このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





このサイトは、廃線、旧道、古い建物、及び気の向くままに撮ったその他の写真などを公開していく(予定の)サイトです。


運営者:1970年代生れ、関東出身。好物、梨、味噌汁、あとなんだ?
韓国の廃線に関するサイト「 無等鐵道 」を運営。







memo



2015年2月15日
トップ写真を更新。下した写真をここに。

横浜線町田駅・2014年8月13日

8月23日
トップ写真を更新。横浜線205系。写真を撮ったのは先週だが、この日、205系が横浜線から引退したため。
下した写真をここに。



城 春 草 木 深
(松前城跡内の旧松前線トンネル跡・2014年5月4日撮影)


5月29日
トップ写真を更新。旧松前線、松前城跡内のトンネル跡。下した写真をここに。

横浜線205系車両、大雪の翌日

青い空と白い雪の間に
(横浜線205系車両、 成瀬−長津田間にて撮影)

2014年2月11日
トップ写真を更新。横浜線、大雪の翌日の2月9日に撮影したもの。下した写真をここに。
玉野市内、旧・玉野市営電鉄跡のトンネル

通過列車にご注意ください


2013年8月11日
トップ写真を更新。岡山県・玉野市電気鉄道跡の、自転車道。下した写真をここに。
常磐線広野駅にて2011年10月19日撮影

鉄馬は、走りたいか
철마야, 달리고 싶냐

しかし、結局いわきの中断地点にはあれから行っていないな。あと、写真を携帯で撮ってしまったので、まだ保存してないままだ。
12月7日
11月26日と27日、福島市大波地区で除染のボランティアをした。といっても本来行く人が風邪で、代役として行くことになっただけだけど。

翌28日に、常磐線の相馬、新地、坂元、山下駅を訪問した。・・・新地と坂元は、現状で廃止駅と変わらない・・・というより廃止駅以上の変わり果てた姿に言葉を失った。
写真を整理したら別ページでアップしようと思う。


10月26日
こういうのは早いうちに、と思って「広野駅にて」アップ。
ついでだが、いわき駅から電車に乗る前に駅ビルのカフェテリア方式の定食屋で食った昼飯のお陰で、2時間歩き回っても空腹にならなかった。「 半田屋 」というチェーン店を初めて知ったが、いいなあここ。まさに「夜の学食」。かぶりついたニシンの塩焼きを、なんだかまた食べたくなってきた。

10月20日
半年振りのトップページ換え。
「現場」としていつか訪れたいと思っていた常磐線の不通区間南端、広野駅。津波で被災した鉄道を撮りに行く気にはまだなれていない。

下ろした写真をここに。
いつか朝が来る。

石巻駅にて、女川発古川行きの石巻線上り始発電車が入場。昨年(2010年)5月撮影

4.14
トップの写真を更新。正直、今年の春のネタがなかった。「出動」する気持ちの余裕がなかった。

いかにも冬な、下ろした写真をここに。

赤い電車と、降る雪と

京浜急行仲木戸駅にて、2011年2月11日撮影


4.1
今週に入って、ようやく相模線が動き出した。計画停電の実施が見送られたからだ。しかし、根本的な電力供給体制の脆弱さは何も変わっていない。

大船渡線の一関〜気仙沼間が復旧した。とても、とても喜ばしい。しかし、今日の新聞には女川の駅からだいぶ離れた墓地の上に横たわる石巻線の車両が載っていた。どう見てもダメと分かる有様だった。

海岸沿いの区間の復興は、年単位の話しになると思う。それまで、難をまぬかれた車両は他路線で走らせることになるが、復旧したときにはダメになった車両の代わりが必要だ。新しく作るとなると、結構な経費にもなる。
そう考えると、JR東以外の区間や会社で、余っている古い気動車が自然に廃車されていく前に集めておいたほうがいいんじゃないか。とりあえずこの夏と今年から来年にかけての冬は首都圏のローカル線(相模・八高・川越西線・両毛など)で活用し、来年以降電力の復旧と被災路線の復旧の進度を見つつ、漸次東北へ転属させていけばいい。

・・・・でも、209系のボディに気動車のエンジンつけて再生、とか、出来るのかな・・・・できるなら、それはそれで見てみたいな・・・・

3.24
JR相模線が動かない。
3月24日現在で、南端の茅ヶ崎‐寒川間しか動いていない。距離にして5キロ余り、全体の1/6にも満たない。神奈川県中央部で、こんだけ動かないのは相模線だけだ。背景には4つのエリアにまたがる路線、多い踏み切り、など言われているが、多分大元は東京電力への電力依存度が高いことじゃないかとおもう。

予測だが、多分3月一杯、さらに運転再開があるとしてもせいぜい北の橋本‐原当麻くらい。4月は新年度なので、さすがに本数減でも通勤・通学の足となる程度には全線で再開すると踏んでいるが、確かとは言えない。そして、夏までに東電の電力供給に大幅な回復の見込みが無い以上、再び区間もしくは全面運休も十分に…

それまでにJRから独自電力を注ぎ込めるよう供給体制・設備の抜本的改良が進めばいいんだけど、それがむりなら、本気で気動車を一時(再)導入することを検討すべきだと思う。

多分日本のあちこちに、中古で余っている気動車はあるんじゃないかと思う。ただ、同じJR東の所有で言うと、やはり、東北の三陸地方の気動車のうち、無事な車両、かなあ……こんなことを言うと申し訳ないようだが、津波の直接被害を受けた路線、特に幹線でない路線は、少なくとも2ヶ月や3ヶ月では復旧できないと思う。その間、無事だった車両はそのまま留め置かれることになるので、それだったらひと夏の間、相模線に持ってきて走らせたらどうだろう。東北から来た車両ということで、被災地支援に活用しても良いし、乗り鉄や撮り鉄諸子には記念グッズや切符でも販売し、巻き上げた(笑)金を復旧資金に充てることもできる。
決して面白半分の企画ではなく、名と実を備えた一大作戦にもなりえると思うんだけど、どうだろう。

……まあ、全ては福島第一原発が収まってからの話ですが。


3.14
あんまり目につくところでは書けないのでこんなところに書くけど‥‥
自分が去年の1月に旅行したのは飯山線経由で津南・十日町。ゴールデンウィークには常磐線で高萩(茨城県北部)、仙台から仙石線経由で石巻、女川、前谷地から気仙沼線で志津川(南三陸町)経由で気仙沼、北上、湯田、秋田、象潟、酒田、米沢。今年の年始には外房線の大原からいすみ鉄道・小湊鉄道を経由して五井(市原市)、水戸、日立。
で、訪問先のうちで今回の一連の震災の被災地の占める割合が……
なかでも、十日町(飯山線)と気仙沼と市原を揃えるっていうのはありえないだろう。
正直、俺は旅行しないほうがいいのか?と半分まじめに考えたくらい。

石巻上空からの映像で、あの旅行のとき、閉館時間ギリギリまで館内を回った石ノ森萬画館が映っていた。コンクリと金属の塊のような建物なだけに、中洲にそのまま建っていた。でも、建物の周りにあったはずの家々は、跡形も無く‥‥

でも運よく震災に遭遇しなかった者が下らないこと考えていても始まらない。復興したら、前回の3倍のお土産を買う覚悟でまた訪ねよう。

さて、もうすぐ我が家のある地域の計画停電の始まる時刻。どうなるか。まあ命の危険にさらされるわけで無し、気楽に、気長に。

追記(3.16) :私、今年の1月5日に富士宮神社に初詣に行きました… 


2.11
トップページを更新。首都圏の南部にも雪ということでプチ出動。でも昼はアスファルトに積もるほどではなく、特に神奈川東部は屋根もほとんど白くならず、あてが外れの介。

下ろした写真をここに。
冬の朝

水戸市内・千波湖のそばの桜川河畔・1月10日撮影

1.13
おととい、「 写真6 」に大多喜駅での撮影会のキハ52-125の写真を載せて、くだらないコメントを書いたのだが、「もうそろそろ休ませて」だけでは後ろ向きだと思い、「それとも、房総の明るい冬空に心を〜」と書き加えた。うん、良い事書いたとバカな自画自賛しているうちに、この、年代物ながらまだまだ達者な車両のキャラはどんなんだろうと考え、大滝秀治ではちょっと、とか石坂浩二ではインテリぶりすぎ、とかいろいろキャスティングしているうちに、気が付いたら52-125=富司純子さん(声)になっていました。朝ドラの見すぎ。


2011.1.11
トップページの写真更新。水辺にコロコロある石のようなものは、丸くなっている水鳥(カモ系の)。
日立電鉄廃線跡の大甕〜鮎川間を見てきました。このサイトでも載せている 現役時代末期の写真 が信じられないほど、僅か数年で見事な「廃線跡」になっていました。時間は早い。
近いうちに、アップしたいと思います。3月までの目標、「無等鉄道」に東海南部線か、全羅線旧線の写真のどちらをアップした上で、日立電鉄跡の写真をこちらにアップすること。

それから、水戸では水戸芸術館へ。2度目の訪問。9日夜の現代芸術系のコンサートと、翌日午後の展覧会に行ったので合計で3回訪ねたことに。コンサートは・・・当初は戸惑いもあったけど、面白かった。去年のCDが売っていましたが、あの面白みは見ないと分からないなあ…

年末にあげた写真をこちらに。
冬の空、遠く、高く

JR錦糸町駅ホームから見た東京スカイツリー・12月26日撮影


12.30
トップページ写真更新。錦糸町の総武線快速ホームから。こんだけの距離から見るのも、スカイツリーの写真を撮るのも初めてだ。

9月に上げた写真をこちらに。
奈落のホームを見下ろして

みなとみらい線みなとみらい駅ホーム(地下4階)を吹き抜け2階から見下ろす・9月29日撮影

9.30
トップページ写真更新。白と黒の巨大な物体はスヌーピーショップの看板犬、スヌーピーの特大ビニール人形。

5月に上げた写真をこちらに。
夏の風兵共は夢を見る

常磐線高萩駅に係留された209系電車、2010年5月2日撮影

9.23
昨日、横浜線で東急電鉄の車両と思しき電車3両ぐらいを牽いたディーゼル機関車とすれ違った。カラーリングは赤とピンクで東横線ぽかったんだけど、どこからどこへ回送なんだろう?横浜線での東急線との接点といえば長津田なんだけど、すれ違ったのは長津田より北の区間で、こちらの電車は下りで回送列車は上り方向だったのだ。東横線から長津田検車区へなら自社線内で廻せそうだし、神武寺の近くの工場から廻すにしても逗子→大船→根岸線→横浜線と通れば長津田以北を経由してくる必要もないような。??まあこれから調べてみるか。

で、調べてみたのだが、東横線と東京メトロ副都心線との乗り入れを控えて必要な整備だか改造だかをするため今年5月に長津田から搬出され、横浜市金沢区の東急車輛製造の工場に持ち込まれていて、これは10月に戻ってくる予定。それとは別に同工場で新造された東横線車両が9月21日に中央線経由で八王子に到着、22日に横浜線経由で入ってきた、ということらしいのだが、どの経路で来たのかがまだ分からない。それとも桜木町‐東神奈川は京浜東北線と横浜線とで密度が高すぎて車両輸送どころじゃないんだろうか。だとしたら、大船→羽沢、新川崎辺り経由で武蔵野貨物線→西国分寺の連絡線経由で大回り?よく分からんが。


6.9
ひっそり twitter 開始(自分便宜のためここに貼付…)

5.23
5月22日、東海道線茅ヶ崎駅にて。
辻堂駅ホーム拡幅工事に伴い臨時に貨物線(横浜羽沢→武蔵小杉)経由の普通列車東京行きが3番線に到着
でっていう

5.8
南東北を中心にGW期間に旅行に行ってきました。写真6と写真7に一部写真をアップ。写真の並べ順と撮影順とが違うので、訪れた場所の順番をメモ。
上野→《常磐線》高萩→仙台→石巻→女川→石巻《1泊》→前谷地→気仙沼→一関→北上《1泊》→ほっとゆだ→秋田→酒田《1泊》→新庄→(帰京)
いわゆる「一筆書き」切符を初めて購入途中下車を前提とした購入は今までもあったけど、ほぼユーターンして戻ってくるルートで購入したのは初めて。ルート外区間の切符や特急料金も含め、総交通費2万以内に抑えました。
「マンガッタンライナー」が2編成とも撮れたのは全くの偶然。特に1号のほうは、石巻で一泊した翌朝、石巻線で前谷地へ向かおうと駅に入ったら止まっていたので、あわてて撮りました。


5.6
トップページの写真を更新。高萩駅は太平洋まで歩いて数分の駅で、初夏の潮風が吹きつけていました。高萩からさらに東北を巡ったのですがその写真は今週末以降に。

そして4月に載せた写真をこちらに。

小田原城内の遊園施設にある遊覧用ミニ鉄道、2010年4月2日撮影

東海道線は小田原城のすぐ脇を通っています。
(嘘はついていません)


4.3
トップページの写真を、撮れたての桜の写真に。こんなすぐの更新はいつ以来か。

下げた写真と、複数枚貼ったページのリンクもここに。
除雪車・飯山線十日町付近、2010年1月撮影

はたらくくるま
(画像をクリックすると同じ除雪車の写真を+2枚展示)

1.20
甲種回送中

夜の八王子駅にて、偶然。後で調べたら、東急8090系改め秩父鉄道7500系(3両編成)、長津田から熊谷へ向かう途中とのこと。

いいかげん、10年前の携帯電話を買い換えたいと切実に思いました。


2010.1.19
表紙の写真を替えた。飯山線十日町駅構内にて、夜の除雪作業。

上げていた夏の廃線址をこちらに。

新潟県十日町市・発電所建設専用線跡の緑道


2009.11.21
「国鉄顔」電車編に内房線・外房線で撮った国鉄顔電車(113系と明確に言うべきか)を掲載。

2009.8.9
十日町市・旧真田小学校のトイレのドアに
至言。

2009.8.8
ようやく夏の写真を。新潟県十日町市、十日町駅の北西・信濃川西岸に所在する水力発電所への引込み線跡、の遊歩道。8月6日撮影。暑かった、暑かった。
2009年夏、十日町市域と津南町において「 越後妻有アートトリエンナーレ・大地の芸術祭 」を開催中。展示は東京23区より広い地域全域に渡っていて、この廃線跡周辺にも数箇所、展示物があった。

そして、降ろした写真をここに。
横浜駅北口・道路と歩道橋と高速道路

11.19
寒い・・・もう冬か。それにしても真冬並みに寒くなくてもいいってばよ。それにしても、部屋の隅の袋から昨冬着てクリーニングに出していないセーター4着が出てきたのにはあきれた。自分に。

2008.7.26
階段の写真を、保管のため。現在トップにある歩道橋の写真も冬に撮った写真なので何とかしないといけないんだけど、日本国内の夏の写真で載せたいのがなくて・・・

10.5
6月に模様替えをして以来の模様替え。6月は一応夏向けのつもりで湘南江ノ島駅からの写真と、背景も青くしたので、今度は茶色に。今度の写真は横浜駅近辺にて、ちょっと前に撮影したもの。

不明
6月のいつだったか、写真を載せたのが模様替えでサイトから消えていたので、自分で忘れないうちにここにおいておくことに(2008.7.26)

湘南モノレール湘南江ノ島駅のホームから

5.15
2週続けて、路面電車(こう言うのは正確ではないかもしれないけど)の写真をアップ。なんだかあちこち旅行しているみたいだ(そうでもないか)が、北陸編は全て一日のうちに撮ったもので、2泊2日(帰りは夜行)だったし、四国編は3泊2日(うち2車中泊)という日程だった。・・・ある意味贅沢な(というよりもったいない)交通費の使い方なのかもしれない?

4.21

JR横浜線某駅にて撮影

問.写真に写っている二つの電光表示板について、左右の表示板の間にどのような状態の違いがあると思われるか、80字以内で述べよ。



回答例
右側の表示板は表示するシステムそのもの
がまだ準備中で表示できない状態であり、
左は表示は可能だが乱れることがあるため
きれいになるよう試行中だと思われる。
(79字)
・・・いや、違わないとは思うんですけどね、もちろん・・・

4.20
3月29日、8〜9分咲き程度
JR巣鴨駅ホームから。

3.29
都内にて、5月撮影

12.16
先月のいつだったか、ふと気になって今まで乗車したJRおよび私鉄その他の路線を時刻表の路線図上で塗りつぶしてみた。九州がほとんど白紙に近いのはおいておいて、身近なところで未乗車区間が思いの外多い。山陰とかもまったく手付かずだ。お盆のときに福島・新潟方面に行って以来、乗ってすらいないのでこの冬はもうちょっと前向きに乗りに行こうと思う。なるべくお金を使わずに…(前向きなのか?)


10.8
すっかり放置状態ですが、何でもいいから10月中に上げようと思う。見せるだけの価値のあるものがあるかどうかわからないけど・・・って、今までもそうか。
そういや、今って鉄道の日記念きっぷ(だったっけ?)の期間中なんですよね。3日前に知りました。たぶん使いません。



4.14
トップページの写真をこちらに移しておきます。もうさくら散っちゃったしね・・・
本当は神岡も行きたいのですが多分無理。どうか一人でも多くの腕のいい人が最後の桜をファインダー越しに切り取ってくれますように。


場所は京浜急行日出町‐黄金町間、3月31日撮影


2006.4.1
トップページの写真を貼り替えたので、臨時にここへ置いておきます。ページ作るような写真ではないので。

で、新しく貼ったのは昨日撮った桜の写真。面白いことに、同じ市内でも丘の上の神社の桜は満開なのに、川沿いは8,9分咲きといったところ。川風っていうのは局所的には(やはり)気温を低くするように作用するものなのか。それとも水面があるだけで気温は下がるのかな。


3月17日、新橋駅停車中の東海道線車内にて

それにしても、4月に入ったのに18きっぷが4日分残っているとはどういうことだ。どうするよ?

3.23
今回のちほく線ツアーの旅程だけメモ程度に。
9日:7時ちょっと前、上野発の北斗星3号に乗車。
10日:南千歳で下車。帯広行き特急に乗り終点まで。帯広駅で昼食後、 帯広→北見の快速「銀河」に乗車。北見からすぐに接続の普通列車で網走へ。網走泊。
11日:始発の釧路行き普通列車で釧路へ。釧路で早めの昼食。釧路から、根室まで往復。釧路発16時19分(?)の特急で南千歳へ。南千歳からエアポート快速で新千歳空港。空港内で夕食、土産購入。
予定時刻8時55分発のADO便で羽田へ。だが出発が遅れたため、到着も予定より遅れて、終電で帰宅。
釧路で青春18切符を買った。とりあえず根室往復に役に立ったが、期限までにこれをどうするかが課題だ。
それにしても、北海道と言うところは札幌中心で交通体制が組まれているのだなあと、痛感した。

2006.3.19
あれ?今年初だったか。こんなになるとは思わなかった。
先週の木曜日から土曜日にかけて北海道に行ってきた。目的は、ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に乗るため。ウソ。現実逃避のため、なるべく長く走る夜行列車に乗ってなるべく遠いところへ行きたいと思ったからだ。そのせいで体調を更に崩し、今週は週明けからボロボロだった。
ようやく仕事から解放された昨日、ようやく風邪と足の痛みを直すため病院に行った。緊張が緩んだせいか、今朝も大事なことを忘れそうになった。

昨日は東海道線の「湘南電車」の引退の日だった。ちょうど午前で仕事が終わったので、帰りに東京駅に寄った。カメラを持った男どもが何人も駆け回り、正直、同類だと気づかれたくないと思った。強風でだいぶ電車が遅れていた。撮り鉄泣かせの最終日だったかもしれない。
ホームで待っていた電車はすでに満席だった。座りたいと思って反対側で待っていたら、それがちょうど引退の列車だった。並んでいたところの車両はロングシートだったけど、たたずまいと走行音を味わおうと思った。運良く、動力車だったらしい、新橋から品川までの区間では元気の良い音を響かせてくれた。
ディーゼル車でも、寝ようと思う時はうるさいだけの動力音が、旅情をかき立てる時がある。どこに行っても古い車はうるさく、新しい車は静か、な気がする。沿線に住んでいる人にとっては騒音でしかないだろうけど、電車にしろ汽車にしろ自動車にしろ、走っているという実感が薄れるということの影響は小さくないのではないかと感じる。
列車は大井町か大森を過ぎた辺りで減速し、「徐行」と呼べる速度になった時点で、強風により川崎までこの速度で走る旨の車内放送があった。そのまま都電よりも遅い速度で多摩川を渡って川崎駅のホームにつくまで一度も加速らしい加速はしなかった。
川崎駅からはいつもどおりの走行に戻り、特に無茶な速度を出すでもなく1時40分過ぎ、列車は横浜駅に到着した。去っていく列車を見送ったあと、病院へ向かう電車の乗り場へ急いだ。こちらも強風のせいでダイヤが乱れ、ホームには来ない電車を待つたくさんの人でごったがえしていた。


2005.10.9
photos4アップ。前回のphotos3はちょっと前に撮っておいたやつをとりあえずアップしたようなもので、今回のはそれよりはましかもしれない。といっても本当に行き当たりばったりの旅行だったので撮れた写真も偶然ばかりだけど。
トップページに新しく上げた写真は、堺市の仁徳天皇陵を訪れた時に撮ったもの。
仁徳天皇陵上空、鳥のような雲

ちなみに今回の旅行の略程。一日目:新幹線で豊橋へ→豊橋市内線、渥美線乗車、三河田原駅周辺の廃線跡を見学→大垣(大垣泊)。二日目:大垣→比叡山坂本→徒歩でケーブル坂本駅へ→比叡山山頂→延暦寺域内探訪(バスも利用)→叡山ロープウェイ、ケーブルカー、叡山電鉄経由で出町柳駅→下鴨神社→出町柳から京阪で淀屋橋→地下鉄でなんば→南海線住吉→阪堺電軌に乗り換え堺市内へ(堺市内泊)。
三日目:堺→(バス)三国ヶ丘駅前→(徒歩)仁徳天皇陵→百舌鳥駅→(JR阪和線)三国ヶ丘(南海乗換え)→堺東→(快特)極楽橋(ケーブル)→高野山→高野山域内探訪(バスも利用)→(南海経由)→橋本(JR乗換え)→和歌山→堺市内(堺市内泊)。四日目:堺市内→(南海)なんば(地下鉄乗換え)→梅田→(阪急)→阪急嵐山→(徒歩)→JR嵐山→京都→(新幹線)帰京。
ちなみに、前日までに宿泊地が決まっていたことは一回もなかった。3日目なんか、泊まろうと思っていたところで部屋の空いている宿が見つからず大変心細い思いをした。にもかかわらず、特に反省はしていない。

関係ないけど、嵐山の渡月橋のたもとにある茶店の桜餅は割合廉価ながら、東京のそこらの和菓子屋では売っていない味でおいしい。
というか、その桜餅のことも書いてある、市田ひろみさんの『京都 101の味みやげ』は今後とも参考にしたい。

2005.3.28
本体の更新。本体の方は何とか一年空けずにすんだ。
H&H鉄と言う言葉を思いついた。公式的には「廃線&廃止予定線好きの鉄道マニア」だが、語源としては「ハイエナ&ハゲタカ鉄」。だからなんだといわれても困るが、最近の企業買収だのなんだののニュースを見ていてふと浮かんだもので。

2005.3.12
このページ、1年以上も更新していなかったとはさすがに思わなんだ。廃線の国内ネタというと、昨年の冬に訪れた函館近くの未成線(名前忘れた…)が残っているが、どうするかなあ。すくなくともよく知られたものなので真新しさはない。ほんとうはこの春休みにでも行っておきたいんだけど、今の仕事が忙しくてチケットも何も買っていない。青春18きっぷも買っていない。一筆書きや長距離なら18きっぷがむしろ損になるケースもあるというし、まだどうするか決めていない。この分だと新ネタを仕入れるのはいつになることやら。

2004.1.31
このページに存在したカウンタをインデックスページに移設した。
多分ほとんど回らない。このページにおいていたときと同じように。
でも、一見さんがどの位いるのか知りたくて。

*       *       *       *

最近、廃線とか建築とか、生活に関係の無いことしか興味がもてなくなってきた。現役の鉄道さえ乗ろうという気が余り起こらない。


2004.1.29
北陸線の旧線編に少し文を書き加えた。
元はといえば堀淳一氏の本がきっかけで興味を持った北陸線旧線だが、すでにいくつかの本で紹介されているし、宮脇俊三氏が探訪したことでも有名だと思う。
でも、正直、もう一度訪ねたい。今度は杉津から敦賀まで。敦賀−高姫間は、また別の話ということにしよう。日本海が好きなので、そちらを訪ねる際には余呉駅辺りで下りて敦賀を目指すことにしようか・・・いや、新疋田辺りで力尽きるかな。


2003.12.30
なんだか吉野家が大変らしい。 吉野家の中の人も対へがんばれ吉野家。


2003.12.28
もう年の瀬ですなあ。早いもので。寒いっすよ。東京の生暖かな冬が恋しいっす。
ここ数日もう一つのサイトのほうの更新でハイになっている。でもハイテンションむき出しで更新したのって、後から見て消したくなるんじゃないかなあ、とか思って目先を変えてここのメモでも更新してみる。
来年1月の広末の結婚式は式中で黙祷をするのだろうか。しないだろうなあ。そもそもするくらいなら、あんな日(1月17日)には出来まい。よく分からんが。まあ、いろいろ都合もあっただろうし、親戚一同の中には阪神大震災の犠牲者はいないのだろう。


2003.12.1
「可部線の風景」を更新した。写真を追加していったら点数が多くなりすぎたので2ページにしたが、今どきの閲覧環境なら平気だっただろうか。
可部以北区間廃止の翌日に更新したのは偶然である。といったら存続派から蛇蠍のごとく憎まれるだろうか。
ただ、まだあるうちは大して価値のない素人写真でも、鉄道自体が無くなったら記録写真としてそれなりの価値が生まれると思い、これまでアップをためらっていた写真を改めて加工して追加しただけのことである。
こういうのを下手な言い訳という。


2003.11.27
2ヶ月ぶりの更新。ほとんど写真だけ4枚(うち一枚は再掲載)。近鉄北勢線の譲渡先の会社名が分からずに調べたら、三岐鉄道北勢線では現在黄色の新塗色の列車が走っているそうだ。写真を見たがけっこう凛々しくてかわいいので、残る車輌も塗り替えてもいいんじゃないかと個人的には思った。でも保存しておくのも意味があるのかもしれない。それに形がだいぶ違うので同じように似合うとも限らない。


2003.9.22
一ヶ月ぶりの更新。といっても他のところで公開済みだったページを作り直して改めてこのサイトの一ページとしてアップしたもの。
今読み返したら、8月13日には、今回の写真の出来がしょぼいので他の力作を待とうとか書いている。いい加減なものだ。そういえば検索もしてみていない。


2003.8.23
中京圏に新たな廃止路線出現の可能性
<リンクが不明なので書いておくと、長島スパーランドのジェットコースターの脱線・死亡事故のこと。
個人的には碧南−吉良吉田間よりも早いのではないかと予想<不謹慎


2003.8.19
今朝は全然飲んでないなんて缶チューハイ2本で言ってしまっていいの
JR東海バスの飲酒運転。このときはまだチューハイしか出てきていなかった。

2003.8.16
仙台の廃線跡に行きたくて仕方がない、ということをここで書くことでその気持ちを静めようとしている。
とはいっても仙台のじゃ特定できないし、第一僕の行きたい廃線跡は仙台市内ではない。新利府−品井沼間の東北本線の旧線の事だ。現在の線路を海線といっていたのに対し山線という通称があったこの線は堀淳一氏の地図エッセイシリーズで僕が小学生の頃に読んだ廃線探訪の一つで取り上げられている。そのエッセイが書かれてから既に30年前後が過ぎ、廃線跡を横切って自動車道が建設されたりしているものの、1995年以降に出版されたJTBの『廃線跡を歩く』シリーズでも取り上げられていて、その跡を今も辿れることはほぼ明らかだ。
このHPで取り上げてきたのは小田急の旧線跡を除けば2000年以降に廃止になった比較的新しい区間だし、小田急線も含めて『廃線跡を歩く』と首っ引きで下調べをしてから望むというような探訪のスタイルは取ってこなかった(ネットで下調べはしたけど)。それだとやっぱり初めて訪れ辿っていく楽しみが薄れてしまうような気がしたからだ。でもこの廃線跡は僕には思い入れのある区間なので行ってみたい気がある。

1泊2日、夜行を使わずに仙台に泊まって帰ってくる日程を考えた。一日目は福島まで東北線を北上し、福島で福島交通を往復してから阿武隈急行経由で仙台に入り、そのまま新利府か品井沼まで行って廃線探訪に突入。日没まで辿れる距離を辿る。翌日は早起きして残り区間を踏破し、今度は常磐線経由で南下して帰京する、というもの。仙台への往復の経路は一般には面白みの無いものだとは思うが、僕は東北本線は石橋以北、常磐線は石岡以北(紛らわしい名前なのは偶然です)の区間は未乗車である。
そんなわけで、旅程も確認していないのに先に宮城県の道路地図を買ってきたくて仕方が無い。
本当は18きっぷの旅行どころではないのだがそういうことを考えるのが面倒くさい。なんてことも言っていられないので、明日だけは片付けや準備に割り当てようかと思う。そして月曜日に飛行機から何から一通り済ませてしまえば木曜から金曜にかけて…というふうに目標設定して課題を終えていくのが健康的なんだろうな。ただでさえ8月に入ってからは半分遊び人のような生活になっているので・・・

ちなみに木島線の未踏破区間については車で日帰りなどとさらに馬鹿なことを夢想している。それどころじゃ根江でしょうが。


2003.8.13
木島線、やっぱり夜間瀬川の鉄橋を撮らなかったのは惜しいなあ、と最近思う。もしそこまで行っていればあの日は飯山線完乗&くじらなみ2号乗車はならなかったとはいえ。

実は最近、今年10月で一部区間が廃止になる広島県の可部線に乗ってきたのだが、「カウントダウン」に入れるには写真がちょっとしょぼいので、この夏に訪れた&訪れる予定の、写真の腕に覚えのある方の力作をウェブ上で待つことにしようと思う。


2003.8.3
長野に行ってきた.
7月に行けなかった長野電鉄の廃線(河東線信州中野−木島間,別名木島線)と,湯田中の日帰り温泉と,飯山線制覇・・・なんて,夜行利用の日帰りの日程ではそんなにできるわけはなく,ダイヤとにらめっこしつついくつかのスケジュール案を練り,行きのムーンライト信州81号の車内で選択肢をいろいろ考える.前回も今回も青春18きっぷ利用.
チケットは偶然友人に譲ってもらったものだが,座席は完売といっている割には空席が目立った.同じ夜行快速の『ムーンライトながら』と違うのは季節列車なのはもちろんだが列車の旅を志向する客よりも登山やハイキングの服装をしている人たちが目立つことだ.月曜あたりに休みでも取ったのか,テント一式も含めた重装備の人もいる.(でもその荷物ジャマ.)

松本で名古屋方面から来た急行『ちくま』に乗り換え.まだ5時前だったがこの頃には空が白み始める.松本に着くまでの途中駅で山登り客の降車が目立った.もちろんその先まで乗っていった人も多かったし『ちくま』からの乗り換えで乗ってくる人もかなり居た.夜行で来て早朝からそのまま1泊の山登りとは恐れ入る.
松本からは急行なので18きっぷは使えない.篠ノ井線の姥捨駅付近に棚田で有名なところがあると聞いて車窓を見ていたのだが,上からはよく見えないしあまりきれいには見えない.多分下から見上げたほうがいいみたいだ.
長野には5時39分着,59分発の飯山線に乗る.飯山下車が7時近く,そこから徒歩で千曲川を渡って木島駅へ.思ったよりは遠くなかった.

そこから歩けるところまで沿線を辿ったものの途中あちこちで工事をしていて回り道を余儀なくされた.炎天下で時間と体力の限界にきた時点(地点)で切り上げ信州中野行きのバスを拾った.温泉に入る気はもう失せている.中野駅に着いて一息ついて駅北方の分岐跡を見てから長野行の特急に乗る.

長野12時15分発の飯山線戸狩野沢温泉行きは込んでいて立っている人もいたが何とか空いている所を見つけてもぐりこんだ.以後,ボックスシートを巡る静かな争奪戦が終点近くまで繰り広げられる.
戸狩野沢温泉で待っていたのは一両編成のワンマンカー.さらに争奪戦になるが乗客は少なく終点の越後川口までそれほど混むことはなかった.沿線の風景を見るにはとりあえず進行方向右側に陣取ったほうが良さそうだったが,とちゅうまでずっと千曲川の下流に沿っていくので景色は単調といえば単調だ.
ちなみに時刻表では十日町乗り換えとなっていたのだが,十日町に着いてから冷房つけっぱなしで30分,同じ車両で再び発車した.時刻表上は別でもこういう運用があるということらしい.

越後川口から上越線で東京方面に戻る。当初は一旦小千谷か宮内まで戻って水上行きの(通常運行の)列車に乗り,座席を確保しようと思っていたのだが改札前のホワイトボードに臨時列車の知らせが書かれているのを見て始めてその列車を知った.時刻表には載っていなかった.いや、掲載されているのだが,今回持っていた時刻表は臨時列車だけ別に掲載するスタイルなので気がつかなかった.なかなかそこまではチェックし落とす場合もあるのでやっぱり一緒に記載して欲しい.
結局乗る事にしたのは7・8月に4日,4往復だけ運行される快速「マリンブルーくじらなみ1号・2号」の2号桐生行き.(“くじらなみ”が駅名であることを今知った.)長岡や小千谷といった主要な駅を通過するが越後川口には停まる.新幹線を使わずに群馬と新潟の県境を越えられる列車は貴重だ.でも1号・2号が桐生⇔直江津,3・4号が熊谷⇔柿崎なのは海無し県の需要を見透かされているようで海無し県出身者としてはちょっと口惜しい(笑).

車内は海水浴帰りの家族連れでごった返しているかと思ったがそれほど混んではおらず,何組か居る家族連れも大抵はぐったりしていた.
車外の田んぼの中で写真を撮っている人がいる,のはよくあることでもその数が通過した踏み切りより多い,というか下手したら倍以上?と思われるほどたくさんいた(片側だけで).そのくせ車内にはそれっぽい人はあまり見当たらない.どうもこの列車は乗るより撮る列車らしい.車両はかつての特急車両(クリーム地に赤色のライン)を流用したものだったがこれが上越線を走るのが貴重なのだろうか.なかには線路際とか,雪崩防止の柵に寄りかかって撮る人もいて危ないだろうお前ら.

新前橋で乗り換える.もちろん途中駅のホームにも,そしてここのホームにもカメラを持った男性(稀に女性)がうろうろしている.ついでに一枚撮ったところで向かいの電車が発車しようとしていた.上野行きと聞き慌てて飛び乗った.これにてお別れ.あの日一日で合計何百枚という写真が何人ものカメラによって収められたことでしょう.
ちなみにこの日は越後川口でも臨時列車に遭遇した.長岡の花火を見に行くお座敷列車らしい.越後川口でしばらく停車していたがドアは開かなかった.待っている間に夏季限定の快速「こころ」が通過.今気付いたがこれはNHKの連続ドラマにちなんだ命名なんだな.なんて軽薄な.お座敷列車は僕が乗る『くじらなみ2号』を待って発車するらしく,おかげでツーショット写真が撮れた.でもホームに3人いたカメラ持ちの人間(自分含ム)のうち一人はさらに待って次のくじらなみ4号を撮るつもりなのか,同じ列車には乗ってこなかった.
でも、駅でとったものより沿線から撮ったもののほうが素人目にも写りはいいと思うが.余計なお世話か.


2003.7.26
(消去)


2003.7.22
中京圏と長野に旅行に行ってきた。既に立ててあった計画を大幅に変更して、岐阜県内の名鉄の廃線跡の、ただし入口だけを覗いてきた。今後改めて踏査するか、というと多分しないだろうと思う。
谷汲線の起点だった黒野までは揖斐線に乗った。忠節−黒野間は下記のとおり廃止が取り沙汰されているようだが、あれは乗った実感としてもずいぶん長い距離があるのであの区間がバスに代替されたら沿線住民は今よりだいぶ不便になるだろう。人員に関しては削るところまで削ったという感があったが、なんとか存続させられないものだろうか。

なお、その日程変更のため当初予定していた長野電鉄の廃線探訪は実現しなかった。今回は長電全区間を乗車するにとどまった。直接関係ないが、長野電鉄の普通車両には日比谷線で走っていた車両が使われているようだ。事前には知らなかった。車体には赤い線が横に引かれてあるが、車長、3ドア、それに車内ファンに刻まれた営団のマークで判断した。網棚の鉄パイプを支える金具の形状がユニークだった。ちょっと気にいった。



2003.7.1
この夏が終わるまでに名鉄の廃線をいくつか訪ねたい。そう思って検索したら、やはりというかすごいというか、ウェブ上にはデータが溢れていた。
2001年9月30日に廃止された 谷汲線 。その他、同じ日に廃止された、 揖斐線 の黒野−本揖斐間( 2つの区間の最後の日 )、それと 八百津線
谷汲線なんかは、 廃線後定期的に訪ねている人 も居る位なのでこちらの出る幕ではないかもしれないが、純粋な廃線の情景だけでなく鉄道建築や建設物にも興味があるので、全区間でなくてもいいから訪ねるつもり。
いっぽう廃止予定の線については、愛知県内の廃止予定区間を乗車する計画が既に立ててあって宿まで予約してある。がこのメモを書くためにいろいろ検索していたら、それとは別に揖斐線の残った区間の 忠節〜黒野間12.7㎞を廃止する話 が出ているという。これは既に建てた計画には全く含まれていないし、日数が限られているので多分無理だろう。やっぱり岐阜県内を乗ったり写真とったりする旅行計画を別に立てるしかない。


2003.6.19
(消去)






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