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ごく短命に終わった連絡線〜〜旧総武鉄道海神線(後編)
線路跡を辿っていこうにも、都市中心部の住宅街では「紛れ」が多くてなかなか難しい。なんとも怪しげな路地
例えばこの路地など、どうか。坂を上っていく微妙な曲率が、なんとも怪しげではないか。趣はどことなく鉄道らしい。
私は一瞬この路地もしくは右の宅地が線路跡と確信したほどだが、このまま進んでいくと船橋駅につなぐ線がかなりの急曲線になるので、どうやら違いそうだ。とはいえ実は、この宅地のほぼ直下あたりに、しかもこの曲率に沿うような形で東葉高速鉄道のトンネルが通っていたりする。当たらずといえども遠からず、なのだ。
海神小学校角の交差点京成電鉄の本線は高度を保ちながら総武本線を越えていくが、連絡線跡は台地際の坂を下って船橋駅付近の平場に出る。下りきった先にあるのがこの交差点。なんとも怪しげな雰囲気がわかるだろうか。手前(船橋駅)側の道路幅は広い、奥(海神駅)側の道路幅は狭い。と、いうことは・・・・・・
海神小学校脇必然的に、それに連なる小学校脇のこの狭い路地も怪しい、というわけだ。
船橋駅西方短い線路跡をたどる短い旅はもうおしまい。東武鉄道野田線が近づいてくる。野田線は当初単線開業であったから、複線化する際に海神線跡を最大限活用したのではと、勝手に想像しているのだが、はてさて真相はどうだろう。なんにせよ、複線化に加え高架化までされているから、当時の痕跡などまったく残っていないにちがいない。
船橋駅船橋では京成の連続立体交差化の真っ最中だ。永年の懸案だった駅南口の再開発も概成し、再開発ビル「FACE」がオープンした。北口からも見える建物だから、なんとも巨きいものだ。写真は逆光撮影なので、ロゴがよく見えないけれど。このように、街の貌も時代にあわせて大きく変わっていく。ちっぽけな連絡線跡がその姿をとどめないからといっても、なんら不思議はないのかもしれない。
参考文献
(01)「東武鉄道百年史」(東武鉄道)
(02)「私鉄史ハンドブック」(和久田康雄)
執筆備忘録
本稿の執筆:平成15(2003)年初秋
写真の撮影:平成15(2003)年初秋
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