このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

WH入門
WH1年間
WH一般教養
MONEY
WH終了
WH BBS
WH LINK
WH TOP
放浪LIFE
-HOME-

酔う

 毎日ダラダラダラダラしていたら、親がいいかげん切れだして、「あんたー、学校行きたいなら今から行ったらどうやー。お金貸してあげるから行ったらどうやー。」「お父さんが、車の免許でも取りに行けって言ってるでー。お金出してあげるから行ったらどうやー。」「時間がもったいないでー」 と、甘い言葉を吐き出したので、先週から本格的に就職活動らしきことを始めることにした。 職探しをしてる近所の友達と一緒に、京都、大津、八幡など様々なハローワーク(職安)へ行ったり、バイト情報誌を買って、電話をかけまくったり。 デスクワークっぽいことなら何でもやりまっせ!っていう勢いで何でもかんでも電話して、履歴書を書いて、面接へ行ったり、履歴書を書いて、結構書いた所で間違えて 悔しい思いをしたりしながら、また書き直して履歴書を会社まで持っていったり。

 短大卒業間近に就職活動をしてた頃よりも、すごく活動的な感じだ。すごいでー!っていう勢いで何でもかんでも来いー!っていう勢いで、先週面接へ行った派遣の仕事が決定した。 消費者金融の電話オペレーターという仕事。やったー!仕事が決まったー!やっとプー生活から抜け出せるぞー!と喜び溢れる勢いで、母親にそれを報告したら「あんたぁー!何言ってんのぉー!やめてぇー。 消費者金融なんてやめてぇー。」と、猛反対を食らった。やっぱりね。反対されそうな気がしたから面接に行くことも言ってなかった。うちの母親は、「消費者金融」とか「保険会社」とかに偏った考え方しか持っていない。 それでも働く気でいた私だが、あまりに猛反対されたので、いろいろ友達に相談してみた。やっぱり皆も、「親が反対するならやめときー」とか「親の世代には偏見があるのかもねー」という意見で、 働くぞー!と思っていた私も少し考えて、消費者金融とか保険会社が悪いとは思わないけど、親が心配、反対することには今は逆らわずにいようと思い、その仕事を断ることにした。 オーストラリアに行ってる間も心配かけてたしねー。親も安心、家族安泰、っていう生き方を、ちょっと1年ぐらいしてみようかという方向で、また就職活動再開や。

 はぁー、そんなことはどうでもいい、そんなことを書こうとしたんじゃない。
今日は、久しぶりに、すごい、気持ち悪い酔い方をしてしまって、もう、とんでもない。あー、気持ち悪い。いやー、日本酒、いいちこは効くねー。とんでもない飲み物やわ。 あー、気持ち悪い。書いて、書いて、気分を紛らわしたかったんです。飲んでた時は、普通やったけど家に帰って来てから、きた。久しぶりに味わう気持ち悪さ。吐こうとしても吐けない気持ち悪さ。 でも、さっき無理矢理吐いてみて、ちょっとスッキリして、あー、このスッキリする感じは懐かしいなー!

 先週、履歴書を持って行った会社が、営業事務の仕事で、面接ではなかったけど、こんな感じで仕事をしてもらうとか、いろいろ話を聞いて、あー、あー!って感じよ、これ! 昼間の静かな営業所、電話対応、小人数の営業所。あぁぁぁー!雑用係かよ!あぁぁー!なんか前の会社での日々と被るところがあって、懐かしいやら、お先真っ暗っていう気分やら。 きっと、仕事をしだしたら私はまたワーホリに行きたくなってしまうわ。って思いました。

 だからその会社の面接には行かないことを、そっと心で誓いました。

 「仕事」のところで、エラソーな、小生意気な、やる気まんまんな風な事を書いてみたけど、大阪まで通勤なんて、それだけで無理なことで、それだけで採用不可能、京都でさえも、「滋賀ー、遠いねー」で終了。 車の免許も持ってない、社会経験、たったの1年、使えるソフトもナシ、マックも使えませーん。あかんやん。っていうわけで、遠くても京都っていう範囲で、デスクワークの仕事であれば何でもしまーすっていう範囲で 探すことにしたんですよ。はぁー、やりたい事があるのに、そのスタート地点にも立っていない状況って、ただお金を貯めるしか先に進めない状況って、自分を追い詰めてしまって、えらいことになりそうな気もするから 怖いので、派遣社員で、3ヶ月ごと更新で、気楽に、日々の仕事に追われながら、ケチケチせずに、コツコツと、1年ぐらいかけてお金を焦らずに貯めていくことが必要です。多分、1年じゃ貯まらない気もするけど。 ワーホリ行く前の、お金ーお金ーってなってる状況だけは、ちょっと怖いのでやめたいです。

 原付で琵琶湖までノーヘルでぶっとばして、夜中に琵琶湖沿いを走ったりする状況だけは避けたいです。

 そういうわけで、今日は、酔って、気持ち悪くて、明日は絶対二日酔い。わけわからんわ、この文章。終了。


(written in 2002,1,27)

ワーホリ帰国後-2002年-へ戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください