このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

●〜* Kunyom chon Rot Ploen Khumae!

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Kunyom chon Rot Ploen Khumae! *〜●


 ▲ポル・ポト派が破壊した橋

 ポル・ポトの天下の終焉はあっけないものだった。いろいろとヴィエトナムにちょっかいど出したあげく、相手が本気を出すと防御戦は一発で突破されてしまった。ヴィエトナム軍はまず最初はシハヌークヴィエル方面からの進軍を行った。

 ポル・ポト派軍隊がヴィエトナム軍の侵攻を支えることは所詮無理な話だった。戦力の質、兵器の質、兵士の腹の具合、すべてにおいてポル・ポト派軍隊は圧倒的に劣勢だった。そこでヴィエトナム軍の進軍を少しでも遅れさせるためのインフラ破壊作戦が再会された。この写真の橋はポル・ポト派軍隊の努力の名残りだ。完全に崩壊させるだけの爆薬が不足していたのか、それとも将来の再建を考えてかは分からないが中途半端な残骸を今でも曝している。

 そして南でそんな努力が行われている中、ポル・ポト派はカンボジア鉄道を利用してタイ国境への「転進」の真っ最中だった。連日、プノムペン駅からはカ共臨(カンボジア共産党臨時列車)が発車していた。負傷兵からポル・ポトに従う民間人が満載で相当な混乱だったらしい。

 最後にポル・ポトは長期間軟禁していたシハヌーク元王を開放して、ポーチェントン空港から中国へ逃がした。そして自分はヘリコプターでカンボジア・タイ国境の森の中へ消えていった。それによってカンボジア鉄道は一応ポル・ポトから開放された。勿論その後もポル・ポト派からの攻撃によって機関車が橋から川に落ちたり、乗客が殺害されたりという事件は起こり続けたが、それは存続を危うくするものではなかった。

 

 

そして、カンボジア鉄道は再び夜明けを迎えることとなる・・・。

 

Tommy February6 聴きながらこんなの書いちゃイケナイかな? "My lips say I love you."

ボロスキャナーしかないので画像がにじんでるのは勘弁してください。

 

 

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