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タビニッキ
親のスネをかじって、旅しました
1997年4月、短大に入学してから1999年3月、 短大を卒業するまでの2年間に私は3つの国に行った。短大の頃はバイトをすぐに辞めてしまうダメ人間だったのでお金が貯まるはずもなく、すべて親のお金で行くという親不孝ぶりであった。
私が行った短大の学科名は”文化学科”だ。何を勉強するのかイマイチ不明な学科名だ。 人に聞かれても答えるのが難しいが、簡単に言うと外国の文化の勉強をする学科だ。何の資格が取れるわけでもなく、社会に出てから役に立つとは思えない学科だ。でも私は日本とは違った習慣や文化の中で暮らしてる他の国のことを知りたかったし、実際に行きたかったので、この学科を選んだ。
短大の名前は○○大学短期大学部文化学科だったので、大学と同じ場所にあり、授業も大学と同じものを選択することができた。この大学にはたくさんの研修旅行があった。 これも私がこの短大を選んだ理由の一つだ。私は入学する前から目を付けていた研修があった。それは”インド仏教遺跡研修旅行”だ。仏教系の学校だったのでこのような研修があるのだ。 私は仏教にはあまり興味はないが、中学校の時の先生が「僕の友達がインドへ旅行へ行って、インドの魅力にとりつかれて、もう日本には帰って来なかった。」と言ったことから興味を持ちはじめ、インドに行きたい!と思うようになった。 入学して、さっそく研修旅行に申し込んだ。友達を誘ったが、「ええ!?インド〜!?」とみごとに断られ寂しく一人で申し込むことになった。 問題はお金だった。親を言いくるめるのに必死になった。「車の免許取るお金は自分で出すから、その分インドに 行くお金出して。」とワケのわからぬ理由をつけて説得し、無事言いくるめることに成功した。研修に参加できることになり、月に2回、3時間余りの授業を受けねばいけなかった。 昼間にあればいいのに夜7時から9時という時間帯だったので辛かった。これもインドへ行くため、単位を取るためである。しかし合計6回ぐらいのうち3回ぐらいしか 行ってない・・・。仏教をひらいたお釈迦さま(釈尊)の誕生の地、悟りを開いた地、 などを辿る研修旅行だったので、そのことについて授業を受けたが、あまり覚えていない・・・。
寒い、1997年の暮れ、春休みに”フランス文化研修旅行”というものがあることを知った。 私はインドに興味を示し入学前から行くと決めていたし実際行ったのに、なぜかゼミらしきものはフランス文化を取っていたし、フランス語も取っていた。フランス語は、「なんかカッコイイな」と思って取ったのだ。単純である。 その研修旅行は”研修”と言う名はつくものの、インドのように本格的に団体行動で、本格的に学ぶ!というものではなく、「10日間のパリへの旅」で全部自由行動、 事前授業なし、単位もなしというものだった。ただ、行きと帰りは皆で行ってホテルは皆同じ所、というだけだ。航空券代とホテル代だけが研修費に含まれており 安さが魅力の研修旅行だった。これは、フランス文化も取ってることやし、行っとかなな・・・と思い、行くことにした。 さあ、親を説得だ。 親と話をしていると、「成人式の着物を買ってやる」という話が出た。 インド旅行へ行ったからもう私に使うお金は無いのかと思いきや、成人式の着物のための 貯金があることが発覚した。「やった〜。着物買ってくれるのか、 ありがとう。」とでも言ったら親孝行。しかし親不孝な私は・・・「着物いらんからフランス旅行行かせて!」 と言い出した。
モノより経験!!なんとか親を言いくるめ、パリへ出発!
親不孝な私は2回生になった。2回生になると就職活動でまわりが動き出す。 大学編入をめざす人も少なくなかった。私はこのどちらにも進む気がしなかったが、スーツを着て学校へ行くことに憧れを持っていたのでセミナーに行った帰りに 学校へ行ったりして就職活動をしている学生の気分を味わったりもしてみた。今後どうしようかと迷っている時、「そう言えば私、留学に憧れてたな〜。もうすぐ卒業。就職してもフリーターになっても 留学なんてできない!今しかない!」といきなり燃え上がり、"アメリカ短期語学研修"に行こう!!と決意した。 これは今までの旅行が”研修”とは名ばかりで観光を中心としたものであったのとは違い、3週間、アメリカの大学で語学研修を受けるというホンモノの”研修” だった。そのことを強調し、親を説得したが、これはかなり苦労した。親もアキレていたのだろう。あまりの親不孝ぶりに。 「航空券代だけはローンで自分で払うし、残りのお金は働き出してからちゃんと返す。」という条件で行かせていただけることになった。本当に申し訳ない気分でいっぱいだ。・・・航空券代はローンでちゃんと月々3マンずつ半年かけて払ったけど・・・ 残りのお金は未だに返してないから・・・。
この研修は事前授業があった。インドの時と同じように夜の7時から9時という辛い時間帯だった。 しかし英語の上達のため、単位のためには行くしかなかった・・・。 でも結局、単位ギリギリの線しか行ってない・・・。サボリ魔。
今までで一番長い海外滞在だったアメリカの研修。
本 当に親のスネをかじりまくった、短大時代。
でも本当にどの研修も行ってよかったものばかりだ。モノより経験。 でも経験をするにもたくさんのお金がいる。 親には感謝するしかない。そして・・・ちゃんと返そう・・いつかは。
(written in May,2000)
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