員が報徳会を組織

7月7日 自動連結器装置に改造の申請を提出

※翌年にかけて古部〜島原湊の軌条を40ポンドから60ポンドに改良。(諫早〜
古部は当初から50ポンド)

※この年、温泉軽便鉄道から温泉鉄道に社名変更。

1925(T14)
2月16日 植木社長像建設のため報徳会が募金を開始。月俸の10分の1を積
み立て。

7月20日 自動連結装置に切替実施

9月15日 35t機関車2輌(15・16号を鉄道省から払下げ)

12月 カラメル輸送開始

1926(T15)
3月 小浜鉄道(千々石〜小浜)開通

6月 新宿駅を連帯駅に追加

7月 口之津鉄道 第2期工区竣工(堂崎〜南有馬)

6月 株式見払込株主6人が失権

8月4日 空気制動機装置を申請

1927(S2)
6月6日 小浜鉄道の開通により、温泉鉄道の車輌が諫早〜小浜の直通運転を
開始

7月23日 5号機関車を東肥鉄道へ譲渡。かわりに鉄道省から17号機関車(34
t)を払下げ

8月 植木社長寿像建立の献金が1万円を突破し重役以下165人の発起で建立
呼びかけ

9月13日 島原半島北部風水害で、軌条・道床が延長5マイル余、各駅舎が倒
壊・破損、電話線不通などの被害を受ける(仮復旧まで25日間、自動車で不通
区間を連絡)

10月10日 堤防決壊で線路に浸水(再度の復旧工事で前後38日間を要す)

10月25日 『島原鉄道二十年史』刊行

1928(S3)
2月 口之津鉄道第3期工区(南有馬〜加津佐)竣工、全通。

5月5日 植木社長の寿像が霊丘公園に竣工。盛大に除幕式を行う。(制作:北
村西望、題字:東郷平八郎、撰文:床次竹二郎)

9月29日 臨時総会で自動車営業を決める

11月8日 自動車営業許可(鉄道省)

1929(S4)
1月 国有鉄道編入願(豊肥本線開通を機に九州横断交通動脈の一環として
島原鉄道の改善を企図、以降昭和12年まで断続して請願)

6月5日 自動車営業免許を申請(県知事)

11月2日 客車2輌を日本車輌製造で制作、完成。

1930(S5)
1月30日 メートル法採用により各規定を改正

4月2日 貸切自動車運輸営業免許を申請(9月19日認可)

5月30日 口之津鉄道でガソリン客車導入

6月5日 乗合自動車運輸営業免許を申請(9月18日認可)

7月3日 1号機関車が博物館入り、盛大に送別会

7月21日 旧1号機関車の代替に新1号機関車(160形)を譲受

9月1日 釜ノ鼻停留所を増設

10月13日 諫早駅構内の自動車営業を申請(11月19日認可)

11月26日 1930年式シボレー(12人乗り)1台購入

12月5日 自動車営業を開始(諫早〜島原)

1931(S6)
1月9日 植木社長が健康上の理由で取締役辞任申出

1月12日 取締役会で社長留任を求め、辞任翻意

4月15日 揮発油貯蔵庫竣工

7月30日 定時総会で社長功労金贈呈を満場一致で決議(取締役会で20万円
と決定)

10月1日 松尾町駅を増設

10月23日 ガソリン客車併用運転認可、口之津鉄道の車輌の直通運転認可

1932(S7)
6月8日 1932年式フォード(16人乗)1台購入(乗合)

11月16日 温泉鉄道が連絡運賃清算を怠ったため、連絡運輸契約を取り消
す、

12月12日 貸切貨物自動車の営業が認可

1933(S8)
4月4日 貸切貨物自動車の営業開始延期願提出(不許可)

7月 温泉鉄道と小浜鉄道が合併し、雲仙鉄道として発足

11月16日 雲仙鉄道(旧小浜鉄道、温泉鉄道)と連絡運輸扱を再開する。

1934(S9)
2月15日 ガソリン客車の運転開始(客車1輌)

3月25日 長崎国際産業博覧会開催(5月23日まで)期間中、鉄道省の客車を
長崎〜島原湊に直通運転。雲仙小浜自動車、島原自動車組合、九州商船との
連帯運輸を行う。

3月31日 口之津鉄道と列車直通運転の契約を結ぶ

4月22日 1934年型フォード2台購入(貸切)

8月4日 本社を島原村1007番地から島原駅裏の島原町605番地に移転

9月15日 低金利時代。借金整理のため、社債50万円を発行(年利4分8厘、日
本興行銀行信託、山一證券引受)

1935(S10)
4月 口之津鉄道が須川自動車、南目自動車を買収、自動車営業開始(島原
湊〜小浜)

6月1日 雲仙鉄道の営業管理を受託(期間1年)

6月5日 長崎本線開通に伴い列車運転回数を9往復から13往復に増やす

9月16日 草煙草鉄道輸送願を熊本煙草専売局長に提出

12月5日 1935年型フォード(座席13名、立席8名)1台購入(乗合)
1936(S11)
1月23日 1935年型フォード(座席13名、立席8名)1台購入(乗合)

4月 鉄道博物館が有楽町から万世橋構内に移転、一般公開

5月31日 雲仙鉄道の営業管理受託を解除する

7月12日 1936年型フォード1台購入(貸切)

8月17日 1936年型フォード(座席13名、立席8名)1台購入(乗合)

10月7日 雲仙鉄道との直通運転を再開

12月14日 植木元太郎、代表取締役を辞任。後任に松尾貞明が就任

1937(S12)
 2月2日 植木元太郎、代表取締役に復帰

 3月2日 島原湊機関庫で失火、ガソリン客車1輌が焼ける

 5月5日 第30回創立記念日に際し5日6日に渡り祝賀会、社員従業員と家族
の慰安会を催し、特別功労者ほか重役・社員従業員の物故者(86人)と事故死
亡者(52人)の慰霊祭を行う。『島原鉄道三十年史』発行。 

1938(S13)
 3月 口之津鉄道が鬼池航路(喜勝27t、九十九18t、鬼池丸14t)と天草のバス
路線(本渡〜二江)を買収

 4月12日 木炭ガス発生炉設置奨励金の交付申請(5月12日認可)

 6月30日 支那事変によるガソリン消費規制により、初めて木炭バスが走り始
める(成績良好で10月にさらに1台を追加)

 8月 雲仙鉄道が経営不振で解散 
1939(S14) 1月 口之津鉄道鬼池丸沈没事故

 5月 資材不足のため列車運転回数を減らす(輸送量は逆に増加し著しく輸送
困難となる)

 11月 島原酒精工場への引込線ができる 

1940(S15)
 4月1日 島原市制をしく。植木元太郎、初代島原市長となり、代表取締役を辞
任、顧問となる。後任に松尾貞明が代表取締役(常務)に就任

 9月19日 10年償還の社債を5年6ヶ月で全額繰り上げ償還 

1941(S16) 
1月26日 諫早でガソリン客車に西肥バスが衝突。バス乗客10人死亡、21人重
軽傷。

 1月30日 島原城跡の土地を購入

 6月30日 ガソリン不足のため乗合バスの運転を休止 

1942(S17) 
3月27日 小野〜森山で列車衝突事故(乗客16人負傷、従業員5人死亡、4人
負傷)

 7月30日 植木元太郎、代表取締役社長に復帰 

1943(S18) 
1月25日 植木社長死去(87歳。葬列は多比良町の自宅から2キロ離れた正覚
寺まで切れ目無く連なり、花輪弔旗300、弔電930通、会葬者は1万8000人を数
えた)

 1月25日 松尾貞明、第2代社長に就任

 5月15日 私立島鉄青年学校開開校 校長、竹添節造)

 6月26日 植木元太郎の銅像を供出(「祝応召・勲四等植木元太郎」と大書、
歓呼の声のうちに撤去された)

 7月1日 口之津鉄道を吸収合併、資本金300万円となる。船舶兼業、口鉄丸
(41t)を普賢丸と改名 

1944(S19)
 1月31日 定時株主総会で決算期を上期10月末、下期を3月末とする。

 5月31日 旅客自動車事業を朝日自動車輸送に譲渡

 11月21日 米軍機、有家〜西有家間の線路、50メートルを爆撃 

1945(S20) 
5月1日 鬼池航路を一時休止する

 7月4日 自動車運輸営業も休止

 7月 米軍機、愛野駅下り場内信号機付近を爆撃

 8月8日 三会〜島原間で下り列車に機銃掃射。死者8人、負傷者17人、車輌
一部破損

 9月26日 鬼池航路を再会

 12月15日 自動車営業を再開

1946(S21)
7月18日 労働協約を結ぶ(鉄道労組)

10月24日 堂崎駅で列車異線進入事故。駅舎破損、死者1名、2人軽傷

1947(S22)
7月20日 資本金を700万円に増資、2万株を功労株として役員、従業員に配付
する

9月 諫早〜多比良町に通票閉塞機設置

12月20日 古川箴一、第3台社長に就任

1948(S23)
1月1日 湊中組踏切で当社バスと列車が接触事故

1月 C12形蒸気機関車2輌到着

4月30日 資本金を2100万円に増資

7月16日 列車急行料金を設定、列車に<炎>、バスに<みどり姫>などの愛
称をつける

12月 島原自動車営業所、修理工場開設

12月 バス、島原〜小浜〜愛野線運転開始

※鉄道全線に通票閉塞機の設置完了。併せて線路の改良、保全工事

1949(S24)
4月 C12形蒸気機関車3輌購入

5月25日 戦後私鉄初のお召列車運転(諫早〜島原)

5月30日 資本金を5000万円に増資

10月26日 バス雲仙営業所・車庫、増改築

1950(S25)
1月15日 バス、島原循環線運行開始

1月 島原湊〜堂崎を重軌道に交換

※大型貸切バス運行開始

1951(S26)
6月23日 自動車2級整備工場の指定を受ける

6月26日 バス諫早営業所竣工(7月1日営業開始)

1952(S27)
5月13日 資本金を7500万円に増資

6月 ディーゼル動車、キハ250形3輌購入(旅客列車のディーゼル化進む)

12月1日 資本金1億円となる(無償株交付)

1953(S28)
6月28日 南目線、豪雨のため全列車運転停止

7月18日 有馬川、橋脚沈下

12月11日 ディーゼル動車4輌購入。計7輌保有となる。

1954(S29)
1月25日 増資(新株発行)、1億2500万円となる。

7月1日 増資(無償発行)、1億5000万円となる。

11月7日 バス、有家〜雲仙線運行開始

12月28日 バス、谷川線運行開始

※民主化闘争で全面スト。鉄道労組と自動車労組の分裂の発端となる。

1955(S30)
6月10日 バス、三会線運行開始

12月30日 バス、焼山・新山線運行開始

※旧不二越工場跡(弁天町)を買収。

1956(S31)
2月2日 古川社長死去。常務取締役5人の合議制で会社運営に当たる。

5月3日 天草・島原観光交歓会を主催(天草の国立公園編入を前に双方の関
係者で懇談)

6月13日 15日まで3日間にわたり、創立48周年記念式典。永年勤続者表彰・
演芸大会など島鉄ホール(旧不二越跡)でにぎやかに開催。

6月29日 <島鉄が沿線の皆様に贈る感謝の夕べ>を開始(島鉄楽団の演奏、
のど自慢あの歌この歌など、千々石町を皮切りに約1ヶ月間、島原半島各市町
村を巡回)。

7月1日 水俣航路(天草本渡市〜水俣市)を買収、営業開始。雲仙、霧島を結
ぶMHKライン(水俣〜本渡〜口之津)が成立。

7月2日 島鉄観光社(旅行業)発足

7月18日 バス多比良町〜狸山〜八斗木線運行開始

8月1日 加津佐海水浴場に列車バンガロー開設(廃車の客車8輌を畳敷きに
改装、定員計55名)神代海水浴場と鮎返の滝にもそれぞれ2輌設置)

8月7日 臨時重役会で、田中堯二、第4代社長に就任

8月18日 霊丘公園で<納涼の夕・花火大会>開催

9月15日 島原市内遊覧定期観光ミュージックバスの運行開始(テープレコーダ
ー搭載。島原の牛乳サービス、野生椿やザボンの種子などユニークなお土産
付)

11月6日 森岳城(島原城)跡で<花いっぱい運動>鍬入れ開苑式(島原市・
毎日新聞共催)

11月16日 バス早崎線運行開始

11月19日 ダイヤ改正で快速列車(上下各1本)を増設。また、諫早で博多から
の列車に接続する島原行き深夜バスを運行。

※島鉄楽団編成。島原港、長崎駅などで貸しきりバスの歓送迎に活躍。

1957(S32)
5月 鉄道全線を花で埋める<島鉄花いっぱい運動>展開。

7月24日 本社を不二越鋼材跡に移転

7月25日 諫早島原地方大水害(諫早〜島原で線路百数十箇所で分断、鉄橋
流出45など、全線に渡り被害を受け、列車、バスともに運行不能、直接の被害
額だけで1億3000万円)

9月18日 55日ぶりに鉄道全線が仮復旧、開通

9月24日 北有馬でバス転落事故(死者7名、重軽傷8人)

12月1日 役員会で常務取締役を2人(自動車担当:宮崎一章、鉄道担当:蒲池
 亘)に減員。

12月20日 自動車1級重整備工場の指定を受ける

※バス唐比線・湊新地線運行開始

1958(S33)
1月27日 雲仙札の原で貸切バス転落(重軽傷13人)

2月10日 バス天ヶ瀬線運行開始

4月11日 国鉄乗り入れ開始、長崎直通列車(島原湊〜長崎2往復)の運転開
始(ディーゼル化によるスピードアップを進める)。

5月15日 バス長野線運転開始

5月20日 バス筒野線運行開始

6月17日 キハ20ディーゼルカー1輌を帝国車輌に発注(長崎直通列車の好評
で、9月15日から2輌連結に増強)

7月6日 夏季手当要求などで鉄道24時間スト(昭和29年の民主化ストから4
年ぶりの全面スト)

7月13日 加津佐列車バンガロー開き(焼山キャンプ場も開設)

7月15日 貨物列車の全面スト、会社側が長崎県地区労に調停斡旋申し入れ

7月17日 自動車労組も結成以来の24時間スト

7月19日 鉄道48時間ストに突入。午後、地区労の斡旋案で、団交開始以来20
日ぶりに妥結

7月28日 水害からの再起策として、嘱託、臨時雇その他49人を解雇(創業以
来の大量整理)

8月30日  地方民鉄軌道整備法施行令により、災害復旧費の2割補助(1400
万円)が決まる。

9月6日 鉄道(4課)、自動車(4課)、総務(6課)の3部制に機構改革を決定。

9月26日 島鉄株券偽造事件が発覚(融資の担保として島原、長崎で375万円
搾取。容疑者全国手配、共犯者逮捕、主犯は逃亡)。

10月1日 ダイヤ改正で国鉄快速と接続し、博多日帰りが可能に。SLは朝夕ラ
ッシュ時のみ

10月26日 森山でバス横転事故(乗客14人重軽傷)

10月31日 雲仙で島原行観光急行バス転落事故(乗客37人重軽傷、車掌死
亡)

11月29日 バスガイド採用試験に応募者200人殺到

12月17日 ガイド、車掌の合格者(計60人)発表

※島原外港駅を新設

1959(S34)
2月14日 バス白木野線運行開始。

2月20日 ダイヤ改正で、長崎乗り入れ2輌連結のうち1輌を30分前に先行、各
駅停車とし、途中駅からの利用者の要望に応じる。

2月23日 バスガイド1期生の教習開始

5月 水害被災線路の完全復旧工事完了

7月11日 加津佐列車バンガロー開き(15輌に増設)

7月24日 口之津海員学校で、島原、天草の小中学生を対象に臨海学校を開


7月25日 水害2週年にあたり、復興記念と併せて創立50周年式典を開催、来
賓600人。本社正門に「島鉄50年と大水害復興記念」の碑(自然石、高さ6メー
トル)を除幕。物故者の慰霊祭、永年勤続表彰に続き、本社広庭で盛大に野外
祝賀パーティ、演芸会を催す。

7月27日車内バスガイドコンクール開催

8月22日 島原外港で納涼花火大会(長崎新聞共催)

9月17日 台風14号の高潮で口之津〜加津佐間、龍石〜北有馬間の線路流
出、バス路線も寸断。

10月1日 国鉄連絡の学割を廃止

※バス富津線、北門線運行開始

1960(S35)
5月1日 博多直通列車(1往復)乗り入れ開始

7月1日 小野村ほか8駅に発条転轍機を取り付け(転轍係の作業軽減で人件
費削減に努める)

10月1日 佐世保直通列車(1往復)乗り入れ開始

10月29日 客車12輌・貨車6輌・22号機関車休車

11月11日 一般路線貨物自動車輸送事業を開始(開業距離306キロ)島原・長
崎・福岡に営業所
1961(S36)
2月 バスダイヤのラウンドナンバー制実施・マイクロバス導入

5月29日 バス長崎乗り入れ開始(多比良特急)

7月1日 新船「霧島丸」(103トン)が鬼池航路に就航(普通車1台搭載)、普賢
丸を水俣航路に移す

8月17日 小野〜森山を長尺レールに取り替え

9月19日 トラック諫早営業所を設置

11月23日 一般区域貨物自動車運送事業を開始(島原・諫早・南高・北高、後
の島鉄運輸)

※C1202機関車休車、22号機関車を磐城セメントに譲渡、15号機関車を廃車

1962(S37)
3月1日 釜ノ鼻、東大屋駅を業務委託(以降業務委託、貨物取扱廃止、不採算
駅の無人化などで徹底的な合理化を進める)

4月13日 トラック福岡ターミナル荷扱所設置

5月17日 写真集『島原・天草のキリシタン遺跡をたずねて』発刊

10月1日 雲仙・口之津・有家から長崎行きバス運行開始

      博多直通列車を延長、小倉直通となる

      長崎駅構内に島鉄連絡所設置

      有明フェリー経由福岡行トラック運行開始

10月25日 『島原半島の古代文化ー概説と年表』発刊

※南有馬駅を原城駅に改称、龍石駅の貨物取扱廃止

※トラック瀬高荷扱所開設

1963(S38)
1月25日 臨時株主総会で松尾滋吉が第5代社長に就任、地元経済界から白
倉代二らが経営陣に参入(田中前社長は会長に)

2月13日 トラック佐賀荷扱所、武雄荷扱所を開設

3月11日 新株発行(5000万円増資)資本金2億円に

3月28日 136号踏切に警報機設置

3月31日 南島原駅の小荷物取扱を廃止

4月16日 有家駅新築完成

4月18日 外港郵便局設置

7月3日 加津佐はまゆう荘(ユースホステル)完成

9月10日 バス長崎営業所設置、トラック荷扱も開始

1964(S39)
2月29日 釜ノ鼻駅の手小荷物を廃止

3月12日 バス長崎営業所を駅前の観光ビル内に移す

3月31日 三会、有馬吉川駅の貨物取扱を廃止

6月1日 小野本町、森山、有馬吉川駅を業務委託、釜ノ鼻を無人化

6月6日 トラック専用ターミナル新設

9月1日 古部、大三東、深江、布津、堂崎駅を業務委託

9月11日 半造川鉄橋改修工事開始

11月26日 大阪、名古屋に帰省バス運行

1965(S40)
2月25日 船舶公団へ旅客船の共同建造申し込み

6月 島鉄株買占めが表面化(トラック大阪路線の申請にからみ地元運送業者
らの画策)

9月 株買占めに対抗、防戦買いにでる

9月3日 バス口之津営業所、フェリー基地工事開始

11月25日 資本金2億5000万円に増資(100万株5000万円増資で株買占めに
対処)

12月22日 引無田踏切に自動遮断機を設置

1966(S41)
2月1日 吾妻、島鉄湯江、西有家、北有馬、原城を業務委託

5月16日 トラック大阪路線開業、営業所を尼崎に

6月1日 西郷、松尾町、三会駅を業務委託

8月1日 口之津ターミナルビル完成、新造フェリー普賢丸(356トン)が鬼池航
路に就航。霧島丸は水俣航路に就航

9月 龍石駅を無人化

11月21日 トラック島原営業所が北門に竣工、開業

11月 踏切自動化3箇所。保線分区を10から6に減数

12月 トラック大阪城東営業所を開設

1967(S42)
1月20日 半造川鉄橋架け替え工事竣工

3月 トラック佐世保営業所開設

4月7日 役員会で99万株、4,950万円増資を決定。資本金2億9,950万円
となる。増資株の割り当てをめぐり、雲仙の観光路線取得を目指す九州
産交と西鉄の確執が表面化

6月1日 有馬吉川駅無人化

7月15日 国鉄指定券受付センター開設

7月30日 フェリー新造船天洋丸(355トン)が鬼池航路に就航。2隻運航
となる。マリンガール2人乗船、昭和44年廃止

7月31日 さらに、401万株、2億50万円増資、払込終了。資本金5億円
となり、施設の抜本的近代化を図る(増資株を日本石油など大手8社に
割り当て、安定株8割を確保して企業防衛)

9月4日 臨時株主総会で、一部株主による社長他取締役2人の解任請求
を否決。

11月28日 定期株主総会で、取締り約を増員し、経営陣強化。CTC列車
集中制御装置の取り付けに着手

12月4日 ディーゼル機関車1号(D3701)到着

12月10日 自動遮断機を、172、182、183号踏切に設置

12月17日 ディーゼル機関車2号到着

1968(S43)
1月8日 トラック大阪路線認可にからむ1050万円の使途不明金問題で、
一部株主が社長以下首脳陣8人を告訴(9月21日長崎地検により、不起訴
処分)

1月16日 ディーゼル機関車3号到着

3月16日 CTC列車集中制御センターが島原駅構内に竣工

3月31日 小野本町、古部駅を無人化(手小荷物、貨物取扱廃止)、森山
駅の手小荷物、貨物取扱廃止、西郷、島鉄湯江、大三東、松尾町駅の
貨物取扱を廃止

4月4日 CTC試験使用開始

5月9日 116、126、130、272号踏切を自動化

5月17日 CTC工事竣工

5月25日 九州初のCTCによる列車営業運転開始。踏切警報機の設置で
踏切看守を廃止

6月16日 森山駅を無人化

6月18日 蒸気機関車4両廃車届け(蒸機は姿を消す)

6月20日 バス、口之津〜田平〜雲仙線運行開始

7月1日 島鉄ニュース『浜木綿』創立60周年記念号発行

9月30日 口之津駅の貨物取扱を廃止

10月 踏切自動化10箇所

12月21日 長崎〜熊本特急バス『ありあけ号』、有明フェリー経由で運行開始

12月28日 臨時株主総会で、一ノ瀬秀人(前副知事)が代表取締役会長に
就任決定(3年越しの株買占め紛争解決と、水害以来無配継続の経営打開を
目指す。

1969(S44)
2月26日 ワンマンバス運行開始(多比良〜深江・大手〜白土〜島
原外港)

2月 島鉄運輸設立

3月29日 島鉄タクシー設立

5月 鉄道1等運賃制度廃止

8月25日 バス雲仙〜佐世保線運行開始

9月23日 植木元太郎銅像復元(制作・北村西望)

9月 希望退職者(40歳以上)57名が勇退

バス藤原線運行開始
 
1970(S45)
4月1日 鉄道89名、バス49名(全従業員の1割強)の配置転換を組
合へ提示

6月10日 松尾滋吉社長辞任

6月30日 吾妻、神代、深江駅の貨物取扱廃止

6月 鉄道車両の清掃、エンジン修理の一部を外注

10月1日 バスダイヤ改正で一部ローカル線を減便

12月26日 農高生が島原駅で一日駅長

12月28日 帰省バス(大阪〜島原間)満員で増便運行

バス、多比良町経由長崎と、熊本特急ワンマン化 

1971(S46)
1月27日 最後のSL(C1201)を霊丘公園の植木元太郎像前に原
型保存(島原市に寄贈)

※その後の調査で、展示されたのはC1206でナンバープレートをC
1201に変更(上野補足)

2月 バス長野線にママさん車掌(県下初)

5月20日 赤字地元負担方式で、バス白木野線を1便増便(西郷農
場線でも瑞穂町と協議開始)

5月 広告課新設(列車、バスの走るPR)

6月1日 トラック(路線)を大和運輸へ譲渡(区域は10月以降島鉄運
輸で存続)

7月19日 有馬吉川、東大屋駅の手小荷物取扱を廃止

7月20日 松尾町駅を無人化

7月21日 走る広告第一号の運転開始(ディーゼルカーの両側面に
「諫早ヤエタネ」の広告)

7月30日 バス雲仙仁田峠乗り入れ開通式

7月31日 希望退職85名(先の大和運輸への転出239名に加え、従
業員数は633名に大幅減員)

7月 自動車工場で外来車両の受注開始

8月1日 島原駅の小荷物取扱を委託。愛野・神代町・口之津駅を業
務委託

8月6日 島原市商店街連盟「夜の夕涼み市」に合わせてショッピン
グバスを運行(午後9時発)

9月1日 東大屋駅を無人化

9月18日 バス中央発着所跡地にボウリング場起工式

10月 保線作業の機械化、一部外注

※駅構内に有料駐車場を開設

※老朽化した列車バンガローを撤去、新たにテントハウスを設置
(定員5名を10戸)

※バス諫早〜島原〜口之津、口之津〜小浜〜長崎、雲仙〜佐世保
線をワンマン化
 
1972(S47)
1月 バス雲仙線をワンマン化

2月25日 島原ゴールデンボウル(24レーン)開業。

2月 鉄道の一部路線(南目線)廃止を図る(沿線全域で強い反対の
声)

3月15日 ダイヤ改正で島原〜諫早急行50分、国鉄連絡の円滑化
を進める

6月 加津佐はまゆう荘改装

7月23日 市内のホテル・旅館と提携し、宿から水着のまま行ける加
津佐海水浴ビーチバスを運行(毎日1便、8月20日まで)

7月 島原ゴールデンボウルのレストランを浜勝に賃貸

11月1日 博多直通列車、1往復増便

12月24日 西有家須川ボウル開業(14レーン)

12月 自動車整備工場を北門に移転

12月 バス岳線、富津線廃止

12月 帰省バス 大阪、京都、名古屋に運行

1973(S48)
1月16日 島原城本丸の移転登記(島鉄から市へ)

2月1日 三会駅無人化(小手荷物取扱廃止)

3月25日 バス全線のワンマン化なる(昭和44年から5年間13次にわたり、
車掌157名が配置転換・自然退職)

6月2日 鉄道貨物の全廃案を組合に提示

6月6日 島原商工会議所の緊急役員会で、鉄道貨物廃止に反対を協議

6月27日 島原振興局で、貨物廃止の地元説明会開催

7月11日 島鉄ビル落成(自動車整備工場の跡地)。20日ユニード(現ダイ
エー)島原店オープン

8月1日 島鉄タクシーが市民相互タクシーを買収

8月10日 鉄道貨物廃止問題で、固定資産税相当額の助成措置を地元市
町に陳情。

8月25日 地元市町・荷主・関係団体の島原鉄道対策協議会が発足(擬制
距離による実質運賃値上げ・固定資産税相当額の地元自治体補助・地方
鉄道軌道整備法による国の補助を要望の態度決定)。これを受けて鉄道
貨物10月廃止の方針を撤回する。

10月1日 バス湯江畜産試験場線運行開始

10月 バス雲仙小地獄営業所新築

11月15日 鉄道貨物運賃値上げ認可(12月1日実施)

12月 大阪帰省バス下り便を、途中燃料補給事情の悪化で中止(新年の
上り便は補助タンク搭載、フェリー回送で運行) 

1974(S49)
1月10日 石油ショックで利用車両が激減し、鬼池航路を減便(12往復⇒10往
復)

1月31日 国庫補助申請に備え、鉄道赤字解消のための「島鉄再建5ヵ年計
画」を発表

3月26日 地方鉄道軌道整備法による助成認定を申請(5月22日認定)

6月1日 島原駅・南島原駅の出札と島原外港駅を業務委託

7月20日 バス札の原〜諏訪池間で、停留所以外でも乗降自由のフリーバスを
運行開始(九州初)

7月30日 ガイド女子寮を新築(ガイド不足に温泉つき)。着物着付け教室や、
料理教室も開催

8月5日 国庫補助の配分額決定のため、運輸省の経理監査(9日まで)。地元
の島鉄対策協議会が、島原ゴールデンボウルと島鉄運輸の廃止を監査の事務
官に意見具申

8月16日 お盆里帰り客のために大阪・名古屋へ帰省会員バスを運行

11月15日 島原ゴールデンボウル・須川ボウル廃業

11月16日 旧ゴールデンボウル階下の一部を遊技場などに賃貸契約(12月15
日、ゲームコーナーがオープン)

12月8日 バス中央発着所・島原営業所をユニード横に移転

12月16日 中小私鉄(13社)に欠損補助の配分決定(21日、5,206万2,000円を
交付)
  
1975(S50)
1月10日 1号機関車などの写真入急行券『なつかしのSL』4種を発行(車内販
売・スポンサーつき)。全国から注文が殺到し、発売1ヶ月で8,100枚。『愛野⇒
吾妻』の乗車券も『いとしの(愛野)わが妻(吾妻)へ』の読み替えで売り切れ、
緊急増刷。

2月 高校新卒、Uターン帰郷を合わせバスガイド22人を採用(充足率90%に回
復)

3月1日 島鉄観光外港案内所オープン

3月10日 新幹線博多開業にあわせて、ダイヤ改正(乗り継ぎで、島原〜東京
が平均10時間半)。学生・通勤客の要望で、早朝列車を新設。

4月10日 全日空代理店開設(航空券発売)

5月1日 バス空港線運行開始

6月15日 本社を旧ゴールデンボウル2階に移転

6月 キハ16形ディーゼルカー4輌、国鉄から払い下げ購入

7月 東亜国内航空(後のJAS。現日本航空)代理店開設

8月16日 盆帰り新大阪行きバス運行(18日まで)

9月10日 バス唐比線、温泉センター入り口まで延長

11月17日 ユニード入り口に島鉄観光旅行センター開店 


1976(S51)
1月5日 霧島丸(水俣航路)が本渡港で岸壁接触事故(乗客3人軽症)

1月6日 開業65周年記念乗車券『ふるさと列車』発売(明治、大正の駅舎やSL
の写真入り。急行券5種、乗車券6種、入場券1種)

4月1日 バス焼山線を礫石原まで延長、運行開始

5月31日 島原市内の無人踏切で自転車の小学生死亡

6月2日 堂崎の踏切で耕運機の夫婦死亡事故

6月11日 口之津の踏切でバイクの船員が死亡(踏切整備、安全対策に批判
の声が上がる)

6月26日 一ノ瀬秀人、第6代社長に就任(専務取締役に白倉代ニ)。鉄道の赤
字を欠損補助で埋め、自動車・船舶などの収益で昭和50年度の黒字1億円、累
積赤字5億4,547万円)

9月2日 千々石で中央線を越えた乗用車に衝突され、バス横転事故(乗客8人
と運転手が軽症、乗用車の学生5名が重軽傷)

9月14日 島鉄運輸、交際費捻出の領収書偽造容疑で家宅捜索

9月16日 バス小浜営業所新設

※バス雲仙線、ラウンドナンバー制で減便

1977(S52)
3月28日 鉄道部門を島原駅に移転(第一線配置で能率向上と乗客サービス
強化を図る)

5月1日 バス水分神社線運行開始

6月2日 雨の名神高速で貸切バスがスリップ、衝突事故(長崎の『西本願寺参
り念仏奉仕団』の2名が死亡、20名重軽傷、地元貸ガイドと運転手死亡、交代
運転手重傷)

6月27日 取締役3人を社内から増員(本末二郎、入江正市、林田礎)。鉄道の
赤字を自動車、フェリーなどがカバー。2年連続の黒字で欠損補助打切り。累積
赤字3億8,000万円

8月13日 島鉄タクシーが無期限スト(昭和49年6月の24時間ストから3年ぶり。
22日、解決)

9月1日 熊本県坂本村で貸切バスにトラックが正面衝突(慰安旅行の旅館従
業員5人軽傷)

11月5日 バス島原半島フリー乗車券認可

1978(S53)
2月1日 航空貨物の営業開始(島鉄観光)

2月21日 バスガイドが老人ホーム(布津、積徳苑)を慰問

7月18日 島鉄ターミナルホテルオープン(バスターミナル併設)

9月15日 バス萩が丘線運行開始

10月2日 ダイヤ改正で通勤専用列車3便増発

1979(S54)
4月30日 本諫早駅の貨物取扱を廃止

8月1日 島鉄フェリー(鬼池航路)15往復に増便

8月10日 日中航空路開設に備え空港直行バス増便

8月25日 外港花火大会(長崎新聞共催)で4,000発の花火(12年ぶりの復活)

8月31日 本諫早駅の手小荷物取扱を廃止

10月29日 島鉄バスターミナル(島原)新築開業

1980(S55)
1月21日 外港踏切でダンプが満員のディーゼルカーに激突、脱線45度傾く(乗
客4人軽傷)

2月1日 大三東駅を無人化(手小荷物取扱廃止)

2月21日 本渡〜水俣航路を三和商船に譲渡

3月5日 鉄道手荷物をトラック代行輸送に委託

3月16日 取締役宮崎康平死去(18日、準社葬として自宅で葬儀。各地から1,
300人)

4月2日 バス白木野線を西望公園まで延長運行開始

5月19日 旧本社跡に浜屋デパート誘致計画に商工会議所が反対決議、中止
申し入れ。

7月4日 島原商店街連盟が浜屋進出阻止、島鉄グループ企業のボイコットを決
定。

8月7日 島原、南高の商工会が浜屋進出反対総決起大会、決議文採択

10月1日 国鉄線のL特急(電車)切替で、小倉・博多・佐世保直通列車の運転
廃止。ダイヤ改正で上下各1往復増発、1時間ラウンド方式で諫早駅での乗継
時間を短縮。

1981(S56)
1月5日 諫早市内の踏切で警報機虫の乗用車一家5人の死傷事故

3月 鉄道信号・保安設備の保守作業を委託。車両工場に洗車機を設置、清掃
業務を委託

3月 県内他社に先駆けて、路線バス全車輌(マイクロ5台を除く)の冷房化率
100%達成

4月 第3次踏切保安設備整備5ヵ年計画に着手(昭和64年度までに68箇所を
自動化)

6月1日 島原半島キリシタン史跡巡り観光バス試乗会(8月まで、第2・第4日曜
運行。郷土史家のガイド付き)

6月10日 口之津駅新駅完成(線路を山手に移動)

9月 キリシタン史跡巡り観光バスを継承運行

10月1日 堂崎駅を無人化(貨物・手小荷物の取扱を廃止)

※バス不採算路線の廃止

1982(S57)
1月8日 バス礫石原線を水分神社前まで延長運行

2月1日 新船フェリーあまくさ(361t)が口之津〜鬼池航路に就航。普賢丸を本
渡須川フェリーに譲渡

3月24日 スケルトン形大型バス5台、貸切に導入

4月1日 鉄道バス共通定期券を発行

5月25日 松山で貸切バス接触事故(乗客4人軽傷)

8月16日 島鉄運輸倒産(地裁が財産保全命令)

10月10日 鉄道小荷物を全廃

11月15日 ダイヤ改正、全列車が国鉄特急に接続

※夏季納涼ビア列車、冬季お座敷列車を運転

1983(S58)
1月27日 大阪・高島屋が『愛のバレンタイン・キャンペーン』に愛野⇒吾妻『愛
のわが妻』乗車券つきチョコを売り出し(北海道・岐阜のデパートや県内のホテ
ルにも波及)

3月31日 鉄道手荷物を全廃

3月31日 貸切バス事業区域に多良見町、長与町、時津町を追加

4月 老朽駅舎の新改築に着手(駅周辺の活性化を図り環境整備も進める)

4月 島原半島キリシタンめぐりバス、11月まで第2、第4日曜日に運行(期間拡
張)

5月1日 普賢丸を須川フェリーより買戻し、3隻運行とする(15往復から17往復
に増便)

6月 本諫早、全館冷暖房に改築(旅行センターも開業)

6月 『愛のわが妻』乗車券を全駅で販売体制

6月15日 カラオケ納涼ビア列車運転(9月15日)

9月 大三東駅新築

9月 無人駅清掃の老人会、婦人会などの団体と個人(2名)に感謝状

12月1日 お座敷列車運転(1月まで)

12月18日 一ノ瀬社長急逝(20日、長崎で合同葬)

12月22日 緊急役員会で、白倉第二、第7代社長に就任(常務取締役に本末
二郎、入江正市)

※バス 口之津〜雲仙、雲仙〜長崎線で減便
※スケルトン形大型バス7台、貸切に導入
 
1984(S59)
1月31日 郵政省の通告により、郵便物の列車輸送廃止

4月1日 バス買い物回数券、片道定期券発売

4月9日 バス白土〜梅園・魚見団地線開業(住宅団地開発に対応)。ダイヤ変
更でスクールバス早朝便などを新設

4月13日 定期バスに中型スケルトン(5台)登場

6月13日 国鉄とタイアップ、佐世保駅改装記念ツアー『走るカラオケビア列車』
島原1泊の旅(9月15日まで)

7月22日 島原半島キリシタンめぐりバス、夏休み期間中の日曜に運行

9月29日 D37ディーゼル機関車(貨物用)3輌のお別れ式

9月30日 鉄道貨物を全廃(鉄道取扱量は昭和46年度16万8,000トンをピークに
急速に減少、2月の国鉄貨物合理化で急減)

10月 愛野駅ほか7駅の側線(貨物線)撤去

11月 松尾町駅新築

11月12日 島鉄本社前、諫早東高校前開業(全41駅となる)。開業式で『島鉄
は古くて重い衣装を脱いで前進します』と白倉社長が挨拶

11月15日 鉄道貨物全廃に伴い54人が希望退職
※重軌条交換(西有家〜竜石、大正〜西郷、古部〜大正、大三東〜三会間、
4,415m)
※第3種踏切(7箇所)、第4種踏切(8箇所)を第1種に改良
※お座敷列車を廃止
※貸切バス(大型スケルトン)6台導入
※旧須川ボウル跡を売却
 
1985(S60)
1月10日 船舶無線電話(鬼池航路)認可

2月20日 島鉄本社前駅の利用客増加で、委託有人駅に格上げし乗車券売り
場、売店を新築

4月23日 加津佐駅を旧駅舎東側に移転新築、開業

4月 バス島原半島フリーパス乗車券発行

5月 乗合バス(中型)5台導入

6月20日 加津佐バンガロー村新装オープン(冷房完備のバンガロー15棟を、
はまゆう荘解体跡地に新設、前からの7棟とあわせて県下一の海辺のバンガロ
ー村が誕生)

7月2日 釜の鼻駅新築

7月6日 ディーゼル動車4輌(キハ20形、昭和35、37年製2輌)国鉄から払い下
げ購入。一部で運転開始

7月26日 布津駅新築

7月 貸切バス大型スケルトン5台、中型3台、マイクロ2台導入

9月1日 長崎空港桟橋〜空港ビルの連絡バス、運行開始

10月8日 古部、森山駅の待合所新築

10月31日 『史跡の町』原城駅新築

11月5日 北有馬、愛野駅下りホームに待合所新築

12月4日 『そうめんの町』西有家駅新築

12月22日 常光寺前、浦田観音、有馬吉川駅新築

※重軌条交換(大三東〜三会、島原〜南島原間、計3,685m)
※第3種踏切(4箇所)、第4種踏切(9箇所)を第一種に改良

1986(S61)
3月31日 昭和60年度決算で、18年ぶりに鉄道部門が黒字転換(私鉄が本業
だけで黒字達成に全国から注目・視察が相次ぐ。

4月1日 『南蛮船来航の地』口之津駅新築開業(周辺開発で10m西側に移転)

4月 貸切バス大型9台導入

5月 三会駅新築

6月 島鉄湯江駅新築

7月 安徳駅新築

8月 西郷駅新築。竜石駅国道沿いに移転新築

9月 『ロマンの町・愛しの吾妻』愛野駅、8角とんがり屋根に十字架の教会風
駅舎に新築

11月 吾妻駅新築

11月20日 長崎の鉄道展(西友諫早店)に創業時代の明治の時刻表、愛野駅
の大時計など出品

※重軌条交換(原城〜吉川、吉川〜口之津、口之津〜加津佐間、計3,350m)
※第三種踏切(2箇所)、第四種踏切(4箇所)を第一種に改良
 
1987(S62)
1月 ディーゼル動車5輌(キハ20形)、国鉄から払い下げ

2月 森山駅新築

6月 深江、蒲河、北有馬、白浜海水浴場前駅新築

7月2日 バス有家見岳、慈恩寺線運行開始

7月 神代町駅新築

7月 ディーゼル動車4両(キハ20形)JRから払い下げ購入

8月 瀬野深江、布津新田、堂崎、東大屋駅新築

9月1日 バス三会〜油堀線運行開始

9月 貸切バス大型(ブルーリボン・ハイデッカー)5台導入

11月1日 本社電話交換手を廃止

11月19日 島鉄観光海外旅行認可

12月20日 バス共通回数券発売(県内4社に通用)

※重軌条交換(西有家〜北有馬、布津〜堂崎間、計3,400m)
※第4種踏切を第1種に改良(5箇所)
 
1988(S63)
2月 中型バス9台(ありあけ号2、空港線3、一般乗合4)導入

3月7日 島鉄観光海外旅行オープン記念『台湾4日間の旅』満席で出発

3月13日 ダイヤ改正でJR接続時間の短縮、営業時間を延長、いっそう便利に

3月14日 松尾滋吉社長死去(関連5社で合同葬)

4月1日 バス13年ぶりの大幅ダイヤ改正(諫早線を須川港、口之津線を多比
良港まで延長、市内団地循環線、雲仙乗継時間短縮など)

6月28日 累積赤字を解消、30年ぶりの黒字経営に脱皮(昭和62年度営業報
告を総会で承認)

7月 島原駅改築第一期工事着手(ホームを海側の貨物線跡地に移動)

11月15日 島原駅新ホームで出発式

12月 貸切事業区域の長崎一円免許

※重軌条交換(吉川〜口之津、口之津〜加津佐間、計3,500m
※第四種踏切を第一種に改良(5箇所)
 
1989(H1)
2月10日 島原駅旧駅舎の解体開始(開業から76年のクラシックな大正建築を
カメラに収める市民も。お城風の新駅舎構想を発表、テナント、アイディアを一
般募集)

3月3日 貸切大型バス5台導入

3月11日 ダイヤ改正で、買物客などの足に諫早〜本諫早間10往復増発

4月1日 バス長崎空港桟橋〜空港ビル線を西肥バスに移行

6月12日 島原駅新駅舎起工式

6月30日 加津佐バンガロー村に桟敷を新設

9月1日 諫早島鉄パーキングオープン

12月22日 島原新駅営業開始(本瓦ぶき、石垣を積んだ白壁造りに矢狭間、
屋根にシャチホコ、格子戸風正面ドアの城門風駅舎が好評)
 
1990(H2)
1月17日 大型バス2台導入(高速バス用)

1月24日 本諫早駅新築

1月27日 福岡行き高速バス『てんじん』号運行開始

3月7日 小型乗合バス4台導入

4月16日 島原駅前ふれあい広場竣工(子守唄のモニュメント、全国4つ目の明
治の郵便ポストなど)

5月7日 中型乗合バス5台導入

6月27日 フェリーとホテルの増益で5年連続黒字を決算(1989年度営業報告を
総会で承認)

6月27日 長崎旅博覧会PRに『旅博』号を運転(11月4日まで、加津佐〜諫早1
日1往復)

8月10日 島原駅上りホームに『島原名水』の水飲場

10月10日 中央高校前駅廃止、職業訓練校前駅開業

12月26日 バス雲仙〜佐世保線を季節便に変更

1991(H3)
3月1日 有家駅新築、営業開始

3月5日 貸切大型バス(セレガ)4台導入

4月2日 桃山給水タンク撤去

4月30日 バス長崎栄町営業所開設

6月1日 バス『ありあけ号』(長崎〜熊本間)休止

6月3日 島鉄タクシー運転手が火砕流で殉職

6月4日 警戒区域設定で、列車(南島原〜布津)バス(外港〜深江、外港〜雲
仙)がともに運行不能

6月30日 安徳駅〜水無川(瀬野深江方)の線路埋没、流失

8月10日 深江〜布津の列車運転再開(島原外港〜深江6.4kmは不通のまま)

10月15日 外港〜深江間の定期バス運航再開(通行時間規制で昼間のみ、
130日ぶり)

11月4日 規制緩和により安徳付近の線路復旧に着手

12月24日 安徳〜水無川の線路開通、試運転

12月27日 外港〜深江の列車運転再開(215日ぶり) 

1992(H4)
3月1日 安徳〜水無川の線路(約300m)再度埋没

3月2日 線路復旧に向け、安徳駅南側で測量に着手

3月2日 外港〜深江間に代行バス運行

3月5日 貸切バス(大型セレガ5台、小型1台)導入

3月6日 定期バス新車5台導入

3月7日 安徳〜水無川の線路復旧、運転再開

3月10日 フェリー鬼池営業所、新築竣工

3月15日 安徳駅付近の線路埋没(開通8日で寸断)

4月1日 泥流により安徳〜水無川で道床流失、埋没

4月14日 安徳〜水無川の線路復旧、運転再開

6月10日 島原駅に時計台(噴火災害復旧を願い、国際ソロプチミスト島原が寄
贈)

8月12日 水無川周辺の線路(約670m)が道床流失、埋没。

9月1日 水無川周辺の線路復旧、運転再開

9月5日 本社駐車場の舗装工事完了

10月1日 安徳、職業訓練校前駅に列車の停車を再開(約1年4ヶ月ぶり)

10月19日 国道57号線経由のバス雲仙線、運行再開

11月3日 吾妻〜阿母崎間で、信号不確認、離合駅の錯誤から、列車正面衝
突事故(乗客74名、乗務員2名重軽傷)

12月24日 本社外壁補修、塗装工事完了 

1993(H5)
2月1日 バス礫石原線運行再開(規制解除)

3月3日 貸切バス(大型セレガ5台、中型3台)導入

3月18日 ダイヤ改正で、列車離合駅の固定化、各駅発車時分の統一など、緊
急安全策を強化

3月25日 バス『ありあけ号』(長崎〜熊本)廃止

4月28日 水無川橋梁周辺の線路埋没(700m、一部切断)、復旧のめど立た
ず(外港〜深江、通算5度目の運転不能)

5月17日 ATS列車自動停止装置の設置作業に着手(総事業費1億5,000万
円)

6月28日 白倉社長が健康上の理由で勇退し、名誉会長に。松尾英三、第8代
社長に就任(新体制により災害復旧、将来展望を拓く)

7月4日 中尾川橋梁周辺の道床流失(この区間で初の被災。6日、夕刻復旧
し、運転再開)

8月7日 フェリーくちのつ進水式

8月16日 本社に女性係長(4人)登用

9月1日 航路運賃改定許可(10月1日から)

9月14日 水無川周辺被災線路の高架改良案を策定して、県に陳情(導流堤、
三角地帯かさ上げなどの公共事業とし、『災害に強い鉄道』を目指した本格的
な復興計画を提示)

10月1日 新船フェリーくちのつ(490トン)の就航式(大型バス8台搭載で輸送力
強化)

10月13日 シマテツ21懇話会・中央部会を開催。沿線2市17町の住民、行政な
どの代表を委員に委託。各界、各層から意見、アイディアを求め、島原半島の
中核企業として地域おこしへの貢献を図る(14日に南部会、15日に北部会開
催)

11月17日 雲仙噴火4年目、復興のシンボル・モニュメントを本社前に建立。シ
マテツの『S』に、無限の未来を表す『∞』記号をデザインした鋼鉄製(全高6.2
m)台座の化粧版には『普賢岳火山灰ニュービジネス協会』開発の新素材石板
を使用(土石流で流れてきた水無川流域の火山灰に特殊セメントを混入し、モ
ルタルの4倍の強度を確保。地元の異業種交流企業の商品化第一号作品)

11月30日 ATS工事竣工

12月7日 ATS運輸省(現国土交通省)完成検査(9日まで)

12月25日 踏切保安設備(第四種を第一種に改良、4箇所)竣工

12月25日 ATS列車自動停止装置使用開始

1994(H6)
2月1日 航空貨物長崎空港仮営業所開始

2月15日 長崎県タクシー協会設立総会

2月16日 大型乗合バス3台導入(補助対象車)

3月14日 乗合大型バス5台、中型バス5台導入

4月27日 イベント列車外装デザイン公募

6月1日 島鉄グループ総合案内所開設(バス営業所)

6月6〜8日 第二回シマテツ21懇話会

6月28日 当社授権資本8億円から15億円に拡大

6月28日 バス有家駅下新道乗り換え(下町三ツ角バス停廃止)

8月10日 『島原がんばる号』(島原生き残りと復旧対策協議会)出発式

8月26日 長崎空港内航空貨物大村営業所開設

9月15日 大村国立病院入口バス停留所新設

10月1日 『ドリーム・ラブ・トレイン号』(イベント列車)出発式

10月16日 鉄道の日記念イベント開催(島鉄のってのって祭り。島原駅、愛野
駅にて)。イベントを通して噴火災害にめげず元気で頑張っている姿と、日頃の
感謝の意を表すとともに、鉄道の果たしている役割に理解と関心を高め、地域
に根ざし、愛され、親しまれる鉄道でありたいとの願いをこめ開催。

10月16日 商業広告列車『たくしまグループ号』運転開始

10月26日 諫早ターミナルホテル厚生大臣表彰

11月26日 商業広告列車『干拓の里号』運転開始

11月27日 待望の新ディーゼル車輌(キハ2500形)5両到着

12月15日 中尾川高架鉄道仮線工事安全祈願祭(三会〜島原駅)

12月17日 新ディーゼル車輌ダイヤ編入営業開始 

1995(H7)
1月1日 商業広告列車『バイオパーク号』運転開始

1月26日 新ディーゼルカー運転開始CD付記念乗車券発売

3月17日 商業広告列車『日石号』運転開始

3月22日 第三回シマテツ21懇話会合同会議

3月28日 松尾社長島原商工会議所副会頭就任

4月20日 干拓の里新築(諫早市小野町)

6月9日 鉄道高架化事業、建設省九州地方建設局と協定書締結

6月15日 鉄道高架化事業、建設省九州建設局と調印

6月23日 鉄道高架化工事着工(5工区)、島原外港〜瀬野深江間

7月9日 鉄道線高架化工事安全祈願祭、並びに起工式

7月17日 自動車整備工場(第二種指定工場)認証工場に変更

7月26日 商業広告列車『NTT号』運転開始

10月2日 資本金の変更登記完了(5億円⇒8億円)。初めての地方公共団体
からの出資1.5億円受入)

10月27日 臨時株主総会に於いて県、市、町の代表者4名が当社始めての取
締役に就任


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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください