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就職活動

2月1日。

 今日は、ある会社へ面接へ行った。10時の約束。15分前に到着し、 女の人に案内され、座って待つ。
やっと10時になった。まだだろうか。
5分過ぎた。遅いな、そろそろかな。
15分過ぎた。忘れられてるのではないだろうか。
25分過ぎた。どんだけ待たせたら気が済むんや、もう帰るで!こっちから願い下げや!
30分過ぎた。ほんまに、いいかげんにしてくれよ。
そこで、やっと人事担当の人が 現れ、「たいへんお待たせしました」と「一応」と感じ取られる挨拶をして、すぐに面接に とりかかった。とても感じが悪い。

 履歴書を見て、「えー、前の会社はおととしに辞められたのですね。それからは何をして らっしゃったんですか?」と聞かれ、今まで何度も答えて来たように、「学生の頃から留学に 憧れておりまして、費用の面で問題があったので、ワーキングホリデーと言って、働くこともできる ビザでオーストラリアに1年間行っていました。」と答えた。前の会社では具体的にどのような仕事を していたかとかいう話などをして、「前の会社を辞めた理由というのは何ですか?」と聞かれ、 「え、ワーキングホリデーでオーストラリアに行きたかったからです。」と、すごく端的に答えた。 すると、「西田さんは、仕事というものに対して、どのような捉え方をされているんですか? 例えば、外国へ行きたかったのは、文化学科を出てらっしゃるから国際的なことに興味があって、 向こうへ行って英語をマスターしようと思ったのですか、帰って来てからも英語を使って仕事がしたいと考えて 行かれたんですか?」と聞かれた。ちょっと、戸惑った。
その質問は、まるで社会人として就職したのにも関わらず、ただ、外国へ行きたいという理由で 会社をたった1年で辞めた私の無責任さ、社会人としての意識の低さを指摘しているようだった。 会社を辞めた理由が「ワーホリへ行きたいから」だけではなかったはずだが、戸惑った私はそこを 否定することもなく、 「国際的なことに興味がありまして、はじめは英語を使えるようにして、それを生かした仕事を したいと思っていたのですが、向こうに行って、ホームページ編集という仕事をして、楽しくて、 パソコンを使った仕事をやっていきたいと思うようになりました。」と、トンチンカンな答えを した。言いたい事が言えなかった。伝えようともしなかったから、伝わらなかった。

短大の就職活動の時は、「自分のやりたい仕事」なんて、考えても具体的なことは思い浮かばず、 何が自分に向いてるのかも分からず、これといって好きなことも分からず、何もない自分に気付いた だけだった。でも、ただの事務員っていうのはイヤやなーと漠然と思っていた。だから専門学校へ 行って、何かの資格を取りたい。そういう思いは、その頃から持っていた。でも、何の資格が取りたいのか。 肝心なそれが分からないままだった。

会社に入ってからは、興味の全くない分野の業界での仕事に、何の興味を覚えることもできず、 この先、大きな仕事を自分に任せてもらえるほどの力量が自分にあるとは全く思えず、一生、 お茶くみ、雑用係で終わるという未来しか見えなかった。お茶くみに、やりがいを感じられるはずも なかった。でも、自分が具体的に「これがしたい」という仕事も相変わらず分からないから、 会社を辞めたとしても将来は見えてこないという思いがあった。何年この仕事をしても、 絶対に興味を覚えることもない、私には向いてない、自分の役に立たない、「お茶くみ」なんて 何の経験にもならない。自分のスキルアップに繋がるような、経験になるような、やりがいのある 仕事がしたい。それを求めて辞めた。その「何か」を見つけるため、自分の中で決めるためには 時間が必要だと思った。その時間がワーホリの1年間だった。

英語関係、旅行関係の仕事に憧れていたけど、英語は、センスが無いと思い諦めた。
旅行関係の仕事。私は旅行をするのは好きだけど、仕事としてやっていくには向いてない気がした。 じゃあ、何なんだ。そして出会ったのが、ホームページ編集のバイトだった。楽しかった。 何もない所から自分の発想でモノを作っていくことに、やりがいを感じた。 だから、勉強して、知識をつけてから仕事としてやっていける人になりたいと思う。 自分に向いているのか、やっていけるのか、そんな事は分からない。そういう道に進もうと決めた。 けれど、今はまだそのスタート地点にも立っていない状態。パソコンに関わる仕事に進みたいと 決めているのだから、そのスタート地点に辿り着くまでの、ただお金を貯めるだけの時間も、 パソコンの経験になる仕事がしたい、オフィスの中で働く経験が欲しい。入力の仕事や事務の仕事、 それでも経験になるはずだ。だから、こうして活動している。

私は、たった1年で会社を辞めたし、ろくに仕事もしてなかったし、自分が仕事のできる人だとは 思えないし、会社での人間関係も苦手だし、社会人としての意識も、低いのかもしれない。でも、 今は、ちゃんと考えを持って、経験を積みながら自分のやりたい事に近づいていきたいと思っている。 何も考えていないわけではないのだ。だから、今日の面接で何も考えてないと取られたことが悔しかった。

自信なんて全くない。きっと私は、憧れとしている職業に ついたとしても、またすぐに嫌になって、現実逃避をしてしまうのではないか、また外国へ行って しまうのではないか、そういう不安も大きい。考え方も甘い。憧れとしている職業について、 会社で3年ぐらい働いたら経験も積んで認めてもらえるだろうから、辞めて、外国を旅して、 また帰って来ても、資格と経験があるから仕事はある。実はそんな考え方もしている。永遠に 働き続けるという生き方は、無理な気がしてならない。そのへんは、まだワーホリ気分が抜けていな いのかもと思うけど。誰しもがそうであるだろうけど、私も社会に認めてもらいたい、立派な社会人 になりたいという思いを持ち、その思いは強い。でも、その世界の中だけでずっと暮らして行くのは 無理な気がしてならない。何が楽しいのだろう。そう思ってしまう。勤続何十年。寒気がする。 一定の場所で永遠に暮らしていく。何が楽しいのだろう。そう思ってしまう。妥協しつつも仕事をして 給料をもらって、豊な暮らしをして、不満をかかえながらも小さな幸せをみつけて暮らしていく。 それが、きっと幸せなことなのかもしれないけど、何の魅力も感じない。でも、そうやって暮らして 行くのが、この日本という国の、とくに秀でた才能も持たない一般市民の真っ当と言われる生き方な んだろうな。否定はしないけど、肯定もしない。

でも今は、そういう生き方をしたい、そういう 社会に入りたい、そう思う。何十年も続くかと思うと魅力を失うけれど、無職の身にとっては、 魅力ある世界です。安定した日々の繰り返しの中で一喜一憂したり、給料が入ったら友達と ショッピング、今の流行はこれ、そんな暮らしがしたいです。就職活動の日々、なかなか決まらない、落ちてばっかり、自信喪失の日々の中で 自分の進みたい道がハッキリと見えてくる。就職活動って楽しい。そう自分に言い聞かせるかのように、 また来週も張りきっていこうかと思う。

 たまに友達に、「これからどうすんの?」「そろそろ働けよ」という意味合いのことを言われるけど、 きっと、仕事もせんとブラブラしてーなんて思われてるだろうけど、いろいろ考えてるし、いろいろ活動してる。 無職も辛いよ。今まで、友達が無職の状態になった時、「これからどうすんの?」「そろそろ働けよ、やばいだろ」って 思ってた。友達は、いろいろ活動してただろうし、いろいろ考えていたのに、そんな事も分からず、そんな風に思っていた。 自分が経験して、人の気持ちをやっと知ることができる。なんて愚かなんだろう。
(2002,2,1)


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