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やさしい鉄橋講座〜〜東武鉄道東上線入間川橋梁
こどもの頃、不思議に思った。
「東上線と川越線では、どうして橋の長さが違うの?」
入間川の河原でのことである。問われた父は困ったようだ。
「橋のつくりが違うからだよ」
一瞬納得したが、すぐに次の疑問が浮かんだ。
「川越線の橋の方が、太いじゃないか。でも、短いよ。どうしてなの?」
父は今度こそ困った。数学の教師であっても、力学の知識は豊富でない。
「東上線の橋は、細くても強いんだよ」
「へえ、そうなんだ」
納得はしなかった。でも、そんなものかと思った。
東武東上線入間川橋梁
JR東日本川越線入間川橋梁
専門知識を得た今ではしっかり納得している。要するに、ガーター橋とトラス橋の違いである。ただし、「細くても強い」とは表面に出ている結果であって、なぜ強いかの説明にはならない。以下、わかりやすい解説を試みてみよう。
鉄橋の基本はガーター橋である。ガーター橋を横から見ると長方形である。列車が上に乗れば、力がかかる。橋の長さが長くなるほど、かかる力は大きくなる。
問題は、力がどのようにかかるかである。
橋の上に列車が乗った場面を想像してもらいたい。列車の重みを受けて、橋はたわむ。たわむ方向は、当然、下向きである。ここで、もう一度橋を横から見てみよう。といっても、人間の目に見えるほどの変化ではない。あくまでも頭の中で考えてほしい。
長方形だった橋は変形し、長辺はそれぞれ下に凸な弧を描いているはずである。つまり、もとの長さと比べ、上側の長辺は短くなり、下側の長辺は長くなっているわけだ。
短くなったというのは、押し潰そうとする力が働いている証である。また、長くなったというのは、引きちぎろうとする力が働いている証である。
ガーター橋の力の作用の模式図
さあ、ここが考えどころである。橋の上側と下側で、全く逆の力が作用しているということは。真ん中のあたりには力が働いていない、と想像できる。実際、そうである。専門用語で中立軸という。中立軸での力は常にゼロであり、その周辺に作用する力も微少なレベルにとどまる。
鉄は重い。鉄橋とはある一定の重さを支えるものであるが、その重みの少なからぬ部分が鉄橋本体の重量で占められていることはあまり知られていない。長い橋を架けるには、橋そのものを軽くする工夫が必要になってくる。
橋を一つの彫刻と見立ててみよう。どこを削れるだろうか。まず思いつくのが中立軸のあたりである。もともと大きな力はかかってないのだから、削ったところでたいした問題にはならない。
削りに削って、細身を究めたかたちが、トラス橋である。トラス橋の各部材には、ほぼ同じような力が作用しており、無駄がない。
理にかなった構造物には必ず美点がある。トラス橋には軽快な趣があり、洗練された美を感じさせる。その点、ガーター橋が鈍重であることは否めない。
前置きが長くなった。東上線入間川橋梁のことである。
現在の入間川橋梁は複線下路トラスの4連である。川越市以北では本数が減るものの、それでも列車の往来は頻繁である。夏の河原は水遊びを楽しむ家族連れなどで賑やかだ。灰色のトラスは映えるとはいえないが、川辺の景色によくなじんでいる。
このトラス、開業以来のものではない。この区間の複線化に伴い、昭和39年に架け替えが行われた。
昔日の姿をとどめているのは前後の盛土部である。川越市側には2箇所、田圃の中の道をまたぐ小さな鉄橋の隣にレンガ積みの橋台が残っている。霞ヶ関側には恰幅のよい橋台が1基、でんと鎮座している。
どういうわけか、川越市側が単線、霞ヶ関側が複線である。前後で統一がとれていない理由はよくわからない。
これらの橋台、草が絡んでいるものの、外観はしっかりしている。レールの錆を浴びて変色した現本線のコンクリート橋台の方がよほど古びて見える。単に機能だけを考えれば、まだ現役で通用するかもしれない。
初代入間川橋梁の面影は、もっとのどかで、重々しく、田舎くさいものであったはずだ。時代は変わり、橋は変わり、列車も変わる。このうつろいこそが歴史であり、変化があるからこそ人の世は面白い。
ありふれた景色のなかに、歴史がひそんでいることがある。目を凝らしてみれば、そこに歴史が見えることもある。
左・中:東武東上線入間川橋梁東詰にて 右:同西詰にて
■執筆備忘録
本稿原型の執筆:平成 6(1994)年秋
本稿の修正 :平成13(2001)年初頭
写真の撮影 :平成12(2000)年夏
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